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#58. 翻訳者という「裏切者」


翻訳は、裏切りにも似た行為である。

そんなこと言ったら、本業の方に怒られてしまうだろうか。

だがこれはなにも、ぼくの個人的な意見ではない。

イタリア語に、次のような言葉があるのだ:

Traduttore, traditore.
翻訳者とは、裏切者だ。

イタリア語 traduttore は英語で言うところの translator(翻訳者,通訳者)で、traditore は英語の traitor(裏切者)にあたる。

traduttore と traditore、字面が酷似しているのは、これらの単語が語源的につながっているからである(もちろん translator と traitor も)。

どちらの単語も頭の部分に、ラテン語で「越える」のような意味をもっている trans という要素を含む。

「言語と言語の壁を越えようとする行いが翻訳」であり、「こちらの人からあちらの人へと垣根を越えて移動するのが裏切り」という風に考えてみると、二つの行為の共通点が理解できないこともない。

見かけも響きもそっくりなこの二単語を並べた "Traduttore, traditore"(翻訳者とは、裏切者だ)が伝えたいのは、「完璧な翻訳は存在しない」という事実だろう。

たとえば、ある村 A で持たされた荷物を、遠く離れた村 B に届けようとするとき、山や川などを越えていく過程で、必ずなんらかの取りこぼしが出るように、

英語で書かれた/話されたものを、日本語に訳して伝えようかと試みても、言葉の壁を乗り越える過程で、元々の英語に含まれていた微妙なニュアンスなどが、失われてしまうことが多い。

英語やその他の外国語を真剣にやったことがある人ならば、こういう「翻訳は決して万能ではない」という事実に、一度は思い至ったことがあるはずだ。

例なら枚挙にいとまがないが、今日はそういった「翻訳の過程で大切なものが抜け落ちてしまう英語」、あるいはもっと端的に「日本語に訳しづらい英語」の実例を 5 つ選んで紹介する。

あえて直訳を併記するが、これが全く訳として機能していないので、自分だったらどのように訳すか、考えながら見てほしい。

1.

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直訳:戦士であれ。あれこれ心配する人でなく。

warrior「戦士」worrier「心配性の人」を指す。発音はそれぞれ「ウォリアー」「ワリアー」といった感じで、同じような音の単語を二つ並べて「勇敢であれ」と伝える言葉だ。

だが見ての通り直訳すると、warrior と worrier が似ても似つかない日本語になってしまい、元々の英語が持っていた語調のよさや、そこから生まれる力強さが消え失せてしまう。

正解はないが、たとえば、名詞にこだわらず「勇敢であれ。あれこれ悩むな」と崩して訳すか、なんとか語呂のよさを保ちたければ、「果敢に進め。不安は捨てろ」と「果敢」と「不安」で韻を踏んだり、「どんどん進め。くよくよするな」と擬音で音をそろえるというのも、方策としてはあるかもしれない。

が、いずれにしろオリジナルの "Be a warrior, not a worrier" がベストであることに変わりはなく、いかに訳そうが「裏切者」のそしりは免れなさそうだ。

2.

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直訳:本当の眼は本当の嘘を見破る

これはまず、内容として真理をついた言葉である上、(1) real eyes, (2) realize, (3) real lies という三つがどれも「リアライズ」に近い発音になるという点が面白い、非常に練られた文である。

続けて読むと「リアライズ、リアライズ、リアライズ」のような感じになる。

訳の案としては、たとえば、real eyes を「真眼」、real lies を「真贋」と訳せば、結果「真眼は真贋を ...... 」となり、途中までいい線を行くのだが、肝心の動詞 realize の訳語として「シンガン」に近い音をもつ日本語がどうしても見つからないためやはり難しい。

3.

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直訳 1:男は左、なぜなら女はいつも右だから!
直訳 2:男は左、なぜなら女は常に正しいから!

これはおそらくトイレの標識なのだろうが、英語の right「右」だけでなく「正しい」という意味にもなることを逆手に取ったトンチである。「女性は右です」と言いながら同時に「わたしたちこそ常に正しい」という意思表示にもなっている。

だがこれも上のように直訳すると、1 の訳ではなんの面白味もなくなってしまうし、2 のように変に意味を寄せても、「どうして女性が常に正しかったら男は左になるんだろう?」となり、意味がわからなくなってしまう。

4.

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直訳 1:なにもかも右に行かないときは、左行け
直訳 2:なんにもうまく行かないときは、左行け

これも先ほどと似た例なのだが、go right「うまく行く」という意味になるので、それを活かして「なにもかも right に行かない(=うまく行かない)のなら、シンプルに left へ行けばいいじゃん」という、なかなか洒落たフレーズである。

ただしやはり日本語では、「右に行く=うまく行く」のような慣用句がないため、「なんにもうまく行かなかったら左に行けってどういうこと?」となり、どうにもうまく訳せない。

5.

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直訳 1:あなた―熱過ぎ注意
直訳 2:あなた―魅力的過ぎ

カフェで出されるドリンクにある注意書き very hot(やけど注意)の上に、YOU を持ってくることによって、あたかも "You are very hot" と書かれているように見せている。

英語の hot「熱い,暑い」という意味の他にも「魅力的」という風にも使う。つまり、本来はドリンクが熱いことを注意している文言を使って、「あなたはあまりに魅力的です」ということを伝えるメッセージなのだ。

日本語の「熱い」に「魅力的」という意味はないので、これは正直、ドリンクの注意書きだという体(テイ)を保ちつつ、相手に素敵であることを伝える訳は全く思いつきそうにない。すっかり「裏切者」確定である。

以上、個人的に面白いと思った「日本語訳の難しい英語」。

昨今 AI の進歩が目覚ましく、近い将来、翻訳機の力を借りれば人間の語学学習はいらなくなっていくのでは、という議論が盛んだ。

しかし、こういったある種「言葉遊び」を含んだ例を見るにつけ、自分自身で相手の言葉を直に理解するということの価値は、まだしばらくは無くならないだろうなと、確信に近いものを感じる。

ダジャレやなぞなぞ、ライムに代表されるように、人はどんな言語を話していても言葉遊びを楽しむもので、そういう本能(?)がある限り、「完璧な翻訳」はとうぶん期待できそうにないし、

逆に「完璧な翻訳」を熱望し過ぎて人が言葉遊びをしなくなったなら、そんな世界は(「語学学習をしなくていい」という利点を差し引いたって)あまりに退屈でつまらない。


Traduttore, traditore. — 翻訳は決して万能ではない。相手の言葉を、相手の思ったように理解しながら、めいっぱい味わうためにも、今日も明日も外国語をやる。


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