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1997年2月13日(木)、旅4日目。プラハの夜空は美しい。

いきなりですが、2月12日(水)の日記がありません。書いていなかったことにこの23年、一度も気づかなかったような気がします。旅の序盤も序盤。なぜないのか。
アルバムを見ると、2月12日は精力的に撮影をしています。1日6枚くらいという掟を早速破り、21枚撮影。その分、13日は3枚に抑えられています。12日は、市庁舎の塔に上ったり、カレル橋を行ったり来たりしたり、プラハ城の中をいろいろ巡ってカフカの家を見たり、高台からの街の眺めに感激したりしていた模様です。詳細が不明ですので、1日飛ばして、2月13日の日記を。


1997年2月13日(木)
今日も朝、旧市庁街に面するガラス張りのBonalへ行き、ケーキ(21チェココルナ)、紅茶(17チェココルナ)を頼む。今日はどこへ行こうかと考えながらぼーっとする。そういえば、昨日と同じ席に、昨日と同じおばあちゃんが座っていた。毎日来ているのかも。

今日も同じカフェに行った、と書かれているので、12日にも行ったのでしょう。たしかに、旧市街の広場に面したガラス張りのカフェに2日連続で行ったことは覚えています。ガラス張りだったので、中の様子がわかったため、安心して入れた、ということでした。お金のない学生の1人旅だったので、お店選びは本当に慎重でした。カフェを検索してみるも、該当なし。もう、なくなっちゃったのかな。

少し雨がパラパラしてきたが、気にせずにユダヤ人地区へ。旧市街からすぐ。歩いて3分くらい。

まずチケットエージェンシーで6つのシナゴーグを回れるチケットを買う。6つの場所にそれぞれ番号が振ってあるが、2番を飛ばしてしまったらしい、ちょっと心残り。

ユダヤ人墓地はとっても寂しげ。倒れそうなものもあった。京都の念仏寺のよう。5番のシナゴーグには、収容所にいた子どもたちの切ない黒いくらい絵が。とてもつらい。あんな思いを子どもたちにさせてはいけない。

ここで、近くを日本人が通りかかったので、「ここ、何番ですか?」などといろいろ話す。穏やかそうな人だった。

最後に行った旧新シナゴーグ。中は教会のよう。やはり子どもたちの絵が印象的だった。

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疲れたので昼食のために旧市街のStaromestska Restaurantへ。なにかわからないけれど、ボヘミア風の料理。肉がメインで、赤キャベツの漬物と白キャベツの漬物、柔らかいポテト、パンみたいな白いもの、というワンプレート。肉と白キャベツはおいしいが、ソースがボヘミア風の香辛料を使っていて、あまり好きではない。でもこれで135チェココルナ(多分600円くらい)。お兄さんに5チェココルナのチップを渡す。親切なお兄さん。店は観光客だらけ。

一体どんなものを食べたのか、本当に気になる。そして600円の昼食を高いと言っているのが興味深いです。「ボヘミア風」ってどんなのだろう。当時食べて「ボヘミア風」だと思ったようなのですが、今の私には、どんなものがボヘミア風なのかわからず。
ということで、検索してみました。ありました! 全然覚えていません! ビールが美味しそうです。


その後、ヒマでどうしようと思ったけれど、とりあえずKBで10000円を両替し、CEDOKで明日のターボル往復のチケットと、明後日のチェスケー・ヴィデヨヴィッツェへのチケットを買う。その後、お洋服屋さんに入ったりしたけれど、安いが荷物になるから買うのはやめておこうとぶらぶらする。

ヴァーツラフ広場をぶらつき、正面の国立博物館へ。

2階には人骨など。そこで、ユダヤ人地区で会った日本人にまた会う。3階は、服や動物や鳥のはく製、昆虫の標本など。記帳があったのでパラパラ見ると、日本語が飛び込んでくる。「つまらない。○○大学○○学部○○○○」と。これを見て、大変にショックと憤りを覚える。日本語だから読めないと思って書いているんだろうけれど、大学名(いい大学でした)と名前まで書いているところにいやらしさを感じないではいられない。

3時過ぎに入り、4時15分くらいに出て、入り口の階段に座って、風景を眺めながらぼーっとしていると、日本人らしい人を発見したので、声をかける。

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「7時半までヒマ」だというその人と、マクドナルドへ。Kくん(旅ノートにはフルネーム書いてありましたが、ここではKくんとします)、慶応文学部4年生。ポーランドでアントニーとクリスに騙されて、6000円くらいとられた、とか、ミラノの空港間のベンツタクシーで130ドルもぼられたとか、いろいろ話す。

しばらくたって、カレル橋の方へ行こう、ということになり、歩き始める。今日は、小雨と曇りの日。少しライトアップされてきて、とてもきれい。Kくんが「旧市街の天文時計を見ていない」と言うので、18時のを見に行く。相変わらず、意外なほどあっけないものだった。

ベンチに座って空を見上げると、今日も素晴らしい色。プラハの夜空の色は、胸に迫りくる。月も透けていて、溶けそうだけど強く輝いて、切ないような光景。

ショパンのコンサートを聞きに行くというKくんについて、会場である教会を探しいくが、ない。うろうろするも、ない。途中、現地のお兄さんに尋ねてやっとわかった。

19時15分到着、19時30分開演。教会でのコンサートっていうのがいいな、と思う。とても落ち着いたいいものだった。ピアニストは男の人。力強いタッチ。何を思って弾いているんだろう。小学生時代、いやいややっていたピアノを思い出した。あの頃はいやだったけれど、合唱の伴奏をするのは好きだったなあ、とか。

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そんな風に没頭したかったのだけど、なにせ、イスの高さが気になってしまって。日本人向けではない高さ。高さが合わずに辛かった。

20時半ころ終わり、ごはんを食べようということになったが、どこも開いていない。結局、残念ながらもケンタッキーへ。パンがかたくてぱさぱさでいただけない。おなかも空いていないので、残す。

帰りもよく歩いた。明日ターボルに行く予定だと言うと、じゃあ一緒に行こうということになり、明日の朝、駅で待ち合わせることに。nam. Miruでじゃあね、と。

このKくんとはなんとなく気が合い、その後数日いくつかの街を一緒に観光しました。チェコの南の方の街(数日後の日記に出てきます)で、プラハに戻るというのを見送ったきり会っていませんが、お元気でしょうか。旅ノートにはいろいろな人と交換した連絡先などが残されていますが、彼の連絡先はない。交換しなかったのかな。旅ノートに本名は書かれていたけれど、名字も名前もポピュラーなものなので、多分検索しても出てこないだろうな、と。就職先の会社名をうっすら覚えているのですが、まだそこにいるかどうか。まあ、お元気でいてくれるといいな、と23年ぶりに思いました。
まだまだチェコに日本人観光客の少ない時代だったのと、日本語に飢えていたのとで、日本人同士、すれ違ったりするとなんとなく言葉を交わす雰囲気でした。だいたいが、私と同じく大学の卒業旅行の人たち。そういう時期でしたよね。みんな、バックパックの旅にちょっと憧れていたような。

宿に帰ってきたら、家のドアが開かない。結構遅かったけれどピンポーンと鳴らすと、伯母さんが笑顔で出てきてくれた。3泊の予定だけどもう1泊したいとお願いすると、no problemと。優しそうな人でよかった。

日記中にあった「nam. Miru」ってなんだろう、通りの名前ではなさそうだ、と検索すると、こんな感じの教会のようなところでした。ああ、思い出した、こういう場所、あった!
今の時代は、すぐに検索出来て便利で素晴らしいです。
プラハの夜空の美しさに感嘆していますが、思い出しました。そうそう、切ない青さで素敵だったんです。下は、感激を伝えるのには遠く及ばなかった、コンパクトカメラの限界を感じる1枚。上の丸いのは、月です。ブレブレ~。
その後ヨーロッパのさまざまな街に行きましたが、ヨーロッパではどこでもだいたいあのプラハと同じような夜空を見られて、そのたびに感激してきたように思います。プラハのに近かったのは、トリノ五輪のころの夜空と、秋に行ったニースの夜空かな。濃いんだけど透き通った青。街の照明が黄色っぽいっていうのも関係しているのかもしれません。日本では、ああいう空、見た記憶がないなあ。

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<宿泊>
プラハの民泊のお宅に。この日で3泊めだったけれど、もう1泊延長したようです。ターボルなら日帰りできることがわかり、それなら重い荷物をもって移動するより戻ってこようと思ったからでした。

<経費>
朝食(ケーキ、紅茶) 38チェココルナ
ユダヤ人地区のチケット(学割) 270
お昼(ボヘミア風) 140
電車のチケット(ターボル往復、プラハ→チェスケー・ヴィデヨヴィッツェ) 160
国立博物館(学割) 15
マック(コーラ) 20
ピアノコンサート(学割) 250
夕食(ケンタッキー) 75

<両替>
10000円 → 2205.10チェココルナ

<朝日カルチャーセンター新宿教室>
 ●4月4日(土)「ザヤックルール、リカバリーを極める」
 ●4月18日(土)「2019-20シーズンを振り返る」
 ●5月16日(土)「4回転ジャンプを、もっと知る」
 ●6月6日(土)「男子シングルの潮流を知る(1)」(旧採点時代から2009-10シーズンまで)


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