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強迫観念以外の理由で自分の世話をしたい

 ご飯を食べて、歯を磨いて、部屋を掃除して、お風呂に入って、肌を保湿して、寝床を整えて。日常の、生活を保つためのケア。それらの動機が脅迫観念だったかもしれないと思う。

 脱毛やエステの広告のように、常に綺麗にしておかなければ嫌われるぞと自分を脅す。体調を崩して人に迷惑をかけ、嫌な顔をされる恐怖をちらつかせる。自分を脅迫することで、良好なコンディションを保つための行動を自分に取らせていた。

 例えば食事は餌に過ぎない。食べたいから食べるのではない。肉体の維持に必要な栄養が摂れれば良い。働かせるための燃料を注入する以上の意味はうっすらとしか感じられない。

 あれが食べたいこれが食べたいとわがままを言わない自分は飼いやすい。手近にあるものを適当に与えておけば済む。使い潰すにはもってこいの従順さだ。

 本当は自分を大切にしたい。でもそれは怖いことだ。価値があると思っているものがないがしろにされたら傷付いてしまうから。先に自分で自分をないがしろにしておけば傷付かずに済む。それに大切にするためには自分の中の許せない部分も直視しなければならない。

 それでもやっぱり、生きていることに幸せを感じたい。急に死ぬと周りに迷惑がかかるから生きている、他人基準の生き方を変えたい。生きていたいと思いたい。

 慈しむように自分の世話をしたい。手間暇はかけなくても良い。苦痛を避けるためではなく喜びを得るために世話をしたい。

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