未知なる今


自分は何もしたくない。
する気力もない。


というより、
何をしたら良いのかも分からなくて
今だったら通りすがりの誰かがこれをしろと言ったならば、それを問答無用で受け入れるくらい。
それくらい何のために時間を費やすのかも分からなくなった。


いつも強い自己の中で明確な目標を突き進んだ自分にとって
何も中身のない抜け殻だけがそこにあるような、そんな自分が情けなくなってしまった。

未だに、
メンタルクリニックに通う鬱病患者に対して
嫌悪感が拭い切れない。
自分はそんな存在では無いんだと
真っ向から否定したいと思う。
同じ患者のはずでもやっぱり自分とは違うと心の底では思っている。
そんな無気力じゃないと。



先日、何を探す訳でもなく
自分にはこんなにも何も無かったのだろうかと
自分の部屋を漁っていた。

しばらく探し回って、小学生から高校の成績表が出てきた。


元々何も出来ない子供だったんだと振り返る。



周りの友達がアイスクリームを店員さんに注文して楽しそうに食べるのに、大人しい私はそれさえも言うのが怖かった。
運動も勉強も出来なくて、よく泣いていた。

本当は出来ないから出来るが増えるのが、楽しかっただけだったんだ。


いつしか、何でも努力で出来るようになるんだという万能感を自分に対して抱くようになった。

出来ないくせに何もしない周りが理解出来なくて大嫌いだったし蔑んでいた。
自分より出来る誰かも大嫌いだった。だって出来ない自分を認めるなんて大嫌いだったから。


高校から発症して
それから大学とか会社で、
私は鬱病が何度も酷くなった。

私は
何でも出来て何でも手に入れている自分になりたかったんだろう。

出来ない口実として、鬱になったのかもしれない。
何の行動するのにも億劫になったのは不安だからだ。出来る自分になりきれないのが。



周りの目を気にして自分の本心を無視していたんだ。

偏差値を上げたり
良い大学に入ったり
良い企業に入ったり
誰かにすごいねって羨ましがられたり褒められることは
自分の理想像だって思い込んでいた。
それが本当に幸せになることだと思った。


小学生から塾では毎月の模試の成績表が張り出されて
高校では毎年成績順にクラス分けされて
相対的に高い自分でしか満足出来なかったんだ。

でもそんな
相対的にしか幸せだと感じられない自分は
いつもいつも心が貧しい。

誰かと比較することでしか満足出来ないなんて何か違うんだ。 
誰かと自分は何もかもが違うのだから。


もう誰かのために生きるのも辞めたいなあ。
未来や過去に引きずられて生きるのも馬鹿馬鹿しい。

素直に誠実に愚直に自分が好きな自分でいたいんだ。




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