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ナルト×考察:NARUTOの世界観をアドラー心理学で語る思考実験【Ep18】
こんにちは、ひとかどさんです。
先週の「アドラーの心理学」はいかがでしたか?
「なんかわかったようなわからないような…ムズかしい」そんな感想をお持ちかもしれません。そこで、今回は、「アドラーの心理学」の思想を、漫画『NARUTO』の世界観に持ち込んで理解を深めたいと思います。
題して、「長門(ペイン)とアドラーのやり取りを思考実験してみた」です。
では、お楽しみください。
「アドラーの心理学」とは?
前回の復習ですが、「アドラーの心理学」は、心理学というより、一種の哲学的思想ともいえ、いくつかの核となる考え方がありました。それが、①共同体感覚、②目的論、③横の関係、④劣等感、⑤人生のタスクと人生の嘘、でしたね。
もしも、こういう考え方を持ったアドラーが、漫画『NARUTO』史上屈指の難問シーンともいえる「あの場」に居合わせたら…、一体、アドラ-は相手とどんなやり取りをしたか、という思考実験が今回の試みです。
「あの場」とは?
さて、「あの場」とはなんでしょうか?
それは『NARUTO』巻ノ四十七で、ナルトがペイン天道(以下、長門と呼びます)と対話していた場であり、ナルトが長門に、平和をつくるために忍の世界にはびこる「憎しみ」とどう向き合うかを問われたシーンです。
(ちなみに、この時、ナルトは「わからない」と返答しますが、後に、「師匠・自来也が信じたことを信じる=いつか、人が本当の意味で理解し合える時代が来ることを信じる」という答えを出しています)
忍の世界は憎しみに支配されている
お前なら平和をつくるためにこの憎しみとどう向き合う?
お前の答えを聞こう(ペイン天道)
…分かんねェ…
そんな事…(うずまきナルト)
「憎しみ」と「平和」は、『NARUTO』の世界観を貫く非常に難しいテーマであり、大人にとっても難問といえるでしょう。仮に、アドラーが「あの場」に居たら、そこにどのような議論を持ち込むのか考えてみるのが、今回の試みです。
「あの場」の背景描写
もう少し、場面設定を丁寧に説明しましょう。
ペイン六道こと長門(ながと)は、『NARUTO』における主要キャラクターの一人で、木の葉隠れの里・砂隠れの里・岩隠れの里という3つの大国に囲まれた、雨隠れの里という「争いの絶えない小国」に生まれました。
幼い頃に、大国同士が争う戦争中、木の葉隠れの里の忍によって長門の両親が殺されます。これが、長門のとって、一つ目の「痛み(英語でPain=ペイン)」です。
この「痛み」を背負った長門は、弥彦・小南に出会い、自来也に出会い、共に修行し、成長する中で、「自分が、憎しみという呪いを解き、オレが平和を掴み取る」と決意します。
しかし、その後、長門は、目の前で親友の弥彦を亡くすという二つ目の「痛み」を経験します。これも結局は、戦争に伴う権力争いの代償(長門・弥彦・小南の勢力が伸びることを恐れた雨隠れの里の長の罠にハマった)でした。この時、長門は、両親を失った時に出したかつての自分の答えは「クソ以下」だったと気づきます。
成長したはずなのに何も変わらない。大事な存在も守れない。そんな長門は、戦争をなくし、世界を平和にするためにどうすべきかをさらに考えます。生前弥彦が言っていた「こんな戦いの続く世界ならーーボクがこの世界の神様になってやる!」という言葉を思い出しながら。
その結果、長門が辿り着いた答えが、「本当の痛みを世界で共有する。世界が痛みを知れば、その痛みの恐怖が戦いの抑止力となり、世界に一時の平和が訪れる。そしてまた痛みを忘れた時には、また痛みを分かち合う。そうやって、終わりなき憎しみの連鎖に縛られた世界を、痛みによって成長させる。自分はそれを成す“神”になる」というものでした。
自分で考え、答えを見つけた長門。「世界に痛みを」という信条のもと、ついには、自身の能力で、木の葉隠れの里を壊滅的なまでに滅亡させました。
そのときに、長門と対峙したのがナルトでした。
なぜこんなことをするんだ、”オレの里”をこんなにしやがってふざけるな、そう憎しみをぶつけるナルトに対して、長門は「これが、おまえたちがおれたちにやってきたことだ」「少しは痛みを理解できたか?」と、そう言うのです。
そして、「同じ痛みを知らなければ他人を本当には理解できない」と、ナルトに説くのです。
しかし、上述のとおり、憎しみに向き合い、どう平和をつくるかという問いに、何も答えられず、力なく「わからない」と口にするナルトを、長門は「答えを示せないお前に何ができる?」と一喝するのですが…
お前達大国の平和は、オレ達小国の犠牲の上に危うく成り立っているだけだ
お前達の平和が我々への暴力なのだ
人は生きているだけで気付かぬ内に他人を傷つけている
人が存在し続けるかぎり、同時に憎しみが存在する
この呪われた世界に本当の平和など存在しない
(長門)
さぁ、前置きが長くなりましたが、いよいよ本題、この時この場に、アドラ-がいたら、長門に何を伝え、また長門はどのように切り返し、果たしてどんな対話を繰り広げるか、それを思考実験してみよう、というものです。
では、行ってみましょう(以下、対話形式となります)。
対談:長門とアドラーの場合(起)
(長門)お前なら平和をつくるためにこの憎しみとどう向き合う?お前の答えを聞こう
(アドラ-)わかった。答えてみよう。
(長門)…?おまえは誰だ!?
(アドラ-)おぉ、わしはアルフレッド・アドラー。まぁ、心理学者と名乗っておこうかの。そんなことより、おまえさんの質問に、端的に答えるなら、「里という概念をなくすこと」じゃろう。
(長門)なんだかわからんが、まぁいい。ほう…。「里」という概念をなくすか。
(アドラ-)そうじゃ。だが、その前に、そもそもおまえさん、「神になった」などと言っておらんかったか?
(長門)ああ。おれは、世界に痛みを共有し、この未熟な世界を成長させ、真の平和に導くため、人から「神」になったのだ。
対談:長門とアドラーの場合(承1)
(アドラ-)聞きたいのじゃが、おまえさんは、神を、人の上に立つ存在と捉えておるのかの?
(長門)そうだ。未熟な世界に、おれが教えてやるのだ。「痛み」を。「憎しみ」を。そして「本当の意味での世界の平和」をな。
(アドラ-)ふむ。どうやらおまえさんは“縦”の関係で生きておるな。
(長門)“縦”の関係?
(アドラ-)そうじゃ。本来人には上下関係は存在しないのじゃよ。それが例え、総理大臣でも、アルバイトでも。部長でも、係長でも。皆が共同で生きるこの社会では、社会的な役割の分担があるだけで、本質的な上下関係は存在しないのじゃ。もっといえば、赤ちゃんと大人でも、子供と親でも、身体的な発達段階や経験に違いはあっても、上下関係なんてものはないのじゃよ。
(長門)ソウリダイジン?ブチョウ?何をわけのわからないことを言っているんだ、貴様。
(アドラ-)すまんすまん。要は、我々人間は、この共同社会で “横”の関係で生きているということじゃよ。なんで、わしがそう考えるか、疑問に思わんかね?
(長門)ふん。知るか。
(アドラ-)それは、人が、数ある生物の中で、そもそも劣っている生き物だからじゃ。
(長門)人が劣っている…生き物……?
(アドラ-)そうじゃ。人間には鳥のような翼はないじゃろう。馬のような速い脚もないじゃろう。魚のようなエラもないじゃろう。だから、人は元来、隣人と協力し合って、というより、協力しなければ生きていけなかった、そんな「協力関係を前提にした」存在なのじゃよ。
(長門)だったらなんだというんだ。
(アドラ-)劣っているとはいえ人間は素晴らしい発明をした。それが、「分業」じゃよ。人は、みんなで役割を分担し、社会を形成した。そう考えるなら、おまえさんが「痛み」を知っていることは、「神」として人の上に立ち、世界を成熟に導く、“縦”の関係の根拠にはなりえないのじゃよ。
(長門)「痛み」を知ったのは、おれの役割だとでもいうのか?
(アドラ-)そうじゃ。
(長門)…。
(アドラ-)そう考えられるなら、「痛みを、“横”の関係として、共有する」という感覚は、まぁ、そこそこ理解できる。実際に実行するかどうかは別としてじゃがの。
対談:長門とアドラーの場合(承2)
(長門)戯れ言はいい。結局、おまえは「里という概念をなくす」といったが、それが、世界が平和に至るためにどう繋がるというんだ。
(アドラ-)まぁ焦るでない。もう少しおまえさんと話をさせてほしいんじゃ。おまえさんは、「世界を平和にしたい」という目的を持って思考し、行動している、そういうことじゃな?
(長門)まぁな。
(アドラ-)わしはこれを「目的論」と考えておる。つまり、人は、目的に沿って思考し、行動する生き物なのだと。
(長門)だからどうした。
(アドラ-)「神たる自分が世界を導く」とおまえさんが考えたことは、“縦”の関係を前提に置いたものであって、“横”の関係を基本とする人間の共同社会の側面から望ましくないことは先ほど指摘したとおりじゃが、これはおまえさんの目的がそうさせたともいえる。じゃあ、“横”の関係をベースにして、おまえさんの同じ目的に沿って思考し、行動した場合の、別の可能性を考えてみんか?
(長門)無駄なことだ。
(アドラ-)まぁまぁ。おまえさん、「愛」とはなんだと思う?
(長門)いきなり何を言っている。気持ち悪いやつだな。「愛」だと?それは「憎しみ」の対極に位置するものだ。
(アドラ-)なるほど。それも一つの答えじゃな。
(長門)それ以外にないだろう。
(アドラ-)そうか。わしは、「自己中心性からの脱却」だと考えておるよ。世の中には、大人なのに弱さで他人を支配しようとする「甘やかされた子供」のライフスタイルを引きずる大人が実に多いんじゃよ。例えば、赤ちゃんというのは大人に対して絶大な支配力を持っておる。これは、実は「弱さ」ゆえなのじゃ。何もできないからこそ、大人は手を焼き、世話をする、これはある意味当然じゃの。
(長門)話が長くて付き合ってられんな。
対談:長門とアドラーの場合(転)
(アドラ-)問題はこの先じゃよ。こんな赤ちゃんのような弱さで周りの人を操り、支配しようする、そんな大人がいるとしたら、どう思う?
(長門)そんなやつはいない。
(アドラ-)いや、今のおまえさんがそうじゃ。
(長門)なん…だと…!?
(アドラ-)かつて、親を亡くし、親友を亡くし、そんなおまえさんはさぞ辛かったことじゃろう。そしておまえさんは、その辛さを「世界を痛みで変えること」を正当化する理由として使っている。辛かったから、可哀想だから、そんな自分は世界を痛みで支配していいんだと。それは、「弱さ」で人を支配しようとする行為と本質的には何ら変わらない、とても傲慢な考え方だとすらいえる。
(長門)おれが弱いだと…?おれが傲慢だと!おまえごときに、おれの何がわかる!おれの辛さがわかってたまるか!
(アドラ-)そうじゃろう。じゃがそこまでじゃ。
(長門)そこまで…?
(アドラ-)そうじゃ、そこまでじゃ。辛い経験があったことはわかった。じゃが、それ以上、わしはおまえさんの領域に踏み込むことはないし、おまえさんもわしが踏み込んでくることを期待せんでほしい。
(長門)何を言っている…?
(アドラ-)おまえさんが壮絶な経験をしたことはわかった。だが、だからといって、それが、その「弱さ」は、わしがおまえさんを迎合する理由にはならない。
(長門)…!?
(アドラ-)繰り返すが、「弱さ」で世界を支配しようとすべきではないんじゃ。それは、自分が世界の中心であり、自分の人生を“自分が主人公のドラマ”と捉えているからこそ生まれる発想じゃ。むしろ、「弱さ」を乗り越え、共同体たる全人類と、共に立ち、この世界を平和にする。それこそが、わしのイメージする「愛」、「自己中心性からの脱却」なのじゃ。
(長門)…(自来也も、「痛みで世界を導くより、痛みを乗り越えたお前の力でそれを成し遂げて欲しかった」と言っていたな…)。
(アドラ-)おまえさんが「中心」にいる世界。壮絶な経験を持ち、辛い自分はさぞ可哀想じゃろう。親や親友を殺した戦争は、忍の世界はさぞ憎いじゃろう。じゃが、自分を「中心」に据えた世界とは決別すべきじゃ。ここからは、共同体である皆とともに生き、これからどうするかに目を向けて…ん、どうした?
(長門)いや、何も…(うつむく長門)。
対談:長門とアドラーの場合(結)
(アドラ-)そろそろ話をおまえさんのもともとの質問に戻そうかの。「平和をつくるために憎しみとどう向き合うか」それがおまえさんの質問じゃったな?
(長門)…。そうだ。
(アドラ-)そして、わしは「里という概念をなくすことだ」、そう答えた。
(長門)…。そうだ。
(アドラ-)もうわかっておるじゃろう。なぜ「里という概念をなくすこと」なのかの理由を。なぜなら、「里」という概念があるから、内と外、すなわち敵と味方がうまれるのじゃから。共同体として生きる我々人間にとって、敵や味方という感覚は、協働を阻害する最たるものじゃ。
(長門)痛みを共有するのではなく、敵や味方という概念をなくせば、世界は平和になる、と…?
(アドラ-)もっと抽象的に言うなら、「共同体感覚」を持つこと、とわしは表現しておるよ。恐怖で人を支配するのではなく、人が元来持っている「共同体感覚」を呼び起こす。それが、世界が平和になる方法だと、わしは信じとる。
(長門)…(自来也先生…。おれは……)。
(アドラ-)また話そう。ナガト君や。
おわりに
はい。こんな感じの会話になるのではないでしょうか?
ちなみに、ペイン編の後、『NARUTO』は忍界大戦編へと突入し、里の垣根を越えた「忍連合軍」が結成され、「里の概念がなくなる」世界が実現するのですが、アドラ-は、そのときににっこり微笑んでいるかもしれませんね。
ストーリー調でお届けした今回の記事はいかがでしたでしょうか。
楽しんでいただけたら幸いです。
ではまた来週お会いしましょう。
【参考資料】
『NARUTO』巻ノ四十一「自来也の選択!!」
『NARUTO』巻ノ四十二「万華鏡の秘密…!!」
『NARUTO』巻ノ四十六「ナルト帰還!!」
『NARUTO』巻ノ四十七「封印破壊!!」
『NARUTO』巻ノ四十八「歓呼の里!!」
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