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立場によって見え方が違うこと


昨日10月20日、Twitterで話題になっていた「男性ばかりのバンドだったら集客が心配だと言われた」という、日本を代表する素晴らしい大先輩ドラマーのツイートを拝見して、こういうことをツイートしました。


この「男性ばかりのバンドだったら集客が心配」と発言したジャズクラブのオーナーが端的にダメなだけですが、(こんなことをこの日本のジャズシーンを作ってきた大先輩に言うなんて、貧すればなんとかだと思います)、今コロナ禍の中で集客は死活問題、必死なのも理解できます。しかし、元ツイート、それのリツイート、私のツイートへの一連の返信やリツイートで、いかに立場によって見えていた景色が違うのかが可視化されて、勉強になりました。特に、昔から活動している女性シンガーにはずっと見えていた光景だと思います。一番矢面に立っていたし、集客のために良いように扱われてきた存在です。

「ジャズはそんなジェンダーで語られるものではない。」それは当然のことです。

しかし、女性の方は、

女にはジャズはできない、
女にはジャズは理解できない、
女にはどっしりしたリズムが出ない、
バンドに花を持たせるため女性を一人入れよう、
女のやるジャズは聴かない、
美しさを兼ね備えた、
女流ピアニスト、
美人シンガー、
女のわりにはやるね、
男勝りのピアノ、
女性ジャズミュージシャンの系譜、
女性はドレスを着てスカートを履いて(女性は眼鏡はかけないでも含まれていた)、etc.

昔から常にジェンダーで語られてきたんですよね。

私の話ですが、ある女性ライターのインタビューで、新譜が出たタイミングで声をかけて下さったインタビューにも関わらず、ファッションやお化粧、普段やツアーの過ごし方などの話題が多く、チェックに上がってきた原稿が、不必要なカタカナ表記(携帯→ケータイのように)、語尾に(笑)を多用、音楽と関係ないファッションの話などで、文章の約半分を直して、男性の編集者に戻したことがありました。
その戻したメールには、
「女性の会話だからと必要以上に馬鹿に見えないように、自立した人間として話しているようにという基準で訂正しています。女性同士の会話=ファッション、スイーツ、他愛もない話でわちゃわちゃしているのは、多くの場合でも私にも不要です。私自身も文章を書くお仕事を頂くようになり、発信に気をつけていることですが、ジェンダー観、女性自身の内面化されたジェンダー観もアップデートされるべきと思っており、このよう内容となりました。」
と明記してお送りしたところ、ご理解頂けた様子でした。何がいけないと思うのか理由をきっちりお伝えすると、ちゃんと理解して頂けます。
また、こうやってお伝えすることで、次にインタビューを受ける女性のインタビュー内容も変わるはずですので、きちんとお伝えするようにしています。


私自身は、2019年1月に自分の目の病気が発覚し、コンタクトレンズを装用できなくなったところから「今までなぜ眼鏡で演奏しなかったのか」ということを考え、社会の見えない空気に自分自身が忖度していたと気付きました。


私自身が〈女性は客体化され消費されるもの〉ということを当然のように受け入れ、差別を内面化してその中で生きることを選択し、結果それが見えない空気をつくる一助になっていたこと、まさに差別に加担していたことに気付いてしまった。そして、そんな見えない不均衡がすでに社会に沢山あることに、今までアンテナを立てていなかったことを、今とても恥じています。
自分が遅かれ早かれ失明すると言われたから、やっと視覚障害を持った方のことを自分のリアルとして感じることができたし、女性は眼鏡をかけず演奏することを当然としていて、それが病気で出来なくなったことでやっと不均衡に気付きました。
〈弱者になるかもしれない〉という可能性を感じただけでやっと気付いたなんて、なんて虫の良い話でしょうか。我ながら恥ずかしいです。

しかし、〈弱者になる、あるいは、弱者になる可能性があるという想像力を持つことで、気付くことのできる社会の不均衡が沢山ある〉という気付きも得ることができました。
健康な私、強者の側にいた私には見えていない世界がありましたが、〈自分が弱者になる可能性がある〉想像力を持つことで、もう以前には戻れなくなるぐらい、見える景色が変わりました。
そういった積み重ねがあれば、ほんの少しずつでも優しい未来になるのかもという希望も、手に届くリアルなものとして見えるようになりました。

その反省から、おかしいと思ったことはきちんと表明するべきだと、学んでいるところです。
私には幸い、演奏すること以外に書くことができます。書いている媒体があるし、読んでくださる方もいる。また、眼鏡をきっかけにフェミニズムを学び始め、今までモヤモヤして明文化できなかったことを、言語表現としてアウトプットすることを学んでいる途中です。この私の立場で、おかしいと思っているのに意見を表明しないのは、また見えない空気への加担を続けることになると思っています。

先に書いたインタビュー記事の校正ですが、上がってきた原稿を見た時に、まず悲しいと思いました。自分としては、一人のミュージシャン、一人の人間として真摯に話したつもりが、他人に「女性」の枠に勝手にはめられて、旧来のジェンダー観のテンプレートに落とし込まれているのが、悲しかったのです。〈自分のことを、一人の人間として本当にちゃんと見てくれているのか?〉と言う意識や疑問は、女性ミュージシャンは皆、ある程度持ってるだろうと思います。

これは、自分が病気にならなかったら気付かなかったことかもしれません。ジェンダーによる不均衡を再生産しないために、自分の反省を踏まえて発言していくべきだなと、沈黙は現状維持になるなと感じ、気持ちを新たにしました。

最初の大元のツイートに戻りますが、「男性ばかりのバンドだと集客できないから女性を」ということは、過去何十年と女性ヴォーカリストが背負わせられてきた役割であり、実際に面と向かって言われたことのある人も、暗に言われたことのある人も、絶対そうだろうなという空気の中で歌ってきた人も、沢山います。
お店から「お客さん呼んで」、ミュージシャンから「インストだけだとお客さんに聞いてもらえないからゲストに来て」、お店やミュージシャンからそういう扱いを多数受けてきて、男性客からの要求は高く、尊厳を持って接せられる機会が他の人より圧倒的に少なかったと思います。少なくとも私が仕事を始めた時期に、そういうことは日常風景でした。年齢を重ね、時期がきたらそれぞれの事情もあり、そのほとんどは潮時かなと歌手をやめていく。今思い返せば、これは皆で女性を客体化し消費していたことではないかとも思います。
もちろん、楽器奏者に比べて歌手の力不足ということも圧倒的に多かったと思いますが、だからといって軽んじられるべきではないでしょう。

しかし、2020年の今になってみると、以前のそういう空気をあまり感じなくなってきました。ずっと景気が下降の一途だからかもしれませんが、全員が仕事が減り、全員が貧乏になっていく中で、ジェンダー・イコーリティも同時に進み、皆フラットになってきたような気がします。

〈見ようと思っていたらいくらでも見えてたのに、景気が良かったときは見ようとしていなかったこと〉の一つかもしれないと、感じています。
男性ミュージシャンにも、女性の楽器プレイヤーにも、ジャズファンにも、今まで多くの人に見えていなかったことが、こうやって超ベテランの男性ミュージシャンがおそらくコロナで集客減のジャズクラブに「男性ばかりのバンドだったら集客が心配」とあからさまに言われることにより、可視化された、ということだろうと感じています。


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