100年ごとのヨーロッパ史
近代からの日本は欧米諸国を手本に
「文明開化」に努めました。
ただ、和魂洋才という言葉があるように
精神的なものまで丸ごと取り入れた
わけではありません。ゆえにヨーロッパ史は
日本ではあまり知られていない…。
特に「近代以前」のヨーロッパは
「中世」=暗黒時代と捉えられがち。
ただ、その視点だけだとどうしても
16世紀頃に極東の島国まで
「大航海」してきたのかが理解しづらい。
本記事では、先日に書いたこの
かいつまんだ日本史と対比する形で、
「100年ごとのヨーロッパ史」を書きます。
◆600年頃:ヨーロッパ誕生前夜
395年、ローマ帝国は東西に分裂。
「東ローマ帝国」はずっと続きますが、
「西ローマ帝国」は476年に滅亡する。
以来、西では国が乱立していました。
600年頃の東ローマ帝国を支配したのが
「ユスティニアヌス帝」です。
『ローマ法大全』を編纂させ法律を整備、
いにしえのローマ帝国の勢威を回復します。
東欧、イタリア半島、エジプト、
北アフリカ、イベリア半島など、
地中海沿岸に東ローマ帝国を広げた…。
今の国別の地図では想像しにくいですよね。
当時はまだ「ヨーロッパ」という意識が
この地域には無かった。
◆700年頃:フランスで撃退
「敵」「他者」が目の前に現れて初めて、
ヨーロッパという概念が生じる…。
中東地域で勃興したイスラーム勢力です。
防波堤になったのは東ローマ帝国でした。
迂回してきた。
中東からエジプト、北アフリカ、
そしてジブラルタル海峡を渡って
イベリア半島へと突き進んでくる!
…このまま進めば、西ヨーロッパ一帯は
イスラーム勢力に占領されてしまいます。
732年「ナミニ」乗った相手を食い止める。
フランス西部でイスラーム軍を撃退!
この時に活躍したのがカール・マルテルです。
◆800年頃:カール戴冠の意義
カール・マルテルの孫が「カール大帝」。
彼は800年、ローマ教皇のレオ三世より
「帝冠」の位をもらいます。
…どういう意味があるのか?
防波堤としてヨーロッパを守っていたのは
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)。
だからローマの教皇はビザンツの
言うことを聞かなくちゃいけなかった。
これからは、そうじゃない!
カール大帝がローマを守ってくれる!
そう、ヨーロッパが「生まれた」時、
東欧と西欧とは「双子として」生まれた。
◆900年頃:オットー大帝、苦労人
ただ、カール大帝の死後、
彼の国である「フランク王国」は分裂。
ローマ教皇は、新たな保護者を
つくらなければなりません。
東フランク王国に強そうな人がいた!
962年「オットー大帝」が戴冠。
これが「神聖ローマ帝国」の始まり。
◆1000年頃:聖職叙任、仁義なき戦い
皇帝とは言え絶対権力者ではない。
ローマにいる教皇の権威は絶大で、
教皇が上、皇帝は下に見られがちだった。
皇帝は考えた。
教会の権威を利用して力を高められないか?
そうだ、聖職者たちを皇帝の手で
「叙任」すれば、忠実な仲間が増えようぞ…。
教皇から見ればこれは反逆です。
「聖職叙任権闘争」が起こる!
◆1100年頃:遠く向こうのエルサレム
1077年「カノッサの屈辱」が起きます。
教皇に「破門」された皇帝が、
教皇に謝罪せざるを得なくなった「屈辱」!
ただ、皇帝も負けっぱなしではない。
最終的にこの闘争は、
皇帝と教皇が同じ立場に立つことで
妥協が成り立ちました。
…教皇は、自分の力を誇示する意味も
あったんでしょう。
1095年、クレルモンで公会議を開き、
「聖地奪還」を提唱。
1096年「第1回十字軍」の開始です。
◆1200年頃:逆襲のクルセイダーズ
十字軍は第七回まで続きました。
歴史のつながりで考えれば、
イスラームに「逆襲」する形。
…ただどさくさに紛れて、第四回十字軍では
東ローマ帝国のコンスタンティノープルを
占領しています。あれ、敵は誰だったっけ?
西にとっては、東ローマ帝国も
潜在的な「敵」だったと言えましょう。
…結果的に、十字軍は失敗する。
これにより教皇の権威が失墜。
現場監督だった「国王」たちの実力が高まる。
◆1300年頃:閉じ込められた教皇
1303年に「アナーニ事件」が起きました。
フランスの国王が、教皇を
アナーニという街で捕縛する!
「穴に」閉じ込める! その後には、
教皇の座がローマから移動させられる
「教皇のバビロン捕囚」という事件も…。
国王たちの力が高まった象徴的な事件です。
◆1400年頃:上が分裂すると下が困る
国王によって亀裂を入れられた教会に、
さらに「教会大分裂(シスマ)」が起きた。
ローマ教皇とは別にフランス国王が
アヴィニョンに教皇を立てたのです。
(日本史で言えば「南北朝分裂」?)
上層部が分裂すれば、下部組織は困ります。
地方の教会は、徐々に国王の支配下へと
入っていくことになりました。
◆1500年頃:以後よく広まるキリスト教
それこれを踏まえての「宗教改革」。
1517年、ルターたちが「宗教改革」を始めた。
教皇側は「反宗教改革」を行って引き締めます。
カトリックとプロテスタントに分かれる!
このカトリックの牙城だった国の一つが、
1500年頃にイベリア半島から
イスラーム勢力を追い出したスペイン。
そして隣国ポルトガル。
こうして「イエズス会」結成。
創設者の一人がフランシスコ・ザビエル!
彼は1549年、極東の日本までやってきて、
キリスト教(カトリック)を広めたのでした。
◆1600年頃:太陽の沈まぬ帝国
植民地建設とキリスト教布教はセットです。
16世紀に南北アメリカの大部分を占拠、
莫大な富を手に入れた西欧諸国は
植民地獲得競争へと邁進します。
メキシコのあたりを手に入れたスペインは
太平洋を渡ってフィリピンまで手に入れた。
フィリピンとは皇太子フェリペの名前から。
ゆえにフィリピンでは、
国民の八割が今でもカトリック教徒です。
ただ、日本では江戸幕府が禁教したために、
キリスト教は広まりませんでした。
最後に、まとめます。
本記事では1600年頃までの
ヨーロッパの歴史をかいつまんで書きました。
さて問題です。有名な「ジャンヌ・ダルク」や
「ルネサンス」はどの時代でしょうか?
ぜひ、読者に皆様もご確認いただき、
自分なりの視点で書いてみてはいかがでしょう。
※こちらの書籍もぜひ↓
◆『100年ごとの日本史』↓
◆『100年ごとの中国王朝史』↓
◆『カノッサの屈辱』の魔力↓
合わせてぜひお読みください!