100年ごとの西アジア史・南アジア史
本記事では、100年ごとに分けて
西アジア・南アジアの歴史を
私なりに取捨選択して書いてみました。
先日の記事で書いた日本史と
対比させながらお読みください。
◆600年頃:イスラーム世界の誕生
北インドは仏教発祥の地です。
中東はイスラム教の発祥の地。
600年頃の北インドは
「ハルシャ・ヴァルダナ」という
英雄が治めていました。
仏教とヒンドゥー教を保護した王様。
彼の治世下、はるばる東の唐から
三蔵法師こと「玄奘」がやってきたほど。
彼が目指した「天竺」はこの頃の北インド。
一方、西アジアでは
預言者ムハンマド(マホメット)が
神へのイスラーム(服従)を説きました。
「イスラーム世界」がどんどん広がる…。
◆700年頃:ラージプートは防波堤
イスラーム、ウマイヤ朝の軍勢は、中東から
エジプト、北アフリカ、イベリア半島を経て、
何とフランス西部にまで進撃しました。
…東のインドには向かわなかったのか?
ハルシャ亡き後、北インドは分裂、
「ラージプート諸王朝」が興亡します。
このラージプートたちがイスラーム化を防ぐ
防波堤の役割を果たしたのです。
(なお海のルートで東南アジアには
イスラーム勢力が広がっていきます)
◆800年頃:アリババやシンドバッドの時代
ムハンマドの後継者を「カリフ」と呼ぶ。
「正統カリフ時代」「ウマイヤ朝」と
一枚岩だったイスラーム世界でしたが、
徐々に変革されます。
750年、アッバース朝の誕生!
ウマイヤ朝ではアラブ人だけ免税された。
非アラブ人には税が課されていく…。
神の前では平等だ、おかしいだろ!と
非アラブ人がクーデターを起こしたんです。
最盛期は800年頃、
ハールーン・アッ・ラシードの頃。
『千夜一夜物語』で語られる時代ですね。
首都バグダードは栄華を極めます。
◆900年頃:マムルークたちの台頭
…このアッバース朝が分裂するんですよ。
遊牧民の出身、優れた軍人として活躍した
奴隷の「マムルーク」という人たちがいた。
彼らが徐々に力をつけていった。
日本史においても、貴族の従者だった
「武士」が力を持っていきましたよね。
イラン北部~中央アジアでサーマーン朝が
マムルークの軍事力を背景に独立!
後にはアフガニスタンでガズナ朝が
サーマーン朝から独立!
マムルーク出身の将軍が建国した国です。
西のエジプトは、アッバース朝に対して
「こちらが本当のカリフだ!」と宣言。
イベリア半島の君主も同じく宣言した。
何人かのカリフが並び立つ時代に…。
◆1000年頃:分裂しつつ拡大
イスラーム世界で偉いのは
あくまで「カリフ」です。
イスラーム世界「全体」のリーダー!
ですが、徐々に権威だけを残して
実権を実力者に委ねる存在になる。
945年、ブワイフ朝の王がバグダードに入城。
カリフから「大アミール」(大将軍)という
位をもらってイラン・イラクを支配します。
◆1100年頃:権威と実力
このサーマーン朝やガズナ朝を滅ぼして、
天下を取ったのが「セルジューク朝」。
創始者のトゥグリル・ベクは
1055年にバグダードに入城、
カリフから「スルタン」という位をもらった。
宗教権威はカリフ、実権支配はスルタン…。
西ヨーロッパでは「教皇と皇帝」。
日本史では「天皇と征夷大将軍」。
「宗教権威」を持つ偉い存在が、
「実権支配」を実力者に任せる…。
その構図は、地域は違えど共通しています。
なお、セルジューク朝の隆盛がきっかけで
「十字軍」が起きています。
◆1200年頃:北インドのイスラーム化
1206年、ついに東の防波堤が破られる。
北インドにイスラーム王朝の
「マムルーク・スルタン朝」建国!
その後、北インドでは五つの王朝が興亡。
都をデリーに置いたため
「デリー・スルタン朝」とも総称される。
インドではヒンドゥー教が広まっていました。
カースト制・身分別の文化があるので、
平等の思想はなかなか受け入れられないんです。
ゆえに、仏教も振るわなくなっていました。
…ただ、イスラームの王朝ができた
この頃からは、少しずつインドでも
イスラームが広がっていく。
同年の1206年、はるか北東では
チンギス・ハンがモンゴル高原を統一。
次第にモンゴル軍の脅威が近づいてきます。
◆1300年頃:モンゴル軍の嵐
セルジューク朝の後の「ホラズム」。
アフガニスタンの「西遼」。
いずれもモンゴル帝国に滅ぼされた。
その後にできたのは
イル・ハン国やチャガタイ・ハン国です。
チンギス・ハンの後裔たちの国。
(イル、とは「イラン」)
インドのデリー・スルタン朝も
北からモンゴル軍に攻撃される…。
◆1400年頃:風雲児ティムール
1336年に「ティムール」という男が誕生。
彼はめちゃめちゃ強かった!
西チャガタイ・ハン国で頭角を現すと、
イラン・イラク・中央アジアにまたがる
広大な土地を手中に収めていきます。
当時、西で強かったオスマン帝国も
1402年「アンカラの戦い」で撃滅される。
君主のバヤジットが捕らえられて、
一時、滅亡状態に陥ってしまいました。
◆1500年頃:オスマン帝国の隆盛
…ただ、このオスマン帝国が復活して
一大強国になるんですね。
逆にティムール朝は徐々に衰亡、
代わってサファヴィー朝がイランを支配。
オスマン帝国は西に進撃します。
ヨーロッパの防波堤であった
「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)」は
1453年に滅亡。コンスタンティノープルは
「イスタンブール」に改称されました。
北インドでは「ムガル帝国」ができる。
ムガルとは、モンゴルがなまった言葉です。
◆1600年頃:諸帝国の繁栄
オスマン帝国は何と
西のウィーンまで攻め寄せます。
キリスト教国のヨーロッパ、大ピンチ!
しかしこの頃、「大航海時代」を経て、
西欧は海外へのルートを確保していた。
東から迫る脅威で、トコロテンのように
西の海へと押し出ていくイメージ…。
オスマン、サファヴィー、ムガル。
西アジアと南アジアの「陸の上」で
イスラームの諸帝国が繁栄する中、
西欧は「海から」植民地を獲得することで
活路を見出していくのです。
最後に、まとめます。
本記事では100年ごとの
西アジア・南アジアの歴史を
私なりに書きました。
複雑な紆余曲折があります。
読者の皆様も、ご自身なりに
取捨選択してまとめてみてはいかがでしょう?
新たな発見があると思いますよ!
※神野正史さんの「世界史劇場」もぜひ。
※たぶん、地図や図表を見ながら
読んだほうが良いように思いますので、
こちらの記事も合わせてどうぞ↓
※100年ごとの他の地域の歴史はこちら。
◆『100年ごとの日本史』↓
◆『100年ごとの中国王朝史』↓
◆『100年ごとのヨーロッパ史』↓
合わせてぜひ!
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