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【小説】望郷の形(3)
幅の狭い砂浜に半ば乗り上げて船は止まった。ようやく足を付けた揺れない地面を、スニーカーに砂が入るのも構わず確かめる。
海岸線から数メートルで砂は砂利に変わり、緑に覆われたなだらかな斜面となって丘へ続いている。話によれば百人ほどがこの島で暮らしているそうだが、建物らしきものはまばらで、とてもそんな数の住人がいるとは思えない。
青々と繁る畑に点在していた人影の一つがこちらに近づいてくる。大柄で丸みがある。テーマパークの着ぐるみのようだ。
「彫刻師のヒサキさんですね。ようこそ私たちの王国へ」
にこやかなその人はごく普通の作業着につば広の帽子姿で、一見すると外の人間と変わりない。握手を求められたので右手を差し出すと、大仰な仕草で相手の両手に包まれた。やっぱり中に誰か入ってるんじゃないかと思った。小さな本体が分厚い綿の皮を纏って上手く動こうと頑張っているのだ。
「毎日お待ちしていました。私は——です」
「……何ですか?」
「——」
彼の肺から出る空気が歯の間で擦れて風の音を立てる。文字にするとしたらshhsfhといったところか。
大きな人は目を線にして笑う。
「失礼しました。ここの住民の名前は人間には発音しにくいものが多いんです。皆にはシーさんと呼ばれています。あなたも呼ばれたい名前があれば指定していただいて構いませんよ」
「本名とは別に?」
「外での名前とは別に」
名前など他と識別できれば何でもいいと思っていた。彫刻にも通し番号程度しか付けない。どんな名で呼ばれたいかなど考えたこともなかった。
「考えておきます」
私の答えにシーさんは大きく頷いた。
「無理にとは言いません。船を操縦していたあの方の名前は私たちも聞いたことが無いんですよ。便宜上ワタさんと呼んでいますが」
来た道を振り返る。穏やかな海に人の形をした水の塊が漂っている。薄い膜で隔てられた内も外も海なのだろう。そのわずかな隔たりすらも取り去ってしまいたいと彼は思っているのかもしれない。
宿までの道すがら、シーさんはひっきりなしによく喋った。島の穏やかな天候のこと。時折訪れる訪問者のこと。宿の軒から巣立った燕のこと。今いる城下町と、尾根の向こうの城のこと。
「ではそのお城に王様が?」
相槌代わりの軽い質問のつもりだったが、んふふとシーさんは含み笑いをした。
「何を隠そう、私、この島の国王なんですよ」
「へぇ……」
冗談かどうか判断に迷い、中途半端な反応を返してしまった。無人島に集団で住み着いて独立宣言などというぶっ飛んだことをするには、シーさんはまとも過ぎるように見える。言い換えるなら、外の世界の法則に従って生きていけそうだ。プランクトンのワタさんが王だと言われたほうがまだしっくりくる。
「私だけじゃありません。さっきのワタさんも王様です。そこで草をむしっているのも。城で暮らしているのも。ここにいるのはみんな王様です」
「全員が国王だ、と? 百人も王様がいて、国民は一人もいない?」
シーさんは誇らしげに頷く。
「この島に存在するのは、国王と来賓だけです。一人ひとりの王は誰にも侵されることのない権威を持っています。各自の国土——つまり自分の身体については絶対の決定権があります」
「それぞれが相手を他国の王とみなして敬意を払ってるんですね」
「そういうことです。それがこの王国での自由ということです」
話しているうちに畦道の突き当たりに着いていた。草花に囲まれて木造の素朴な家が建っている。まだらな麻布を身体に巻いた人が三角屋根の頂点に腰掛けて、音階の無い不思議な歌を歌っている。彼自身の国の音楽を堂々と奏でている。
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