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不安症の日常
不安に駆られて飛び出した。
どこへ?
——とりあえず内科。
一時間以上の待ち時間を経て診察室に入り、具合の悪さを説明する。医師が首をひねる。もう帰りたい。
触診して、検査して、どこにも異常は見付からない。やっぱりだ。またやってしまった。「お役に立てなくてすみません」なんて謝られてしまって、居たたまれなくて仕方ない。ごめんな先生……俺の勘違いに付き合わせてごめんな……。
ちょっとくらい体がおかしいなと思っても病院には行かない。どうせ原因不明だから。動悸とか、立ち眩みとか、下痢が続くとか、どこか痛いとか、痺れるとか。だいたいのことは病院に行っても異常なしで帰されている。でも今までに経験したことのなかった新しい症状が出るとやっぱり不安になってしまって、恐怖で気を失いそうになって、病院に駆け込んでしまうのだ。
神経が過敏なのだと思う。健全な人なら感じないような些細な変化を感じ過ぎて、苦しくなったり痛くなったりするのだろう。肩や首もバキバキに凝っている気がするのに実際それほど凝っていないらしい。ありもしない凝りとありもしない痛みでじたばたしている。なんだか馬鹿みたいだ。でも実際に痛みは感じるのだから仕方ない。
原因はストレスなんだろうか。でもそれほどストレスのかかる生活をしているとも思えない。会社に行かなくていいし、夫の機嫌の変化にももう怯えなくていいし、親のちょっとした言動から過去の嫌だったことを思い出して怒りで気が狂いそうになることもなくなった。まだ何かストレスの原因があるだろうか。これ以上ストレスの少ない生活なんてあるだろうか。
いや、それは嘘だ。深い部分での喪失や孤独や怒りが解決されないまま燻っていることを知っている。表に現れてくるような出来事がなくても確かにそこにある。
疾病利得という言葉がある。病気であることによって得られる利益が存在するということだ。体の不調のことで頭をいっぱいにしておけば、より本質的な不安から目を逸らしていられる。心が壊れないように体が悲鳴を上げて囮になってくれているのだ。
困った奴だ。面倒な奴だ。周りの人もそう思っているかもしれないが、一番手を焼かされているのは自分自身だ。厄介な他人とは離れられるが、自分とだけは死ぬまで付き合っていくしかない。たまに病院で安心を処方してもらいながら、自分で自分をよしよししつつなだめすかしてやっていくしかない。
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