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本記事では、100年ごとに分けて
西アジア・南アジアの歴史を
私なりに取捨選択して書いてみました。

◆600年頃:聖徳太子(厩戸皇子)登場
◆700年頃:律令政治
◆800年頃:平安京に遷都
◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使
◆1000年頃:大河ドラマ『光る君へ』の頃
◆1100年頃:「院政」の開始
◆1200年頃:鎌倉幕府の誕生
◆1300年頃:鎌倉幕府の衰亡
◆1400年頃:いざ国まとめる足利義満
◆1500年頃:意欲に燃えるコロンブス
◆1600年頃:関ヶ原の合戦

先日の記事で書いた日本史と
対比させながらお読みください。

◆600年頃:イスラーム世界の誕生

北インドは仏教発祥の地です。
中東はイスラム教の発祥の地。

600年頃の北インドは
「ハルシャ・ヴァルダナ」という
英雄が治めていました。
仏教とヒンドゥー教を保護した王様。
彼の治世下、はるばる東の唐から
三蔵法師こと「玄奘」がやってきたほど。
彼が目指した「天竺」はこの頃の北インド。

一方、西アジアでは
預言者ムハンマド(マホメット)が
神へのイスラーム(服従)を説きました。

「イスラーム世界」がどんどん広がる…。

◆700年頃:ラージプートは防波堤

イスラーム、ウマイヤ朝の軍勢は、中東から
エジプト、北アフリカ、イベリア半島を経て、
何とフランス西部にまで進撃しました。

…東のインドには向かわなかったのか?

ハルシャ亡き後、北インドは分裂、
「ラージプート諸王朝」が興亡します。
このラージプートたちがイスラーム化を防ぐ
防波堤の役割を果たしたのです。

(なお海のルートで東南アジアには
イスラーム勢力が広がっていきます)

◆800年頃:アリババやシンドバッドの時代

ムハンマドの後継者を「カリフ」と呼ぶ。
「正統カリフ時代」「ウマイヤ朝」と
一枚岩だったイスラーム世界でしたが、
徐々に変革されます。

750年、アッバース朝の誕生!

ウマイヤ朝ではアラブ人だけ免税された。
非アラブ人には税が課されていく…。
神の前では平等だ、おかしいだろ!と
非アラブ人がクーデターを起こしたんです。

最盛期は800年頃、
ハールーン・アッ・ラシードの頃。
『千夜一夜物語』で語られる時代ですね。
首都バグダードは栄華を極めます。

◆900年頃:マムルークたちの台頭

…このアッバース朝が分裂するんですよ。

遊牧民の出身、優れた軍人として活躍した
奴隷の「マムルーク」という人たちがいた。
彼らが徐々に力をつけていった。
日本史においても、貴族の従者だった
「武士」が力を持っていきましたよね。

イラン北部~中央アジアでサーマーン朝
マムルークの軍事力を背景に独立!
後にはアフガニスタンでガズナ朝
サーマーン朝から独立!
マムルーク出身の将軍が建国した国です。

西のエジプトは、アッバース朝に対して
「こちらが本当のカリフだ!」と宣言。
イベリア半島の君主も同じく宣言した。
何人かのカリフが並び立つ時代に…。

◆1000年頃:分裂しつつ拡大

イスラーム世界で偉いのは
あくまで「カリフ」です。
イスラーム世界「全体」のリーダー!

ですが、徐々に権威だけを残して
実権を実力者に委ねる存在になる。

945年、ブワイフ朝の王がバグダードに入城。
カリフから「大アミール」(大将軍)という
位をもらってイラン・イラクを支配します。

◆1100年頃:権威と実力

このサーマーン朝やガズナ朝を滅ぼして、
天下を取ったのが「セルジューク朝」

創始者のトゥグリル・ベクは
1055年にバグダードに入城、
カリフから「スルタン」という位をもらった。
宗教権威はカリフ、実権支配はスルタン…。

西ヨーロッパでは「教皇と皇帝」。
日本史では「天皇と征夷大将軍」。

「宗教権威」を持つ偉い存在が、
「実権支配」を実力者に任せる…。

その構図は、地域は違えど共通しています。

なお、セルジューク朝の隆盛がきっかけで
「十字軍」が起きています。

◆1200年頃:北インドのイスラーム化

1206年、ついに東の防波堤が破られる。

北インドにイスラーム王朝の
「マムルーク・スルタン朝」建国!
その後、北インドでは五つの王朝が興亡。
都をデリーに置いたため
「デリー・スルタン朝」とも総称される。

インドではヒンドゥー教が広まっていました。
カースト制・身分別の文化があるので、
平等の思想はなかなか受け入れられないんです。
ゆえに、仏教も振るわなくなっていました。
…ただ、イスラームの王朝ができた
この頃からは、少しずつインドでも
イスラームが広がっていく。

同年の1206年、はるか北東では
チンギス・ハンがモンゴル高原を統一。
次第にモンゴル軍の脅威が近づいてきます。

◆1300年頃:モンゴル軍の嵐

セルジューク朝の後の「ホラズム」。
アフガニスタンの「西遼」。
いずれもモンゴル帝国に滅ぼされた。

その後にできたのは
イル・ハン国やチャガタイ・ハン国です。
チンギス・ハンの後裔たちの国。
(イル、とは「イラン」)

インドのデリー・スルタン朝も
北からモンゴル軍に攻撃される…。

◆1400年頃:風雲児ティムール

1336年に「ティムール」という男が誕生。
彼はめちゃめちゃ強かった!

西チャガタイ・ハン国で頭角を現すと、
イラン・イラク・中央アジアにまたがる
広大な土地を手中に収めていきます。

当時、西で強かったオスマン帝国も
1402年「アンカラの戦い」で撃滅される。
君主のバヤジットが捕らえられて、
一時、滅亡状態に陥ってしまいました。

◆1500年頃:オスマン帝国の隆盛

…ただ、このオスマン帝国が復活して
一大強国になるんですね。
逆にティムール朝は徐々に衰亡、
代わってサファヴィー朝がイランを支配。

オスマン帝国は西に進撃します。

ヨーロッパの防波堤であった
「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)」は
1453年に滅亡。コンスタンティノープルは
「イスタンブール」に改称されました。

北インドでは「ムガル帝国」ができる。
ムガルとは、モンゴルがなまった言葉です。

◆1600年頃:諸帝国の繁栄

オスマン帝国は何と
西のウィーンまで攻め寄せます。
キリスト教国のヨーロッパ、大ピンチ!

しかしこの頃、「大航海時代」を経て、
西欧は海外へのルートを確保していた。
東から迫る脅威で、トコロテンのように
西の海へと押し出ていくイメージ…。


オスマン、サファヴィー、ムガル。

西アジアと南アジアの「陸の上」で
イスラームの諸帝国が繁栄する中、
西欧は「海から」植民地を獲得することで
活路を見出していくのです。

最後に、まとめます。

本記事では100年ごとの
西アジア・南アジアの歴史を
私なりに書きました。

複雑な紆余曲折があります。

読者の皆様も、ご自身なりに
取捨選択してまとめてみてはいかがでしょう?

新たな発見があると思いますよ!

※神野正史さんの「世界史劇場」もぜひ。

※たぶん、地図や図表を見ながら
読んだほうが良いように思いますので、
こちらの記事も合わせてどうぞ↓

※100年ごとの他の地域の歴史はこちら。

◆『100年ごとの日本史』↓

◆『100年ごとの中国王朝史』↓

◆『100年ごとのヨーロッパ史』↓

合わせてぜひ!

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