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「サンクコスト効果」とは、
損失する可能性が高いとわかっていても、
過去に投資したコストの価値を引きずり、
やめられない心理傾向のこと。

「コンコルド効果」とは、
結果が目に見えているのに、
それまでにかけた費用に対する執着が
捨てられない、という状況を指す言葉。

コンコルド効果という名前は、
1962年に作られた旅客機
「コンコルド」から来ています。

コンコルドは約4,000億円をかけて開発された。
しかし開発途中、
「プロジェクトを継続しても黒字にできない」
という試算が行われました。
しかし、それまでの莫大な投資を
惜しんで、運用を続けてしまう。
最終的には数兆円という莫大な赤字に…。

「もったいないから、続けよう!」
「せっかくここまで続けたんだから、
最後までやってみよう!」

読者の皆様は、そんな気持ちに
囚われたことはないでしょうか?

本記事では、このサンクコスト効果・
コンコルド効果と、
「キャッチフレーズ」「屋号」との
関連について書いてみたい、と思います。

本記事を書こうと思ったのは、
武内 伸雄 さんの記事がきっかけです。

武内さんは、

『【気づき】屋号を手放す、
専門性を主体的に
「持たない」選択が有り得てしまう』


という出だしで記事を書かれていました。
大意を(私なりに)箇条書きにしてみますと、

◆専門性追求・何者かを定義することへの違和感
◆言葉で認識を固定することで
自分の認識を自分で越えられなくなってしまう
◆どんどん変化していく自分と
定義した言葉(屋号)とのギャップ
◆フリーランスは「自由」なはずなのに
屋号や専門性により自らを「束縛」している
◆自分の名前を自分の名前と捉えるのではなく、
「関係性の中に存在する名前」と位置付けて、
社会のモノ、公の器として捉えてはどうか

…というチャレンジングな提案、
問いかけるような内容、だったのです。
すみません、まとめきれていません。
私のすごく雑駁なまとめでいきますと、

『屋号に囚われ過ぎることで
見えなくなるものもある』
『定義の再見直しは大事!』


というところでしょうか?

もちろん、単純な良い悪いではなく、
自分(たち)にはこれができる!
この店はこういう店だ!と
専門性を定義してPRすることについては
良い面も多々ある。

(ここから引用)

『あくまでコレは自分自身に対する感覚なので、
他の方が専門性を追求することは
それ自体が素晴らしいことだと思います。
そこは誤解なきようお伝えしておきますね。』

(引用終わり)

と、武内さんもわざわざ注釈をつけて、
誤解されないように強調されている。
この記事で出てきた視点、ご意見について、
色々と書きながら私も考えます。

まず屋号というのは
「お客様に対してのアピール」という面が
非常に強い。

例えば「唐揚げ専門店」
「高級食パン専門店」
「わらびもち専門店」とつければ、
お客様は唐揚げ・高級食パン・わらびもちが
ここでは買えるんだとわかる。一目瞭然。

ただ同時に、唐揚げ専門店では
わらびもちは買えないよな…とも感じる。
これまた当然。
「店」は本来どんな商売もできるはず。しかし
「〇〇専門店」と名乗った、定義した瞬間から、
可能性を「固定」「限定」してしまう。


ブームが去った後、
なかなか方向転換がしづらい…。

さて、これがフリーランスなら?

お客様に訴求するのなら、
キャッチフレーズをつけて
私は〇〇の専門家です!と名乗った方が
わかりやすい
ですよね。

私も『中年世代の複業クリエイター』
『「選択肢を増やす」時空間ひろげマスター』

などのキャッチフレーズを自分につけている。

その一方で、可能性は限定されます。
「専門」から外れたことは、
訴求できなくなる恐れがある。

それなら「なんでもできますよ!」と
あえてキャッチフレーズも屋号もつけずに
売り出したほうがいいのか?

これまた、可能性を限定しないがゆえに、
お客様にとっては
「何ができる人か(店か)わからない…」
という印象を持たれがち。


どちらが良い悪いか、ではない。
スタイルの違いです。
そのスタイルを「固定」するのかどうか?
武内さんの着眼点と議題は、鋭い。

…武内さんの記事に対して、
私は、次のようにコメントしました。

(ここから引用)

『◆「屋号」=自分の活動を規定するもの

そう考えた時、どうしても言葉には
「定義」がつきまといますので、
「定まってしまう」面がありますよね。

特に、あれこれ悩んで取捨選択して
その上で決めた場合、
「これだけ悩んで考えた末での屋号は
素晴らしいものである(あってほしい)」
と錯覚しがちになります。

「ここまでの労力がもったいない」
という、サンクコスト効果や
コンコルド効果と呼ばれる心理傾向も
また生まれてしまうと思います。

そのため、一度悩んだ末に生み出された
「屋号」が活動を規定し、
「屋号こそが主体にすり替わる」という
個人と屋号の逆転現象すら
起きうるのではないでしょうか?

もちろん、そこには「退路を断つ」
「迷いを消す」という効果もありますが、
この流動的な時代に固執することによる
危険性もまた高まるように思います。

屋号の再検討、ブラッシュアップ
(アップになるかは未定ですが)を
積極的に意識し、
定期的に組み込んでいくことで、

屋号によって見えなくなってきた
「関係性」を今一度再検討することが
できるようになる、と感じました。

長文コメントにて失礼しました』

(引用終わり)

本当に長文で失礼だったかも…。

本記事の冒頭に挙げた
「サンクコスト効果」「コンコルド効果」と、
「屋号を掲げること」とをつなげ、
再検討、関係性の流動性、
その大事さ
を書いたところです。

…まとまらなくなってきたので、
最後に無理やりまとめて終わります。

本記事では武内さんの記事に対して
私が考えたことを膨らまして、
『キャッチフレーズ』『屋号』
『専門を世の中に打ち出すこと』
と、サンクコスト効果・コンコルド効果
とを絡めて書いてみました。

キャッチフレーズや屋号をつけるためには、
労力が必要です。
取捨選択、見せる/見せない、
そういった判断も必要。
表に出てきたものだけがすべてではない。

そのための「労力」を脇に置き、
再度、考え直していけるかどうか?

サンクコスト効果・コンコルド効果を
振り払って(脇に置いて)
リブランディング、リライトができるか?
自分の「積み上げて」きたものを
「あえて崩す」ことができるか?
人生を否定されたように錯覚しないか?

読者の皆様は、どう考えますか?

これはなかなかに奥深い議題です。
私もまた考えていこう、と思います。
武内さん、非常に興味深い記事の
シェア、ありがとうございました!

※サンクコスト効果・コンコルド効果に
ついては、こちらの記事も↓

※武内さんの記事は、改めてこちら↓

ぜひお読みください!
とても考えさせられますよ!

※蛇足ながら「成功を積み上げすぎることにより
自分自身の活動を固定しまう」
「自ら成功体験を崩す」という
テーマについては、
名作麻雀マンガ『アカギ』の中で
アカギが原田組長に対して
語るシーンがあります↓

もしよろしければこちらもぜひ。

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