見出し画像

『そうだ、ミニマリストになろう。-Day 5: 去った後で残るモノ』

<30日かけて500個近くのモノを処分する30日ミニマリストゲームを実践中>

モノを減らしたい理由はいくつもあれど、「自分が死んだときに家族に迷惑をかけたくない」というのがそのひとつ。

10年以上も前に買った雑誌クロワッサンの片づけ特集に、光野桃さんの「母の遺品を片付けながら。」というエッセイがある。これは衝撃的だった。

光野さんは決して片づけが苦手ではなかったのに、お母さまを亡くした後、彼女の家の遺品を3年間整理をすることができなかった。3年!ってすごい。

---以下引用---
最初の一年は怖くて家に入ることができなかった。

葬儀の直後に行ってみると、(母の)混乱し始めた頭の中を思わせるように、眼鏡やらメモ帳やら、食べかけのお菓子やらが寝室に散乱し、その光景に言い知れぬ恐怖を感じて、逃げ帰った。

死後のさまざまな手続きに必要な重要書類を捜さねばならず、その後も何度か訪れたが、一歩中に入ったとたん気持ちが萎えて足がふらつき、呆然とソファに座ったまま、無為に時間が過ぎていった。

二年目もあっという間に過ぎていった。この頃になると寝入りばなや明け方にはっとして飛び起きることが多くなった。片づけを放置している罪悪感で、胸がきりきりと痛んだ。
===

結局、光野さんは三年目に遺品整理業者なるものが存在すると知り、25万円かけて、2トントラック4台分のモノを処分することになる。業者がくる当日の朝、必要最低限の物だけを救出する作業中に、母の秘密の隠しものを見つけ、執着の洪水と化した家の中で、親の素顔や物に託された思いを整理していく。

---以下引用ーーー
(母親を)介護していたとき、つくづく人間とは「食べて出す」ただそれだけの生き物なのだと知った。

だが、(遺品整理中の)このとき私が直面したのは、人生とは「物」である、という事実だった。人の一生を彩る物の、なんと多いことか。ひとはこうも物と寄り添い、思いを託さないではいられないのだ。
===

確かに、人が家に保有するモノとは、執着の塊なのかもしれない。美しいモノや金目のモノだけでなく、他人どころか本人にとってもガラクタ、不用品とわかっていて、でも捨てられないモノも含めて執着なんだろうな。

人はいつ亡くなるかわからない。

私の友人にも、ご両親を相ついで亡くされた後、働きながら、平日の夕方から週末まで数か月かけて遺品整理した人がいるが、あれはほんと大変そうだった・・・。自分に死が訪れたときに、子供が戸惑わないようにしてあげたい。私の切れなかったモノへの執着を子供に押し付けて、彼らに切ってもらうのは忍びない。


もうひとつ大切に持っている2009年発行の雑誌ku:nel35号。スタイリスト高橋みどりさんがお母さまについて語った記事。こちらも、私にとって思い入れのある記事。

---以下引用ーーー
(みどりさんのお母様は)息子と夫に先立たれてひとりになると、郊外の家をためらいもなく売って、娘(みどりさん)のマンションの近所にいとも軽やかに引越してきた。 荷物は息子の形見の剣道の竹刀1本と夫の形見の水彩道具、それから選び抜いた自分の着物数枚、たったそれだけ。

茶室も、蘭を丹精していた庭の温室も、自分の一部だったようなものすべてを未練なく捨て、そんな母親を見ながらとても強い人だと思うと、昔、みどりさんは言っていた。
===

対照的な二人の母親のお部屋。

光野さんのお母様はかなり有能な素晴らしいお母様のようだったが、亡くなる1年ほど前から認知症を患っていたのだと思う。健康な時は大量の物を整理する気力や体力があるかもしれないが、年を取り、判断力が落ちてくるとそういうわけにもいかなくなる。

というわけで、アラフィフの今からでも「自分が死んだときに1日で遺品整理が終わる家」にしておきたいな、と思っている。清々しく、風が通り抜けていくような部屋に!

30 day minimalist game

画像1

Day 5: nail polish & neck strap keychains

30日ミニマリストゲームとは、
1日目に1個
2日目に2個
・・・
30日目に30個というふうに、モノを処分していくゲームです。無事30日を終了すれば、500個近いモノを処分することになります。

アメリカで有名なミニマリストのサイト
Theminimalists.com
からのアイデアです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?