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明石家さんまさんから学んだ「アウトプットイメージ」の重要さ

もう10年以上前になるが、筆者が日本の大学に勤めていたころ、単発でいくつかのテレビ番組に出させていただくことがあった。ニュース番組やバラエティ系情報番組で専門に関する解説をするような仕事が主だったが、特に印象に残っているのは明石家さんまさんの番組に出たときだった。

それは、さんまさんがホストを務める「ほんまでっか!?TV」という番組で、今でも特番でやっているので知っている方も多いかも知れない。当時はある分野の「専門家」がある種の「トンデモ理論」を話し、それを面白おかしく議論するという番組だった。当時はかなり人気番組だったので覚えておられる人も多いかもしれない。

筆者はその番組の特番で、「いままで番組に出たことのない新人専門家大会」のような企画に出させていただいた。収録日当日、筆者がテレビ局にいくと、大部屋に案内された。そこには今回の企画で筆者同様に「デビュー」する新人専門家の方々がたくさんおられた。

他の収録と抱き合わせだったため、筆者の収録回来たのは予定より5時間ほど遅れてしまった。そのため、自然に同部屋の人々と挨拶をし顔合わせをしたのだが、日本全国からさまざまな評論家(と呼ばれる人々)が来ていて驚いた。中には、地方局のテレビのほぼレギュラーの人もいて、ほとんどの人は筆者より明らかにテレビ出演慣れしているようだった。

そして、筆者の出番が来たのは。ホストであるさんまさんは3本目の筆者の回までに、すでに7時間以上収録していたにもかかわらず、信じられないようなテンションでテレビで見るまんまの姿で収録に臨んでいた。

さんまさんの面白さ、司会の巧みさは、テレビで皆さんがいつも見ているとおりだ。この話は10年以上前なので、当時のさんまさんは今以上にキレキレで、参加していた筆者も終始爆笑しっぱなしだった。

とはいえ、テレビ収録、とくにバラエティ番組出演の経験などほとんどない筆者は、素人感丸出しで緊張しまくっていた。収録中なにを言ったかあんまり覚えていない。さんまさんのほかにも、ブラックマヨネーズや島崎和歌子、マツコデラックスといった有名人がぽんぽんとリアクションする中、素人の筆者は縮こまっていたように思う。

当時、授業を持っていた大学の学生が番組を見ていて「先生、授業やってるときのオーラのかけらもないwww」とツイートされ、笑われていたくらいだ。

そんな収録が終わって、番組を見たとき、ものすごく衝撃を受けた。

明石家さんまという人の生産性に衝撃を受けたのだ。筆者の出演回の収録自体は3時間程度で、オンエアは2時間分だった。CM等を除けば、1時間半弱がコンテンツとなる。

当然収録後にはテレビ局のスタッフがVTRを編集するのだが、見てわかったのは、さんまさんの話やギャグの入れ方、他のゲストへの振りなどは、すべてテレビ局がどう編集するか、どうしたら編集しやすいか、まで計算して行われていることだった。

思い出してみると、収録の際、さんまさんがひとりしきりゲストと盛り上がった後、オチがついたところでガクッとひざを落とし「もおええわ!」と話題を切る場面があった。実はそのとき、ゲストの一人がまだ話そうとして身を乗り出していたのだが、さんまさんはあえてそれを無視して、そのオチで話を切っていた。それまでは、非常にゲストを立てるような司会ぶりだったのに、その場面だけバチッと場を切ってしまっていたので、印象に残っていたのだった。

オンエアを見ると、さんまさんがひざをガクッと落として「もおええわ!」となったところで、客席が爆笑、そのタイミングでCMに入るという、とてもきれいな流れになっていた。

つまり、さんまさんは即興で司会をこなし、笑いを取りながら、「仕事の完成形のイメージ」も一緒に、その場で感知して場を仕切っていたのだ。

筆者も大学院生時代に指導教員の先生から、研究を始めるときにはもう、最終的に発表する論文の構成やイメージを持っておかなくてはいけない、と教わった。だが実際にやってみるとそれはとても難しく、一流の学者でなくてはできない事を思い知った。

なぜなら、研究も当初の計画通りには行かないことがほとんどで、どんどん変更するからだ。一流の学者は、その変更に応じて最終的なアウトプットのイメージをアップデートしていく。今の研究の価値を最大にするには、どのようなアウトプットが最適かを常に考え、形を変えていくのだ。

明石家さんまという人は、テレビの世界で、司会と笑いをこなしながら、それをほぼ瞬時に考えて行っている。そのことを思い知った。日本のエンターテイメントの第一人者として、長い間フロントランナーでいられる、その秘密を垣間見た気分だった。

重要なのは、さんまさん以外の人、特に素人の出演者の人々は、そんな「アウトプットのイメージ」などまったく考えていないことだ。彼らは(筆者も含め)、収録では自分のやることで精一杯で、編集のことを考える余裕もない。したがって、時には暴走するし、オンエアには適さないこともやってたり、無駄に尺をとってしまったりもする。さんまさんは、そういう人々をもまとめつつ、番組として理想的なアウトプットを出せる人なのだ。

それだけではない。実際の編集の仕事は、テレビ局の他のスタッフが行う。それについて、さんまさんが一緒にいて編集を行う時間的余裕はないはずだ。ならば、さんまさんはスタッフがどのように仕事をするかを心得ていて、その仕事ぶりに応じた仕切りを行っているはずだ。自分だけではなくチームでアウトプットを出す際に、他メンバーの仕事の仕方や好みなどを熟知していなくてはできない芸当だ。

このときから、仕事を行ううえで、常にチームとしてのアウトプットの最終形を意識するようになった。

チームの他のメンバーがどのように仕事をするか、それに応じて、各人が最大限能力を生かせるように、こちらもできるだけサポートする。もちろん、アウトプットのイメージはチームで共有する。そうすると、生産性があがる上に、自分のスキルも上がる。

なぜなら、仕事の過程で、仮想的なアウトプットをイメージしては、仕事に変更が生じるとそれを捨て、別のイメージをまた考えることで、先日の記事で書いた「真・仮説検証」のプロセスを踏むからだ。その経験を踏めば踏むほど、ますます仮説検証に磨きがかかり、先の見通しもできるようになる。それをチームで行うと仮説検証のスキルの共有も行える。

先日の村上の記事、「課長のヒント:部下には議事録じゃなくて議前録(ギゼンロク)を書かせよう」を読んでいたら、これと実は同じ訓練であることに気づいた。

これから何か起こり、どう帰着するのかをあらかじめ予測し、イメージすることで、仕事の能力が磨かれるのだ。部下に仕事の最終形のイメージを考えさせ、共有し、改変過程を経験させることが、上司としてできる重要な教育になる。


考えてみれば、スティーブジョブズは世界の誰よりも先に、iphoneやipadのイメージを持っていた。そしてそのイメージは私たちの世界を変えた。先駆者は常に明確なアウトプットイメージを持っているのだ。

文責:渡部 幹

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