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近代からの日本は欧米諸国を手本に
「文明開化」に努めました。

ただ、和魂洋才という言葉があるように
精神的なものまで丸ごと取り入れた
わけではありません。ゆえにヨーロッパ史は
日本ではあまり知られていない…。
特に「近代以前」のヨーロッパは
「中世」=暗黒時代と捉えられがち。


ただ、その視点だけだとどうしても
16世紀頃に極東の島国まで
「大航海」してきたのかが理解しづらい。

◆600年頃:聖徳太子(厩戸皇子)登場
◆700年頃:律令政治
◆800年頃:平安京に遷都
◆900年頃:白紙に戻そう遣唐使
◆1000年頃:大河ドラマ『光る君へ』の頃
◆1100年頃:「院政」の開始
◆1200年頃:鎌倉幕府の誕生
◆1300年頃:鎌倉幕府の衰亡
◆1400年頃:いざ国まとめる足利義満
◆1500年頃:意欲に燃えるコロンブス
◆1600年頃:関ヶ原の合戦

本記事では、先日に書いたこの
かいつまんだ日本史と対比する形で、
「100年ごとのヨーロッパ史」を書きます。

◆600年頃:ヨーロッパ誕生前夜

395年、ローマ帝国は東西に分裂。
「東ローマ帝国」はずっと続きますが、
「西ローマ帝国」は476年に滅亡する。
以来、西では国が乱立していました。

600年頃の東ローマ帝国を支配したのが
「ユスティニアヌス帝」です。
『ローマ法大全』を編纂させ法律を整備、
いにしえのローマ帝国の勢威を回復します。
東欧、イタリア半島、エジプト、
北アフリカ、イベリア半島など、
地中海沿岸に東ローマ帝国を広げた…。

今の国別の地図では想像しにくいですよね。
当時はまだ「ヨーロッパ」という意識が
この地域には無かった。


◆700年頃:フランスで撃退

「敵」「他者」が目の前に現れて初めて、
ヨーロッパという概念が生じる…。
中東地域で勃興したイスラーム勢力です。

防波堤になったのは東ローマ帝国でした。
迂回してきた。
中東からエジプト、北アフリカ、
そしてジブラルタル海峡を渡って
イベリア半島へと突き進んでくる!

…このまま進めば、西ヨーロッパ一帯は
イスラーム勢力に占領されてしまいます。
732年「ナミニ」乗った相手を食い止める。
フランス西部でイスラーム軍を撃退!
この時に活躍したのがカール・マルテルです。

◆800年頃:カール戴冠の意義

カール・マルテルの孫が「カール大帝」。
彼は800年、ローマ教皇のレオ三世より
「帝冠」の位をもらいます。

…どういう意味があるのか?

防波堤としてヨーロッパを守っていたのは
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)。
だからローマの教皇はビザンツの
言うことを聞かなくちゃいけなかった。

これからは、そうじゃない!
カール大帝がローマを守ってくれる!
そう、ヨーロッパが「生まれた」時、
東欧と西欧とは「双子として」生まれた。


◆900年頃:オットー大帝、苦労人

ただ、カール大帝の死後、
彼の国である「フランク王国」は分裂。
ローマ教皇は、新たな保護者を
つくらなければなりません。

東フランク王国に強そうな人がいた!
962年「オットー大帝」が戴冠。
これが「神聖ローマ帝国」の始まり。

◆1000年頃:聖職叙任、仁義なき戦い

皇帝とは言え絶対権力者ではない。
ローマにいる教皇の権威は絶大で、
教皇が上、皇帝は下に見られがちだった。

皇帝は考えた。
教会の権威を利用して力を高められないか?
そうだ、聖職者たちを皇帝の手で
「叙任」すれば、忠実な仲間が増えようぞ…。

教皇から見ればこれは反逆です。
「聖職叙任権闘争」が起こる!

◆1100年頃:遠く向こうのエルサレム

1077年「カノッサの屈辱」が起きます。
教皇に「破門」された皇帝が、
教皇に謝罪せざるを得なくなった「屈辱」!

ただ、皇帝も負けっぱなしではない。
最終的にこの闘争は、
皇帝と教皇が同じ立場に立つことで
妥協が成り立ちました。

…教皇は、自分の力を誇示する意味も
あったんでしょう。
1095年、クレルモンで公会議を開き、
「聖地奪還」を提唱。
1096年「第1回十字軍」の開始です。

◆1200年頃:逆襲のクルセイダーズ

十字軍は第七回まで続きました。
歴史のつながりで考えれば、
イスラームに「逆襲」する形。

…ただどさくさに紛れて、第四回十字軍では
東ローマ帝国のコンスタンティノープルを
占領しています。
あれ、敵は誰だったっけ?
西にとっては、東ローマ帝国も
潜在的な「敵」だったと言えましょう。

…結果的に、十字軍は失敗する。

これにより教皇の権威が失墜。
現場監督だった「国王」たちの実力が高まる。

◆1300年頃:閉じ込められた教皇

1303年に「アナーニ事件」が起きました。
フランスの国王が、教皇を
アナーニという街で捕縛する!
「穴に」閉じ込める! その後には、
教皇の座がローマから移動させられる
「教皇のバビロン捕囚」という事件も…。

国王たちの力が高まった象徴的な事件です。

◆1400年頃:上が分裂すると下が困る

国王によって亀裂を入れられた教会に、
さらに「教会大分裂(シスマ)」が起きた。
ローマ教皇とは別にフランス国王が
アヴィニョンに教皇を立てたのです。
(日本史で言えば「南北朝分裂」?)

上層部が分裂すれば、下部組織は困ります。
地方の教会は、徐々に国王の支配下へと
入っていくことになりました。

◆1500年頃:以後よく広まるキリスト教

それこれを踏まえての「宗教改革」。

1517年、ルターたちが「宗教改革」を始めた。
教皇側は「反宗教改革」を行って引き締めます。

カトリックとプロテスタントに分かれる!

このカトリックの牙城だった国の一つが、
1500年頃にイベリア半島から
イスラーム勢力を追い出したスペイン。
そして隣国ポルトガル。

「ヨーロッパで新教徒が増えるなら、
はるかな海を越えて布教するぞ!」

こうして「イエズス会」結成。
創設者の一人がフランシスコ・ザビエル!
彼は1549年、極東の日本までやってきて、
キリスト教(カトリック)を広めたのでした。

◆1600年頃:太陽の沈まぬ帝国

植民地建設とキリスト教布教はセットです。
16世紀に南北アメリカの大部分を占拠、
莫大な富を手に入れた西欧諸国は
植民地獲得競争へと邁進します。

メキシコのあたりを手に入れたスペインは
太平洋を渡ってフィリピンまで手に入れた。
フィリピンとは皇太子フェリペの名前から。
ゆえにフィリピンでは、
国民の八割が今でもカトリック教徒です。

ただ、日本では江戸幕府が禁教したために、
キリスト教は広まりませんでした。

最後に、まとめます。

本記事では1600年頃までの
ヨーロッパの歴史をかいつまんで書きました。

さて問題です。有名な「ジャンヌ・ダルク」や
「ルネサンス」はどの時代でしょうか?


ぜひ、読者に皆様もご確認いただき、
自分なりの視点で書いてみてはいかがでしょう。

※こちらの書籍もぜひ↓

◆『100年ごとの日本史』↓

◆『100年ごとの中国王朝史』↓

◆『カノッサの屈辱』の魔力↓

合わせてぜひお読みください!

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