見出し画像

#35. ある日の暮方の事である


前回の記事(「『積ん読』が英語になる日まで」)で、日本人に深く馴染みのある言葉「積ん読」がいま海外で注目されており、tsundoku となって英単語化を果たす日も、そう遠くはないだろうと書いた。

すると数日後、それを読んだ学生時代の後輩からふと連絡があった。

曰く、「ある本を読んでいたら、日本の『羅生門』に由来する Rashomon という言葉が英語でも使われると書いてあった。それは本当か」という質問。

まず結論から言うと、英語で Rashomon という言葉が使われることは、確かにある。

ただし、意味も発音も、日本語の「羅生門」とは似ても似つかないものなので、すこし注意が必要だ。

英語で Rashomon と言うとき、その言葉の意味するところは、LEXICO によれば以下の通り:

Designating something resembling or suggestive of the film Rashomon, especially in being characterized by multiple conflicting or differing versions, perspectives, or interpretations.
映画『羅生門』に類似しているか、あるいはそれを彷彿とさせるようなものを指す。とりわけ、それぞれに異なっていたり、場合によっては矛盾している複数の見解や観点、解釈などによって特徴づけられるようなとき。

すこしわかりづらいかもしれないが、簡単に言うなら、「一つの出来事に対して、色んな人がそれぞれに別の(矛盾した)説明をして、結局なにが真実なのかわからなくなる」ようなとき、英語でそれを Rashomon というわけだ。

これは、芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』を原作として撮られた、黒澤明の映画『羅生門』のプロットに由来している。この映画の中では、ある殺人事件について、被害者・その妻・加害者という三人の当事者が三者三様の証言をして、捜査が行き詰ってしまうらしい。

このような話を下敷きに、英語の Rashomon は生まれた。

実際に使われている例を観てみよう。

次の動画は、クラフトカクテルのリバイバルについて書かれた書籍 A Proper Drink の著者 Robert Simonson が、その執筆の過程や経緯について話している場面である。

3:16 あたりから聞いていると、話の流れで、なんの前触れもなくポンと Rashomon が登場する。また先ほど書いたように、発音が日本語のそれとは様変わりしてしまっているので、そこにも注目して聴いてほしい。

And as you can imagine, history that is written in bars gets forgotten, because everyone's drinking. And I experienced that as I interviewed the bartenders for this book. Not everyone remembered everything the same way. And I had to figure out — it was like Rashomon all the time.
それでまあご想像の通り、バーで記録された歴史というのは忘れ去られるものなんですね。なにせみんな飲んでますから。わたしはそれを、この本に向けてバーテンダーさんたちにインタビューしているときに痛感しました。みんながみんな全てのことを同じように記憶しているとは限らないんです。それでわたしは「羅生門みたいだな」といつも思わざるをえませんでした。
And it was like, OK, what actually happened? It's somewhere in the middle there. And I'm going to write it down, and someone's not going to be happy with this account, but it's as close as I can get to the truth.
それで、実際になにが起きたんだろうって。その間を取ると真実があるわけですよね。で、いざそれを書こうと思うと、ある人はその説明に不満だったりするんです。ただ、そういう風にしか真実には辿りつけないので。

やはり、先ほど見た定義の通り、ここでも「一つの事象に対して複数のバーテンダーが違った説明をするからややこしくなる」というような意味で使われている。

それから、観てもらうとすぐわかる通り、Rashomon という単語を繰り出すにあたって、この人はとくに構えているような様子を見せていないし、言ってから「つまり Rashomon っていうのは ...... 」というような説明も一切挟んでいない。

これは、インタビュアー含め、その場にいる聴衆全体が Rashomon という言葉を知っている、説明しなくても無理せず理解できると、この著者が考えているからに他ならない。

そうでなければ、ここまで何気なく会話に差し挟むことはできないだろう。

ただし、この他にも、Rashomon が日本の文学や映画とは全く関係のない文脈で使われている例をいくつか観てみたが、どれも状況としては、この動画のように文化人の集まる場であったり、アカデミックなシンポジウムと言う場合が多かった。

ぼくの職場にいる英語ネイティヴの同僚(イギリス人 1 人・アメリカ人 2 人)が、だれも Rashomon と聞いてピンと来ていなかったことも考慮すると、一般に広く浸透している言葉とはまだ言いづらく、インテリたちの間での教養語彙という感じなのかもしれない。

使われない単語ではないけれども、誰でもかれでも理解してくれるとは考えない方が無難だろう。

いずれにしても、日本の文化や日本語が、海外に出て、新しい意味と発音を身につけ、すっかり生まれ変わった姿で存在しているという様子は、とても面白いことである。

もともとは日本語であったはずが、英語話者からあの発音で「ラシャマーン」と言われて「羅生門」に結び付けられる日本人は決して多くないだろうし、かりに「羅生門」だとわかったとしても、それがどういう意味なのかまで理解できるという人は、本当に一握りしかいないに違いない。

「羅生門」(Rashomon) という言葉に対して、日本語話者と英語の話者が、それぞれの視点から異なる意味を想定している。

これもある種の Rashomon だと、言えるだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?