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ベルギー映画 『Girl』 への考察、トランスジェンダー女性ダンサーへの想い

普段は職業柄ゲイの同僚に囲まれて生活しているし、ベルギーは同性婚も認められているから、自分はLGBTの問題にはオープンであると思い込んでいた。
そして、今日観た映画で、考えを改めさせられた。考察なんて言ったらおこがましい。
ただ、自分が感じたことをここに残しておこうと思う。

2018年ベルギー制作の『Girl』
“バレリーナを夢見るトランスジェンダーの少女ララと、ララを支える父の物語”
ダンサーとかバレエにフィーチャーした映画が観たいなぁと思い検索してひっかかった作品で、そういえばベルギーの映画って観たことないからちょうどいいとみはじめた。


触れ込みの言葉が軽すぎたというか、実際にぎゅーーーーーーーーーーーっと凝縮すれば、まさに“ララと父の物語”なんだけど、そんな軽々しい興味でみはじめた自分をすぐに恥じた。

15歳のララはバレリーナを夢見る。でも現状の身体は男性として成長しているために、ホルモン治療を受け、後に性転換手術を予定するのだけれど。。。
わたしは勝手な思い込みで、ダンサーって人類で一番、心と身体が一致している人たちだと信じていた。以前投稿した、わたしがダンサーを愛する理由。

でも、例外で苦しむダンサーだってもちろんいるのだった。
この原作はベルギー出身のトランス女性ダンサーのノラ モンスクールによるものだ。
劇中のララは実はシスジェンダー(生まれた時の体の性別と自分の性をどう認識しているかが一致している人)の男の子であるのだけれど、彼がみせるララの表情や、レオタードを着てしなやかにバレエを踊る姿は、ただひたすらに大きな大きな悩みを抱える15歳の少女なのだった。治療に焦ってイラつくララに、父は優しく「お父さんも時間をかけて男になったんだ、ララも時間をかけて女性になったっていいんだよ」と言ったシーンがぐっときた。
そして、映画で描かれた苦悩はそれでもとてもオブラートに包まれているほうだと感じた。

わたしには10代後半に拒食症の経験があり、そこから自分の身体と心が一致しない時期が長く続いた。自分の身体の愛し方がわからなくって、わたしの身体に入っている心はいつも身体に意地悪をするし、その判断が正しいのか自分自身には“わからなくなっていること”が分からなかった。
幸運にもわたしの心と性別は一致しているので、その点においてはよほど彼女、彼らよりはうんと楽な立場だろう。
ただ、心と身体が一致しないっていうのは、ものすごく辛いことなんだという体験はした。
そして世の中には、もっと辛い状況で、もっと厳しい状況で、自分の置かれている性別と環境とたたかっている人たちがいる。
みんな自分自身を好きでいるために、愛するために犠牲にしたり勝ち取ってきたものがある。
今、苦しんでる人たちがいる。
だったらみんなリスペクトしあったらいいじゃない。
もちろん宗教の問題等で難しい場合もあるのだけれど。。。


ちなみにシスジェンダーという言葉は、
トランスジェンダーの対義語として生まれた。
トランスジェンダーのみに言葉が当てられていては、
こころとからだの性が同じ=一般的
トランス=普通でない
と区別されない様にするため。
シスジェンダー(Cisgender) のCis は、英語で“こちら側にものが集まっている状態”をさし、
トランス(Trans) “乗り越えて移動している状態“の対義語となる。

この壮絶な想いを、勇気を持って、
映画というかたちでシェアしてくれた原作の
ノラ モンスクールにありがとう。
彼女は現在、ドイツのマインツという都市で、有数なコンテンポラリーカンパニーのダンサーとして活躍している。
無邪気、無知ではいられない、
Girlを見て改めてそう思った。


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