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#34. 「積ん読」が英語になる日まで


本って、買ったらいつ読んでいいかわからない。

今年に入ってひと月が経とうとしているが、手元の本は、減らずに増えていく一方だ。

今月もまた、「読まなきゃリスト」に数冊の本が加わった。

まずはこちら、The Year of the Hare

フィンランドの作家によって書かれた小説で、あちらにいる数年来の友人からクリスマスプレゼントとしてもらった( 1 月12 日やっと家に届いた)。

今年は「フィンランドの小説の英訳版」をギフトとしてお願いしていたので、これが彼女のオススメということらしい。

表紙のノウサギが可愛らしいが、これはいつ読もうかな。


次も友人からのプレゼント、Bagels, Bumf & Buses: A Day in the Life of the English Language

これはつい先日、土曜日にアメリカ人の友だちがくれた。2020 年の 1 月 1 日に発売したばかりの本。ぼくに「ピッタリだ」と思ったらしい(ピッタリすぎて、「すでに持っていたらどうしよう」という不安すらあったそうだが)。

その内容は、わたしたち(といっても英語話者)が、朝起きてから夜眠るまで、普段当たり前のように使っている単語やフレーズの語源や意味の変遷を辿るというもの。

著者の Simon Horobin は、ぼくが修士時代に学んでいた英語史という分野においてたいへん著名な研究者である。その人がこのような一般向けの雑学書的な本を出したのはすこし驚きだが、類書と違って内容の信頼度は抜群だろう。

「前書き」(Preface) にはこう書いてある:

In short, this book is a celebration of the richness of the English language, and the fascinating stories that lie behind its word hoard.
手短に言えば、この本は英語という言語の豊かさを讃えるものであり、その語彙の背景に眠っている魅力的な物語の数々について書いたものだ。

ぼくは常々「英語オタク」を自称しているが、英語オタクは、自ら英語を探検するのはもちろんのこと、周りにオタクであることが周知されていると、こんな風にして友だちからも、言葉に関する本や小咄が毎日のように舞い込んでくる。

こうして日に日に「オタク度」が増していくシステムがすでにできあがっている。


そして最後は、Amazon で買ったこちらの本、Your Voice Speaks Volumes

これも今年の 1 月 1 日に発売したばかりの本で、わたしたちの声や発音・話し方などが聞き手に与える影響などについて詳しく書いている。

Why do we speak the way we do, and what do our voices tell others about us? What is the truth behind the myths that surround how we speak?
どうしてわたしたちは、今そうしているように話すのだろうか?そして、わたしたちの声が他人に与えてしまう情報とは何だろうか?わたしたちの話し方について語られる神話の背後にある真実とは何だろうか?

一つ一つの母音や子音の発音から、文全体のイントネーション、話すスピードに至るまで、英語とその発音に関する問題は、話者のバリエーションが豊富である分、とても幅広く根も深く、ゆえにたいへん興味深い。

このブログでも、この本から学んだことについて、今後機を観て書いていこうと思っている。

ともあれ、フィンランドの小説に、雑学的な知識を集めた一般書、はたまた声や発音に関する専門書まで、思いのほか多彩な面々が加わった。

どの本も、手に入ったいまがいちばんの読み時なのだろうが、いまこの時点で読み進めている本もあり、結局いつ読むことになるのかわからない。

しばらくはいわゆる「積ん読」という、大量に積まれた未読の本に仲間入りすることになるだろう。

ちなみにこの「積ん読」という日本語、「こうした習慣自体はどこの国にもあるというのに、それを表す単語がない」ということで、最近(すくなくとも英語話者の間では)意外と注目されている。

ためしに「tsundoku」と Google で検索すると、その定義が書かれた(外国人作の)次のような画像がたくさん出てくるし:

画像1

(by Ella Frances Sanders)

画像2

(by Anjana Iyer)

Instagram の「#tsundoku」には今日(2020/1/20)の時点で 1.9 万件の写真が投稿されている:

画像3

2018 年には、イギリスのメディア BBC が "Tsundoku: The Art of Buying Books and Never Reading Them"(積ん読:本を買いつつ決して読まない技)という記事を出したこともあった。

この記事によると、英語にも bibliomania(蔵書癖)という言葉は昔からあったようだが、これと tsundoku との間には、重要な違いがあるらしい:

While the two words may have similar meanings, there is one key difference: Bibliomania describes the intention to create a book collection, tsundoku describes the intention to read books and their eventual, accidental collection.
tsundoku と bibliomania は似た意味を持っているが、重要な違いが一つある。bibliomania は、本のコレクションを作る意図のことを表すが、tsundoku は、本を読みたいという思いと、その結果として思いがけず生まれてしまうコレクションのことを表している。

そう、別に本のコレクションが作りたいわけではない。だれもすすんで積ん読したいとは思っていないのだ。だって読むためにお金を払ったんだから。

それでも、どうしてかそれを読み切る前に、また別の本に目移りをして、また本を一つ積み上げてしまう。BBC が取り上げるくらいだから、これはある程度どの国の人にも共通している行いなのだろう。

普遍的なのにそれを表す単語がないとき、英語は(日本語もそうだが)他の言語から、単語をスポンジのごとく吸収する。

吸収されて英語になった日本語も少なくない。世界最大の英語辞書 Oxford English Dictionary には、( 2013 年までの時点で)501 語の日本語が、英単語として登録されている(詳しくはこちら「<コラム>英語に入った日本語」を参照)。

「カラオケ」(karaoke) 、「アニメ」(anime) 、「引きこもり」(hikikomori) などは有名すぎて言うまでもないが、この「積ん読」もやがて tsundoku として英語の仲間入りを果たすまで、あまり長くはかからないだろう。

さてそれまでに、上の三冊を自分は読み切れているのだろうか ...... 正直、あまり自信はない。


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