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空間への考察、光と闇で仕切られたパレドトーキョーの真の姿

ヨーロッパではワクチン摂取が進んでいて、これまでロックダウンだった都市が次々に規制緩和を行なっている。
わたしの住む街アントワープからパリまでは、高速列車で約二時間の距離。
パリコレでランウェイショーが行われていた一年半前までは、仕事柄、半年毎にパリを訪れていた。
そんなこんなで一年半ぶりのパリ!弾丸ホリデー!仕事抜き!!
二回のワクチン摂取が終わっていない人の国をまたぐ旅行には、PCR検査が義務付けられているから、まだまだ自由とはいえないこの現状。でもしょうがない。。。ルールはルール。
さぁ、お目当ての美術館に直行!!
パレドトーキョー!!

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パリの東南に位置する、セーヌ川越しにエッフェル塔を見下ろす好立地に建てられたこの美しきミュージアムはなにを隠そう、“トーキョーの宮殿”と名付けられている。
ミュージアムが建つセーヌ川沿いの通りが、第一次世界大戦の同盟国の日本の首都にちなんで
トーキョー通り(Avenue de Tokio) と呼ばれていたことから、トーキョーの名前がついたのだが、第二次世界大戦では敵国となったため、大戦後には通りの名前はニューヨーク通りに改名されたのだけど、建物の名前はトーキョーのままに落ち着いたのだった。パレドマンハッタンとかにならずに、トーキョーのまま今も残るのは、現在もフランス人の親日とリスペクトがしっかりと感じられることなのである。

そしてこのパレドトーキョーは、パリファッションウィークでは、忘れてはならない重要な場所だ。
パリコレ期間中では、美術館や市庁舎など、公共の場所をランウェイショーの会場にすることが多いのだけど、パレドトーキョーも毎シーズン、どこかしらのブランドがファッションショーを行うお馴染みの会場なのである。
例にもれず、わたしの働くブランドも、パレドトーキョーさまにお世話になっている身なのである。

今回のパレドトーキョーのエキシビションは、2017年のベネチアビエンナーレのゴールデンライオン受賞者であるドイツ人ヴィジュアルアーティストAnne Imhof (アン インホーフ) と、彼女によるキュレーションで成る他30人のゲストアーティストによる大掛かりな展示だった。

https://www.palaisdetokyo.com/en/event/carte-blanche-anne-imhof

パリコレ期間中はパレドトーキョー側は、一定のスペースを間仕切りしてショースペースとして明け渡す。大きな展示空間が、ファッションショーのためにいくつにも区切られてしまう。
なのでわたしは、今まで、真のパレドトーキョーの姿を、その巨大な骨組みを知らなかった。

今回のエキシビションは、そのいっさいの間仕切りを取っ払って、アン インホーフのキュレーションに導かれながら、パレドトーキョーの心臓から、枝分かれした血管を辿って全ての臓器を探訪出来るという、実に贅沢で大胆な企画だった。
ファッションショーが存在しない恩恵がこんなところに有るなんて。
職業柄、パリコレの無いファッション業界なんてと嘆いていたわたしだったけれど、思いもしないところに、そのネガティヴな思いを回収できる出来事が転がっていたのだった。

広々とした空間は、グラウンドフロアー、地下一階、地下二階へと繋がっている。建物が丘に建っているために、地下階でもところどころ自然光が入る特殊な作りになっている。
自然光だけでなく、意図的に人口ライトを使ったりして、空間の明暗を実験的に作り上げていた。
天井がゆうに10メートル、奥行きは50メートル四方はあろうかという巨大な空間を、廃墟となったオフィスビルから集められた大きなガラスパネルで仕切り、一種の迷路を作り出す。
時にはガラスにグラフィティーワークがされていたり、反射で映る自分の姿があったり。
その途中途中に、さまざまな形でゲストアーティストによるアートワークが展示されている。

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迷路は訪れる人によって道順を変え、さまようことによって無限の可能性を与える。
思考を働かせることによってより注意深く、自分の進む方向と壁(ガラスパネル)の位置を探り、その外側と内側の距離感や空気感を感じ、常に感覚が研ぎ澄まされている状態を作り出す。
光の明暗も心理的に非常に上手く作用していて、特に暗がりでは人々は減速して作品により慎重に目を向けるのに対し、自然光に満たされたスペースではリズムを早め、テンポの良い散歩のようにその空気を感じるのだった。

透明なガラスパネル以外には、その空間を仕切るのは光と闇だけだった。
いつもの閉ざされた“ショー会場=限られた人だけの集まる空間“のイメージから、アン インホーフによって余計ないっさいの骨組みを剥がされたパレドトーキョーは、ただただひたすらに、スペースとしてかっこよかったのだった。

空間のためのエキシビション。
一人のアーティストのチャレンジは
その空間のもともとの姿と、
新たな可能性の爪痕をしっかり残した。






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