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歴史と美意識 ─京都探訪vol.2─

京都探訪編の第2話。(1835字)

今回は広隆寺を訪れ、その中の霊宝殿で弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞう(以下、半跏像)を拝観した際に「美意識の普遍性」について考えたことを綴る。
(この記事では、美意識を実体のあるものに対して「美しい」と感じる気持ちだと定義する。)

広隆寺の霊宝殿は、個人的に京都で最も印象深かった場所で、目の前で半跏像を拝んだ時の衝撃は忘れられない。

と言えど私は仏教徒でなければ、仏像について詳しいわけでもない。
ただ高校生の時に日本史で広隆寺のことを少し学んだだけであったが、その美しさと仏像の佇まいから溢れるものからはえも言われぬものを感じたのである。

弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞう

広隆寺とは、一言で表すと以下のようである。

603年(推古天皇11年)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。
京都市公式サイトより

歴史が古い京都の中でも、最古の寺。
1400年の時を超えて、今もなお存在すること自体が感慨深い。

■木造弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)
広隆寺にある飛鳥時代作の国宝彫刻。創建当時の本尊と伝えられる。国宝第1号。赤松と一部樟の一木造で高さ約125cm。右足を左膝に乗せ、右手をそっと頬に当てて思索にふける半跏思惟像で微かに微笑んだ表情が美しい。
常時霊宝殿にて公開。
京都市公式サイトより

弥勒菩薩半跏思惟像というのは、弥勒という菩薩半跏(片方の足を組む)、思惟(考えること)した像のことである。人々を救う方法を考えているそうだ。

霊宝殿は撮影不可のため写真を撮ることはできなかった。
https://blog-imgs-106.fc2.com/k/a/n/kanagawabunkaken/20170502094253bb6.jpg

以下は感想である。読み飛ばしていただいて構わない。

間接照明だけが点き、閑寂とした霊宝殿の中。他にも多くの仏像がいる中で半跏像だけが異様な存在感を放っている。中性的な柔らかいフォルム・繊細な指先・浮かべる微笑(アルカイックスマイル)のどれをとっても美しいという言葉しか出てこない。

像の正面には畳で座れるスペースがあり、そこに座ってしばらくの間、像を眺める。一切衆生を救わんと思いを馳せるその表情の清らかさと現在の国際情勢とを重ねて、一層平和への想いが強くなる。

参考

美意識とその普遍性 ─文化史を学ぶ視点─

高台寺の夜景。筆者撮影。

さて、単なる感想は置いておき、美意識とその普遍性について考えてみる。

眼前にある、1400年前の仏像の美しさに心を奪われる自分を客観視すると、少しおかしく感じる。私自身と半跏像の間には、空間的な隔たりがほとんどないのにも関わらず、両者の間には1400年という時間の乖離が存在しているからだ。

なぜ1400年も前の仏像が、
現代を生きる私たち人間の心を動かすことができるのか?

という疑問が湧いてくる。

この問に対し、日本人(ひいては人類)が持つ根源的な美意識には普遍性があるから、と答えたい。これも歴史を見ることがヒントになるのではないだろうか。

人類は、進化の過程で「美しい」と感じるものを好むことで生き残る確率を上げてきた。「美しい」ものの方がそうでないものよりも、安全で役に立つ可能性が高いからだ。

生き延びた人類は、進化の過程で得た、本能的に持つ美意識をベースにさまざまなものを作ってきた。その証拠として、現代人が美しいと感じるものは、今回のような1400年前の仏像だけにとどまらない。
今日まで作られてきた、全ての詩や絵画、彫刻などの芸術作品にも同じことが言える。

だからこそ美意識は普遍性を持つのである。


歴史を学ぶと、必ず文化史を習うことになる。

◯◯は◇◇という本を書いた、〜説を提唱した、△△に影響を与えた…
歴史の教科書の記述

こういったものを延々と覚えさせられる経験から、受験生が文化史に対して抱くイメージといえば、特に暗記が多い・大変といったものではないだろうか。

しかし、時代や地域を超えて美意識に普遍性があるということを考えながら学ぶだけで随分と見える世界が変わる。本質的に自分と同じ美意識を共有していると知るだけで遠い時代の人物がグッと近い存在になる。

歴史的な遺物に触れ、当時に思いを馳せることは、こうした普遍性に気づくきっかけをくれるのではないだろうか。

参考

日本人の感性(美意識)の変化(国土交通省白書より)
https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h30/hakusho/r01/pdf/np101300.pdf


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