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#84. 初めて会う人がその国の代表


大学に入って初めてできた外国人の友だちは、韓国から来た学生だった。

歳は当時すでに 25 を越え、音楽家のような芸術的ヘアースタイルを持ち、目尻のたれた細長い目で、いつも笑顔を絶やさない青年だった。

風貌はどこかポケモンのカビゴンに通ずるところがあったので、ここでは仮に「ゴンくん」と呼ぶことにしよう。

ゴンくんと初めて会ったのは、大学一年の、英語ディスカッションのクラスだった。

1 クラス 8 人という少人数からなる授業。その 8 人がさらに 4 人ずつの班に分かれて、「家族でいちばん幸せそうなのはだれか」などという身近な話題から、「ネット社会についてどう思うか」などの硬派なものまで、英語で議論(しようと)する。

そのクラスでは日本人以外の学生はゴンくんだけで、彼は最初からよく英語ができた。

ぼくたち他の日本人学生は、高校受験を終えたばかりの、まだ頑張って文章を組み立てるのに精一杯というくらいの英語力だったので、ゴンくんと同じグループになると、いつも半分以上の時間を彼に独占されてしまい、イギリス人の先生が一度「きみはすこし strong speaker 過ぎるから気をつけなさい」と釘を刺したことまであった。

正直ぼくも当時は、「この人めちゃくちゃ喋るじゃん。そのせいでこっちが話せないんですけど」と、すこしだけ不満に思っていた。

授業が終わると、ゴンくんはよくぼくのところにやって来て、一緒にお昼を食べないかと誘ってくれた。

当時のぼくは、周りでにぎやかに大学生活を謳歌している人たちとは距離を置いていて、お昼も一人でだれもいない空き教室を見つけては、そこで音楽を聴いたり本を読んだり、好きなだけ寝たりと悠々自適に過ごしていたので、週に一度ゴンくんとお昼を食べるくらい別に嫌ではなかった。

大学生が大学にいることの価値の一つは、自分とは全く異なる価値観や背景を持つ人たちと出遭えることにあると思う。

海外から来たゴンくんは、日本の外についてまだなに一つ知らなかった当時のぼくにとって、「新しさ」そのものだった。

彼はスーパーに行くといつも財布とにらめっこして、すこしでも安くお昼を済ませようと努めていた。彼が選んだお弁当のとなりに並ぶ 50 円ほど高いのを指して「たまにはこっちも食べてみたら?」と言っても、彼は「いやいやぼくは大丈夫だから。タカフミはそれ食べて」と言ってかたくなに贅沢しなかった。

そうして空き教室を見つけていざお弁当を食べようとなると、彼はおもむろに目をつむって、胸の前で十字を切り、小さな声でなにやら祈りの言葉を唱えてようやく箸を取り出した。彼は敬虔なクリスチャンだった。

それから彼は、ぼくの父親や母親について言うとき必ず「お父さまは ...... 」、「お母さまは ...... 」と言って様付けを欠かさなかった。ぼくは始め、日本語ではあまりそう呼ばないことを知らないからかと思い、「『お父さん』、『お母さん』と言う方が自然だよ」と言ってみたこともあるが、その後もゴンくんは、変わらずぼくの両親を様付けで呼んだ。

相手をファースト・ネーム(つまり日本語でいう下の名前)で呼ぶ文化のある英語ネイティヴが、名字で呼び合う日本に来ても自分のスタイルを崩さないように、ぼくはゴンくんのそれを、韓国の文化に由来するものなのだと理解した。

そういった韓国的な価値観も、外国人として日本で暮らす経済的な厳しさも、キリスト教という宗教を信じ実践するということも、ぼくにはどれも新しく、価値観を押し拡げるには十分だった。

それから彼の突出したコミュニケーション能力にも、学ぶところは多かった。

ぼくが大学時代に気づいたことを書き留めていたノートにも、「ゴンくんのコミュニケーションを見習おう」とたしかに書いてある。

ゴンくんは大学でぼくに会うと必ず、ニコッと笑って「お~タカフミ~、今日もお洒落だねえ~」とまず服装を褒めてくれた。お洒落じゃなくても言ってくれた。ヨイショをしている感じではなく、「きみ自身や他の日本人がどう思おうが、ぼくが良いと思ったんだから褒めているんだ」というような褒め方だった。

褒められて悪い気のする人はいない。目上の人や初対面の人を持ち上げることはよくあっても、友だちになるとそういう言葉を恥ずかしがって怠りがちだ。しかし、近しい人であっても、とにかく面倒くさがらず、良いと思ったら迷わず褒めるのが大切なのだということを、ぼくはゴンくんから学んだ。

疑問があれば、だれより早く足が動いた。駅前でぼくが探し物をしていたときも、ぼく自身が「どうしよう、だれかに聞こうかなあ」と思ったときにはもうすでに、目の前にいる日本人に彼が日本語で質問していた。ゴンくんは日本語も英語も達者だったが、それはこういう、躊躇のなさというか、度胸のたまものなのではないかと、そのとき思った。

いまなら、あのディスカッションの授業中、彼がどうしてあんなに喋っていたのかもよくわかる。彼はただ、沈黙で場が凍らないように、気を遣っていただけなのだろう。場を沈黙で埋めるよりは、自分がニコニコ喋っていた方が数倍いい。

彼はとびきり優しい青年だったのだ。

以前、中学時代の友人が「海外の国のイメージは、その国出身の人に会ったとき決まる」と言っていたことがある。

たしかにそうだ。たとえば、ブルガリアに行った経験がなければ、ブルガリアという国に対するイメージは、日本で最初に会ったブルガリア人がどんな人だったかである程度決まるだろう。親切な人なら好意的な印象を持つだろうし、悪態をつかれれば嫌悪感を抱く。

ゴンくんは、ぼくにとって初めて出会った韓国人で、ぼくはそれ以降あまり韓国人と遭っていないので、ぼくの韓国に対するイメージは、彼が担っている部分が大きい。

正直言って、韓国と日本は歴史的にずっと友好的だったとは言えないし、韓国という国が多かれ少なかれ反日的だという情報もあちらこちらで目にする。日本にも、韓国やそこにいる人のことをあーだこーだと決めつけて拒絶する人は多い。

でも、ぼくにはゴンくんがいる。韓国関連のニュースがあるたびぼくはゴンくんとの日々を思い出す。彼には本当にたくさんのことを教えてもらったし、彼の気遣い、優しさに当時助けられることも多かった。

たとえ国家が日本のことをよく思っていなくても、反日的な人がまだ数多くいるとしても、ゴンくんは間違いなく日本に敬意を払っていたし、心優しい青年だったし、なによりぼくの友だちである。どんなに悪いイメージを流されようが、国全体を、国民全員をひとえに嫌いになるなんてこと、ぼくにはできない。

いまふと思う。逆にぼくは、彼の日本に対するイメージを、すこしでも良くできていたのか。

もちろん、彼は日本に長いこといたので、その間数え切れないほどの日本人に出遭ったはずだが、それでもおそらく、ぼくは彼がここにいる間、最も多くの時間をともにした日本人の一人だろう。こんなことを言うのはおこがましいが、ぼくが彼の日本への印象を代表しているところは大きいはずだ。

もっといろんな話をすればよかった。もう 5 年ほど連絡を取っていないし、取れたところで、いまのこういう状況じゃ、国境を越え、会って乾杯というわけにもいかないだろうけど。

彼に会ったら、開口一番にっこり笑って「お洒落だね~」と言う準備だけはできている。


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