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「当たり前」を疑う。ー「歴史思考」を読んでー

世の中に溢れる「当たり前」「当たり前」「当たり前」...

数え上げればキリがない。

人は皆、無意識のうちに社会によって定められる「当たり前」の枠組みにはめ込まれ、枠の外に逸脱すると苦しみ、あたかも決まりきった絶対法則だと信じてやまない。

しかし、それは正しいのだろうか?

「当たり前は当たり前じゃない。」

よく聞く言葉だ。しかし、そう言われてもなかなか気づくのは難しいのではないだろうか。


先日、コテンラジオの深井さんが執筆した「歴史思考」を読んで気づきを得られたエッセンスを抽出し、「当たり前」を歴史という観点から見ていきたい。

歴史思考と「当たり前」

https://pixabay.com/photos/books-library-reading-education-2606859/#content


「当たり前」について話す前に「歴史思考」とはなんだろうか?

歴史を通して、自分を取り巻く状況を一歩引いて、客観的に見ること。

「歴史思考」カバー裏 より

「歴史思考」の著者、深井さんはこのように述べ、「メタ認知」とも言い換えている。

歴史思考によって人間は「当たり前」の枠組みから解放されるのだ。
逆を考えると、短期的な視点・微視的な視点しか持ち合わせない人は「当たり前」の枠の中にいる、ということではないだろうか。

現在に対してのみフォーカスすることで、見えている範囲が全てであり、不変のものだと無意識下で判断している。


「当たり前」=「短期的な」トレンド+思い込み

https://pixabay.com/photos/knowledge-book-library-glasses-1052013/#content

「当たり前」とは何かを理解する。

その答えは歴史を知ることではないだろうか。人間は一個人の一生とは比べ物にならない永い時間の中で文化と共に価値観を育んできた。しかし、これは「短期的な」トレンドでしかない。その証拠に、日本・世界どこを取り上げてもどこの地域のどの時代と全く同じ価値観を共有した時代など存在しないことがわかる。

「人を殺してはいけない」

今現在なら誰もが知っていることだ。しかし、戦国・革命の世の中で常にそんな悠長なことは言ってられただろうか?場合によっては自分が生き残るためには他者を蹴落としていく必要があった。もちろん不殺生を説く教えも存在したが、現代のように皆がこの価値観を共有している時代になったのはごくごく最近のことではないだろうか。

もう一つ見てみよう。

「人生は生まれだけでなく環境によって決まる」

身分が明確に分かれていた時代では、農民の子は農民、貴族の子は貴族という生まれによって左右される社会的地位が今よりもはるかに影響力を持っていた。現在を「平等」と表現するには議論の余地はあるが、少なくとも歴史上の大半の時代では生まれが環境よりもずっと重要であったのは間違いない。

本当に「当たり前」?

https://pixabay.com/photos/holocaust-memorial-berlin-path-3710509/#content

このように現代人が抱く基本的な考え(筆者も日本人なので、多大に日本が影響はしているだろうが)さえも、絶対不変ではないのだ。ましてや、あなたが考え・時には頭を悩ませる「当たり前」など永い歴史から見ればごくごく最近のもの・昔ではあり得なかったものに違いない。

「当たり前」は不変であり、逃れることができないと思い込んでいるだけに過ぎないのではないか。


今こそ世界や自分の国をより知るためには、歴史を学ぶことで「当たり前」を疑う姿勢が求められているように感じる。


「歴史を楽しく主体的に」を掲げている私たちにとってこの切り口は新鮮だった。

メタ認知に関連して、歴史を学ぶことの意義についてまとめた記事もあるのでこちらでも何か気づきがあれば幸いである。
ここまで読んでいただき感謝。


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