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いま私たちは「2020年代」を
生きているわけですけれども、
80年弱先の「2100年」まで
生きているのは難しいですよね。

となると「2000年」から100年、
いわゆる21世紀がどんな時期なのかを
朧げながらでもつかんでおくことは
かなり意義があるように思うのです。

そのためには大前提として
「これまでの歴史」をかいつまんで
知っておくことが大事。

というわけで本記事では、
だいたい「100年ごと」に「日本史」を
(ざっくり)見ていこうと思います。
日本史の復習、日本未来史の予習に、ぜひ。
受験生の方、その保護者の方も、ぜひ。

さすがに近現代史まで書くとすると
字数が足りませんので、
600年頃から1600年頃まで。
聖徳太子から関ヶ原の戦いまでを。

◆600年頃:聖徳太子(厩戸皇子)登場
◆700年頃:律令政治
◆800年頃:平安京に遷都
◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使
◆1000年頃:大河ドラマ『光る君へ』の頃
◆1100年頃:「院政」の開始
◆1200年頃:鎌倉幕府の誕生
◆1300年頃:鎌倉幕府の衰亡
◆1400年頃:いざ国まとめる足利義満
◆1500年頃:意欲に燃えるコロンブス
◆1600年頃:関ヶ原の合戦


早速、いきましょう。
適宜、年号の語呂合わせも使っていきます。

◆600年頃:聖徳太子(厩戸皇子)登場

593年「太子の摂政、ゴクミごと」の
聖徳太子(厩戸皇子)が出てきた。

この人、エピソードの宝庫です。
彼を手っ取り早く知りたい方は
山岸涼子さんの漫画
『日出処の天子』をお読みください。
(聖徳太子が超能力者として描かれている)

仏教の導入、法隆寺、遣隋使、
冠位十二階、憲法十七条…。
「摂政」という役職に就くことで
権力者が天皇と摂政の「二人」になった。
彼は豪族の「蘇我氏」と協力することで
国づくりを進めていきました。

◆700年頃:律令政治

701年「大宝律令 名はひとつ」のこの年、
「律令」という中国の制度を取り入れて
本格的な国づくりが進んでいきます。

…ただ、ここに来るまでには、
蘇我氏を滅ぼしたり、
壬申の乱という天皇位を巡る合戦があったり、
朝鮮半島に出兵して敗北したり、
けっこう動乱があったんです。

逆に、国の中を引き締めて統一していくために
制度を取り入れた、とも言える。
8世紀は、710年「ナント大きな平城京」で
奈良と仏教が政治の中心になった時代でした。

◆800年頃:平安京に遷都

794年「ナクヨうぐいす平安京」。
それまでの都は、コロコロ変わっていた。
しかしこの平安京、現在の京都は
ずっと都として栄えていきました。

先の話ですが19世紀に「東京」が
できるまでずっと「都」だった。
東京はあくまで「東の京」です。
本来の意味での都は「京都」なんですよね。
これまでも、そしておそらくこれからも…。

◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使

894年「ハクシに戻そう遣唐使」。
菅原道真の進言もあり、遣唐使廃止。

(「検討使」と呼ばれた総理大臣は
まだ頑張っていますが…)

これまでは中国風の政治でやっていた。
これからはジャパニーズな政治だ、と。
いわゆる「国風文化」が栄えていきます。

◆1000年頃:大河ドラマ『光る君へ』の頃

それを踏まえての「源氏物語」です。
清少納言、2024年大河ドラマ『光る君へ』の
主人公が書いた物語。

この時代は、藤原道長に代表される
藤原氏の栄華の時代でもあります。

トップ、天皇は誰でもいい。
天皇と姫を結婚させ、子どもが即位する。
その下で支える貴族(藤原氏)が
栄えればいいのだ…!

現代日本の会社でも、
社長はお飾りにしておき
その下の専務や重役たちが実権を握っている、
ということはよくありますよね。

◆1100年頃:「院政」の開始

この藤原氏の専横に
まったをかけたのが「院政」。

例えて言えば重役たちの専横に対して
社長が引退した後も「会長」として
実権を握るようなものでしょうか?

ただ、権力争いには
優れた力を持った子飼いの者たちが必要。
貴人のそばに「さぶらって」いた
「サムライ」たちが力を養っていきます。

いわゆる「武士」です。

◆1200年頃:鎌倉幕府の誕生

平家の栄光と没落の果てに、
ライバルである「源氏」が天下を取る。
イイクニつくろう鎌倉幕府!
(もっとも現在では1192年ではなく
1185年あたりには幕府は実質的に
生まれていたとされていますが…)

1221年、ヒトニフイ討ち承久の乱(変)で
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも活躍した
北条義時が京都にケンカを売り、勝つ。

いわゆる「武士の世の中」。
北条氏が実権を握っていきます。

◆1300年頃:鎌倉幕府の衰亡

ただ、その鎌倉幕府も盛者必衰、
元が攻めて来たり、後醍醐天皇が
討幕に立ち上がったりして滅ぶ。

いわゆる「南北朝」時代に突入。
朝廷が二つある、という
よくわからない混迷の時代に…。

◆1400年頃:いざ国まとめる足利義満

南北に分かれた朝廷を「合一」したのが、
1392年「イザクニまとめる」足利義満。

彼の建てた鹿苑寺の金閣は、
「寝殿造」と「武家造」の融合スタイルです。
まさに「貴族」と「武士」の頂点に
俺が立つ!という気概に満ち溢れています。

日本風、というより
中国風の皇帝といった風情。

◆1500年頃:意欲に燃えるコロンブス

…ただ、足利義満ほどの怪物でもない限り、
貴族と武士を取りまとめてトップに立つ、
ということは生半可なことではない。

実際、彼が亡くなった後は
しっちゃかめっちゃかになる。
1467年「ヒトノヨムなしい 応仁の乱」以降、
日本は「戦国時代」に突入していくのです。

血で血を洗う、仁義なき戦い!
そこで使われるのが、ハジキ、武器です。
1543年「イゴヨサンかかる鉄砲伝来」。
1492年新大陸「発見」のコロンブスなど、
世界の海に飛び出した
西欧の人たちが開発したもの。

国産の鉄砲がつくられていきました。

◆1600年頃:関ヶ原の合戦

南蛮渡来の鉄砲をうまく使ったのが、
ご存知、織田信長、ですね!
そしてその部下、秀吉。

秀吉もまた「黄金」と「知略」で
天下統一を成し遂げた怪物です。
足利義満とタメはるレベル。
ただ、英雄がまとめたものは、
どうしてもその本人が
いなくなるとバラバラになるもの。

1600年、関ヶ原の戦い。

徳川家康は「豊臣家のために」
という建前で戦っています。
実体は「秀吉の子飼いの部下たち同士の
権力争い」でもあったんです。
これにのっかって勝利した家康は、
江戸幕府をつくり、徳川家による
徳川家のための国づくりを
行っていくことになりました。

最後に、まとめます。

本記事では100年ごとに駆け足で
日本史を概観しました。


ぜひ皆様も自分なりに
日本史をまとめてみてはいかがでしょう?
書くたびに発見があると思いますよ!

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