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インドにはまだ行ったことがないですが、
一度は行ってみたい、ですね。

「インドと言えば?」

カレー。沐浴。ヨガ。
タージ・マハル。ガンジー。
人口が多い。暑い。ダルシム…。

色々なものが頭に思い浮かんでくる、
と思います。

本記事ではこのインド世界の
歴史と地理について
(本当にざっくりですが)書きました。

場所のイメージとしては、
中国や東南アジアよりも西、
中東やヨーロッパよりも東、
ロシアやヒマラヤ山脈よりも南、
インド洋の北、そのあたり、でしょうか?

中国とも中東とも欧米とも違う、
「インド」という独自の世界を
つくっている地域
、というイメージです。

「数学やITが凄い!」とか
「身分制度が文化として残っている!」とか
「デカン高原!綿花!」とか、
学校で習った断片的なキーワードが
脳裏に残っているかもしれません。
私もそうです。思いつくまま書いてみます。

インドの古代と言えば…?

うん、やはり「インダス文明」
インド世界には、二つの大きな川がある。
インダス川とガンジス川だ。
カタカナの「イ」の形に似た、西の川。
カタカナの「ガ」の形に似た、東の川。

私は「モヘンジョ・ダロ」という
特徴的な遺跡の名前を憶えていました。
…何だよ「だろ」って。
教室でそう感じたのを覚えています。

現地の言葉では「死の丘」の意味。
当時、何と呼ばれていたかは不明です。
(インダス文字はまだ解読されていません)
非常に整然とした都市計画のされた遺跡で、
碁盤目のように細分されており、
水道や公衆浴場が完備されていました。
このことから「階級」があり
「偉い王様」がいた、のではないか、と
言われている。
紀元前2000年あたりで栄え、忽然と消えた

…と、ここで注意点なのですが
「モヘンジョ・ダロ」という遺跡は
今の「インド」という国の中にはないんです。

西の「パキスタン」という国の中にあります。
そう、インダス川の河口は、パキスタン。
河口付近にある街が「カラチ」。
ちなみにガンジス川河口は
「バングラデシュ」という国の中で、
こちらには「ダッカ」という街がある。

西から順にパキスタン、インド、バングラデシュ。
南の海を越えれば、スリランカ、
北の山のあたりに、ネパールやブータン。
これが、現在のインドのあたり、
南アジアあたりの国々です。

…ですがここに至るまで、インド世界では
非常に多くの国が栄え、滅び、興り、
入れ替わり立ち代わりだった
んですよ。
日本史のような一直線のイメージではない。
何しろ広い半島形の大陸、亜大陸です。
人々や国の興亡がめちゃめちゃ激しい。

有名なところでは中国から「三蔵法師」こと
玄奘というお坊さんがインドに来ます。
中国で言えば「唐」の時代。7世紀の人。

この方、シルクロードを通り、
仏教の勉強のためにはるばるやってくる。
旅のことを『大唐西域記』という本に書く。
(これが「西遊記」の元になり、
ひいては「ドラゴンボール」の元になります)

「仏教」は、インド世界生まれの宗教です。

紀元前6世紀頃に「お釈迦様」こと
「ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)」が
提唱した、と言われています。
その後、玄奘三蔵が来た7世紀までには
かなりインドで広まっていた。

しかしですね、いま「インドの宗教」と言えば、
仏教「だけ」のイメージは、ないですよね。
様々な宗教が混沌としているイメージ…。
特に「ヒンドゥー教」があります。
シヴァ神とか、ヴィシュヌ神とかの、あれ。

この「ヒンドゥー教」は仏教とは異なって
特定の開祖がいるわけではありません。
インドの風土に合った「ローカル宗教」です。
(ただし、マレーシアやシンガポールなど
インド系の人が住んでいる地域では多い。
インドネシアのバリ島では、9割が、
バリ・ヒンドゥー教徒だと言われています)

元々は「バラモン教」という、
祭儀中心の「支配」という側面を持つ
宗教が元になった、と言われている。
逆に言えば、このバラモン教の「支配」を
批判する形で「仏教」と「ジャイナ教」という
教えが生まれた
、のです。

さて、唐の玄奘が来た頃には、
仏教国がかなり栄えていました。
支配層が「仏教」を信じていた。
ゆえにバラモン教は、民間に入っていき、
「ヒンドゥー教」へと変わっていった…。

そんなインド世界に入ってきたのが
「イスラム教」ですね。
7世紀あたりで成立した中東生まれの
この宗教勢力、どんどん拡大していく…!

10世紀には「ガズナ朝」という
イスラム王朝がアフガニスタンあたりにでき、
北インドまで進出します。

その後、ゴール朝、デリー・スルタン朝、
そしてムガル帝国へと変わっていく。
これらの北インドの国々はイスラム王朝。
ゆえに、北インド世界では、
「インド・イスラーム文化」が栄えていく…。

その象徴が、ご存知「タージ・マハル」です。

これは17世紀前半のムガル帝国の皇帝、
「シャー・ジャハーン」が建てたもの。

お妃様のお墓なんですね。
日本で言えば江戸幕府の最初のあたりの
頃のことです。

ただ、これはあくまで「北インド」の話。
「南インド」のあたりは
最初からはこのムガル帝国の版図ではなかった。

このシャー・ジャハーンは
長男を後継者に決めていましたが、
三男のアウラングゼーブという人が反抗し、
父親を幽閉、権力を握るんです。

けっこう強引な人でした。
彼は「デカン戦争」を起こして、
デカン高原方面に進出していきます。
次いで南インドも征服しようとする

この北インドのイスラム王朝の進出に、
ヒンドゥーその他の勢力が抵抗します。
戦争、反乱、鎮圧、また反乱…!
アウラングゼーブがいた頃、ムガル帝国は
インド南端以外の最大領土を広げたものの、
彼が1707年に死ぬと、帝国への反乱が多発する。

と、ここまでを簡単にまとめますと、

「仏教国」「ヒンドゥー教の広がり」
「イスラム王朝の進出」
というイメージ。
どうしても「ムガル帝国」というワードが
脳内で独り歩きしますと
「統一している」イメージがありますが、
その実、インドはモザイク状のごった煮だった。
宗教も言葉も、さまざま。
とにかく、インド世界は広いのです…。

そこにやってきたのがイギリス。
大英帝国。めちゃめちゃ強い。

うまく「分断」を活用して
「イギリス領インド帝国」をつくり上げて
植民地化してしまうのです。

第二次世界大戦後の独立時、
イスラーム勢力はインドとは別の国になる。
これが現在のパキスタンとバングラデシュ。
(注:最初は両国は「同じ国」だったんですが、
東パキスタンが後にバングラデシュとして独立)

最後に、まとめます。

本記事では、インド世界の
歴史と地理を簡単に書きました。
中国を抜き、世界で最大の人口に
なったと言われるインド。
この国を抜きにしてこれからの世界を
語ることは難しいと思われます。

今度、カレーを食べる時には、
ぜひ、インド世界の歴史と地理にも
想いを飛ばしてみてはいかがでしょう?

※さらに細かいところはこちらの記事をご参照ください↑

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