上野のおばちゃんちはジャズ喫茶だった。 狭い間口の入り口の真っ黒塗り扉には‘談話お断り’と書いてある。 中は薄暗く大音量のジャズが流れている。 狭い間口の奥には厨房が少しだけ明るく見える。 つきあたりの壁上高くには 正面壁面を埋め尽くすくらいの大きなスピーカーが備えてある。 薄暗い細い通路の両側に2人がけ程度の真っ黒な皮シートの座席が並ぶ。 ジャズを聴くだけのために訪れる場所なのだ。 メニューはブルーマウンテン珈琲とロールケーキ、 そしてソフトクリームのみ。 リクエ
小さい頃よく寿司屋に連れて行ってもらった。 カウンターで食べる神田の江戸前寿司だ。 連れて行ってくれるのはじいちゃん。 じいちゃんの口癖は、 「こんなことは学校では教えてくれないからな」入店前、横をみると おばちゃんが裏方でシャリを切るように混ぜているのが見える。 ちょっとツンとくる甘酸っぱい匂いと湯気のたった寿司屋の裏風景。 暖簾をくぐると、 しっかりと手入れのされた白木のカウンター。 一人一人の前に大笹が敷かれ、 ガリが添えられる。 白身も鮪も旨いが、この店の一番は穴
下町育ちのわたしは駄菓子屋が大切な心の拠り所だった。 今振り返ると駄菓子屋のおばちゃんから 学ぶところが多い。 わたしはクラスでも目立つ友達と遊んでいることが多かったが、 あまり目立つのが好きではなかった。 通知表にはよく書かれていた。 担任からの通信欄に 「もう少し積極的になりましょう。」って。 積極的ってそんなに必要だろうか? 先生はどんな想いで書いてくれているかわからないが、 1番できないことなんだよな。 集団のなかで目立って発信することは きっと社会にでてとて
私の子どもの頃の遊びは リカちゃん人形でもない。 おままごとでもない。 木製の型抜き台の上に 黒ゴムシートを置き パッキンの打ち抜きをあてて、トンカチで抜く。 何個も、何個も作る。 水道屋の娘として生まれ育っていなかったら、 こんなことしていなかっただろうな。 別に家業を手伝ってほしいと言われた覚えはない。 つまりは、仕事道具を勝手に遊びに使っていたというところだ。 子どもが作ったパッキンを売り物にしていたのかさえ聞いたことがない 笑 ただ、横で見ていたであろう、父
子供の頃、じいちゃんとよくお風呂に入った。じいちゃんの脇腹には戦争に行って機関銃で撃ち抜かれた傷跡があった。けれども壮絶な戦地の様子を彼は語らない。 彼が語るのは、戦地で現地の人から鶏の潰し方を教えてもらったこと。ささ身は生で食べられること、栄養価の高い動物性の食品を食べる手順を習得していたからこそ生き延びることができた事実。 そんなじいちゃんから子供ながらに感じとっていたことは、どんな困難なことでも、どうやって乗り切るかが大切だということ。語らずともその傷跡をみればわか
今日からnoteを始めます。 公務員栄養士からフリーランスに転向してそろそろ1年が経った。そろそろ何か記しておこう。そしてどうせ書くのなら、いつも公に言わないようなことを記しておこう。それならnoteが良いかな〜?となんとなく思い、始めることにしました。 今日から投稿開始というのに、つまらない記事タイトルかな 笑。 今日考えていることをここに書いたとしても、時間が経つと変わってくることって意外とあるなと思ったりしている。それって多分私だけではないと思う。そんなことを考え