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【自己紹介】VISION合同会社 代表 植田仁

noteをご覧のみなさん初めまして。
VISION合同会社 植田 仁(うえだ ひとし)と申します。


経歴・キャリア

滋賀県 出身
滋賀県立 彦根東高校 卒業
同志社大学 経済学部 卒業
Winnipeg University 交換留学
University of California Santa Cruz 交換留学
味の素 株式会社
VISION合同会社設立 

事業内容

レンタルスペース事業

小売事業

キャリア支援事業・営業代行事業

講演事業

事業の詳細は後ほどご紹介します。

TOPICS

植田仁【グルメ旅】 on Instagram: "‥★ 高千穂峡は阿蘇山の火山活動によって噴出した火砕流が冷え固まり、それが五ヶ瀬川に侵食されたことで誕生しました。 ✳︎ まるで人の手で切り取った柱のようにまっすぐ伸びる岩々も自然にできたものです。 ✳︎ これは「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」といい、火砕流が冷え固まる時に凝縮し亀裂が入ることによってできました。 ✳︎ 1934年には国の名勝・天然記念物に指定されています。 ✳︎ 高千穂峡のシンボル「真名井の滝」は高さおよそ17mから落ちる滝で、日本の滝百選に指定されています。 ✳︎ 遊歩道の滝見台からの眺めが絶景スポットで、神秘的な峡谷美を堪能することができます。 ✳︎ およそ1㎞ある遊歩道には3本のアーチ橋を同時に見ることができる「高千穂三橋」や、高千穂の伝説に残る荒ぶる神「鬼八(きはち)」が投げたという「鬼八の力石」など、神話と伝説にゆかりのあるスポットが多くあります。 ✳︎ #日本の風景 #日本の絶景 #絶景 #旅スタグラム #旅 #九州旅行 #高千穂峡" 238 likes, 0 comments - hitoshi5521 on June 6, 2024: "‥★ 高千穂峡 www.instagram.com

毎月いろんなところに旅しています。
経営でも人生でも三現主義を大事にしていて、現場、現物、現状を意識しています。
自分の目で見て触れて感じることを大切にしていました。
今回は宮崎県の高千穂峡に行ってきました。
神話が多数生まれたエリア。感動しました。

自己紹介

幼少期(家族)

MHLW(厚生労働省)調べによると出生児平均体重は、三,〇七六gところ、私は、四,四五〇gという超巨大児として誕生。
保育器に収まりきらず、いきなり一般病棟デビューであだ名が「ジャンボくん」として世に生を授かりました。

滋賀県のど田舎出身。
最寄りのJRが十キロ近く離れており、初めて近くに出来たコンビニもチャリで四十分。『convenience store』とは、『便利な店』なのに便利ではない笑
家の裏は蛍が飛んでます。村全体が家族のような田舎町で愛情たっぷり受けて育ちました。

父:小学校教諭
母:保育士
父も校長、母も園長まで勤め上げました。
社会人になって、世の中を知って、二人の凄さをよる体感しました。
共働きしてくださったおかげで何不自由なくやりたいことをやらせてもらえました。
感謝してもしきれません。

「真面目」という字に、ふぅっと息を吹き込むと出来上がるんじゃないかというくらい、真面目そのものの長兄は高校教諭。私にとって東京に出て自分を成長させたいと思わせてくれた、ずっと私にとって憧れのかっこいい次兄が地元で銀行マン。

二人が末っ子の私がやりたいことをいつもサポートしてくれました。
いつも支えてくれている二人の存在に頭が上がりません。

戦争も経験した厳格な祖父。公道よりも狭い農道のほうが運転スピードが速かったのがめちゃくちゃ印象に残っています笑
僕が百八十五センチの大きな体になったのは、毎回とんでもない量のご飯を作ってくれた貢献心の塊である祖母のおかげです。

本当に世界一幸せな家族のもとで育てて頂いたと心から思っています。

中学校(野球との出会い)

人のご縁に恵まれて続けている人生だとつくづく感じてます。

尊敬する二人の兄の背中を追いかけて、小学校時代は二人がやっていたサッカーに私も明け暮れていました。
そしてサッカーをやる気満々で中学に進学したら、一年間サッカー部休部という憂き目に遭いました。田舎なのでクラブチームもありません。
一人で三年練習して高校で再度サッカーをやるつるつもりでした。
その時に、兄から野球部に入りなさいと強く薦められました。
理由は「人」
当時の野球部監督が、滋賀県陸上界の走り幅跳び記録保持者で、陸上部が無い関係で野球部を指導しておられたのです。
野球の技術だけでなくトータルの体作りにも力を入れておられる指導が好評なので、野球をやるというより体づくりをして、高校でサッカーをやればいいという理由でした。
ひょんなことから野球を始めてみたら、見てるのとやるのでは大違い。
全然バットにかすりもしない、フライが取れない自分の出来なさが悔しすぎて、何クソって思ってやっているうちに完全に野球にハマりました。

高校(恩師との出会い)

起業家として仕事に邁進する日々で感じるのは、野球を通じて学んできたことが全ての糧となっていることを体感しています。

当初高校は、楽しく野球が出来たらいいなという基準で選んでいました。
選んだ高校も毎年初戦敗退が多い弱小校。勉強をメインに頑張って、一回戦くらいは勝てたらいいなという程度でした。
ただ面白いのは誰から学び誰と頑張るかで同じ野球でも大きく変わることです。

私の入学と同時に監督になられた方が、別の高校で後にプロ野球選手になる生徒を育成して強豪校にまで成長させた先生でした。
それが私の恩師今井先生です。

毎年一回戦負けのチームが監督就任半年で秋季滋賀県大会滋賀県優勝。
誰から学ぶかで大きく変わることを体感しました。夢の甲子園出場まであと1勝というところで敗れ、甲子園の夢は叶いませんでしたが、野球を通じて人格形成ができました。

目標の大切さ
やるべきことを愚直にやり続けること
努力は裏切らないこと
強烈に達成をイメージしてその逆算でチャレンジすること
高めあう仲間の大切さ
成長と達成のサイクルの魅力
自分と仲間の為にと思うととんでもないパワーが出ること
今を一生懸命生きることの大切さ
一分一秒を成果に効果的な時間にすること。

あげ出したらキリがないくらい野球が教えてくれました。
本当に感謝しています。

大学(英語と旅)

野球に傾けた情熱を今度は英語学習の習得に注ぎまくった学生生活。
留学という夢を叶えて、半年間のWinnipeg University 交換留学。
半年行ってもっと長い時間を過ごしたいと、一年間University of California Santa Cruz 交換留学もしました。
そんな選択肢を下さった家族に本当に感謝しています。

英語にハマれたのは、可能性の広がりです。
日本語だけだとリーチできて1.2億人の方と意思疎通が出来る。
英語ができると、英語は世界公用語なので、78億人全員と意思疎通が出来る。頑張った分だけ自分に返ってくるからこそ、夢中になって努力しました。

留学をして一番感じたことが、今の経営や人生の指針につながっています。
それは「自分のアイデンティティは日本人である」ということです。
これはもう変えられない事実であり、もっと誇って生きていきたいと、海外にいって客観的に日本を見れて、灯台下暗しで、気づけていなかった日本の美点や、日本人の長所を感じ、もっと良さを発揮したい、自分が発信できる人になりたいと、自分の道が決まった瞬間でもありました。

就職(日本発世界へ)

「日本発世界へ」が私の人生の指針になりました。
世界で活躍できるような人材になる。
世界に日本の良さを発信して世の中に貢献する。

うってつけの会社が味の素株式会社でした。
辞めた今でも味の素製品が大好きですし、思い入れが半端ないです。

一営業として、その前に一社会人として大事な基礎を徹底的に叩き込んで頂きました。失敗の数が多すぎて、多くの方に本当にご迷惑をおかけしました。根気よく愛情持って関わってくださったことがありがたかったです。

三年目を迎えたときに、自分にとっては転機が訪れました。
仕事はやりがいがあり、仕事を少しづつ自分で回せている手応えを掴み始めて、目の前のことで精一杯という二年間から先を見て仕事が出来るようになりました。

そうなって始めて将来を考える時間が出来ました。
「どうなりたいか?」キャリアプランとしては、海外転勤や、商品開発など、やってみたいと思うことが沢山あってワクワクしていました。
ただ、理想と現実との大きなギャップを感じたのがライフプランです。

仕事が出来る先輩、上司をめちゃくちゃ尊敬していましたし、いつも学ばせてもらっていましたが、その人のプライベートひっくるめてなりたい姿か?というと首を縦に振れない自分がいました。

自分が高望みしていたのかもしれません。ただ、悪くはない人生はベストな人生ではない。仕事も家庭も自分自身の幸せも全部叶えたいと思った時に、どれかを取るとどれかは我慢のように私には見えました。

起業(出会いが人生を変える)

同年代はどんなことを考えているのかを知りたくたまたま参加した大学の同窓会が私の人生のXDAYとなりました。
そこで起業家として成功している同級生との再会をしました。
そこから、会社員という繋がりだけでなく、起業家との繋がりが増えました。
出会いを通じて、起業家の生き方、仕事への姿勢、達成している豊かさ、周りを大切にしているレベル、人生の選択肢の多さに魅了されていきました。

一度きりの人生なら自分もそうなりたいと思い一念発起して起業に踏み切りました。ダブルワーク四年で軌道に乗せ、現在に至ります。

事業内容

現在様々な事業をパートナーと共同で手掛けています。
理念としてあるのは「日本発世界へ」です。

style table 渋谷ヒカリエ店

SDGsの中の、エシカル、サステナブル、ヴィーガンをコンセプトとした、地球環境に優しい商品を取り扱うお店のオーナーをさせてもらっています。
七つのアイコンがあり、商品ごとの特性を表示し、お客様に商品を深く理解していただけるように工夫しております。
大きく纏めるとすると、オーガニックと分類される商品ラインナップが多いのですが、その内の約八割が「Japan made」の商品を取り揃えています。
「日本発世界へ」として、インバウンド需要の多い渋谷から発信をして、ゆくゆくは世界への出展を目標としています。
Japan made は世界からも信頼を得ているクオリティであることは間違いありません。素敵な商品を取り扱わせていただき、発信し、世界中のお客様に手に取っていただき、日本の良さを通じて人の人生に貢献していきます。

TaTaMi レンタルスペース

和の良さ、畳の良さ、日本の良さを知ってもらいたいと思いスタートさせました。
和室で畳にみんなで座って憩いの時間、くつろぎの時間を作ること。
ママ会や女子会でも多く利用頂いています。
子供が寝っ転がっていても遊びまわっていても畳ですとフローリングよりも安心です。
創業から多くのかたに利用いただいており嬉しい限りです。

講演事業

母校の滋賀県立彦根東高校でキャリアの講演を二度させていただきました。
母校の後輩の皆さんに少しでも自分のキャリアが、それぞれの人生を考える上での指針になり、参考になれば幸いと思って精一杯勤めさせて頂きました。
公務員予定から、安定した企業に勤めたのちに、起業しているというのはかなりレアなキャリアだと我ながら思います。
今となっては社会人向けにも講演させて頂くこともあり、自分の体験経験が誰かの勇気になり、一歩踏みだすきっかけになっていることが仕事冥利に尽きます。

今後の展望

私のビジョンは「人は思い描く理想の人生は、努力で必ず実現出来るということを、自分自身が創り出す成果で証し、人に夢を与える人生にすること。
関わる全ての人と調和を作り出し、共に目標達成していく人生にする。

これからも仕事に邁進しビジョンを実現し続けていきます。

かなり長くなりましたが、私の自己紹介とさせて頂きます。
お付き合いいただきありがとうございます。










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