見出し画像

機関銃で撃ち抜かれた脇腹

子供の頃、じいちゃんとよくお風呂に入った。じいちゃんの脇腹には戦争に行って機関銃で撃ち抜かれた傷跡があった。けれども壮絶な戦地の様子を彼は語らない。

彼が語るのは、戦地で現地の人から鶏の潰し方を教えてもらったこと。ささ身は生で食べられること、栄養価の高い動物性の食品を食べる手順を習得していたからこそ生き延びることができた事実。

そんなじいちゃんから子供ながらに感じとっていたことは、どんな困難なことでも、どうやって乗り切るかが大切だということ。語らずともその傷跡をみればわかることは敢えて話もしないし、辛すぎて話せなかったのであろう。

考えてみれば、敵地である現地の人から生き延びる方法を教えてもらうなんて凄い発想だ。思えば兵士達は戦地で戦っている時間ばかりではないものね。戦地での戦い以外の過ごし方、今生きているなら、聞きたいことがたくさんある。

でも、ヒントは1つだけしか教えないところも彼なりの教育論だった気がする。解決法を教わり上手くいくことより、困難なことを乗り越える解決法を自分で見つけることの方が何倍も自分の力になるから。

彼が孫のわたしに意図して論じようと思ったかどうかはわからないけれど。

当たり前だが「食べる」行為は「生きる」ということが大前提にあること。

機関銃で撃ち抜かれても生き延びてきたことを、いとも簡単に、何食わぬ表情で話しをしていたじいちゃんと過ごすことができた時間を大切にして生きよう。

※じいちゃんは、私が「食」や「健康」の仕事に就くことに至るにあたり、とても影響を受けていると感じる。今後もじいちゃんとのエピソードは書いてみようと思う。














よろしければサポートお願いします。栄養士・管理栄養士の仕事が社会の中でより意味のあるものになる活動に使います。