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人のフリ見なくても我がフリ直せ。
私たちは他人の悪い行いを見ては一丸となって怒るのが好きだ。
そしてその文化を作っているのはテレビやSNSだと思う。
毎朝のニュースでは必ず犯罪者や芸能人のゴシップが報道される。SNSでも全く同じことをやっている。そりゃあ他人のネガティブな情報は数字が取れるからね。
そしてそういった他人のゴシップを見ては、「最低なヤツだな」と怒る。しかしその感情の裏には、他人の落ちる様を見て、「私たちはこいつよりマシだ」と安心する心理がある。
私たちは集団で1人の悪者を懲らしめて村八分にするとき、ある種の一体感を得られる。その瞬間は排除される側の人間ではなくなるので安心感がある。
しかし、いくらニュースやSNSで自分より圧倒的にヤベー奴がいたとして、じゃあ自分がいくらいい加減にしてても許されるかといえば全然そうではない。
「遅刻しても犯罪者よりマシでしょ」
「提出物が遅れても犯罪者よりマシでしょ」
「返事がルーズでも犯罪者よりマシでしょ」
残念ながらこれらは一切通用しない。まず相手の頭の中に「犯罪者よりマシ」という基準がないからだ。(当たり前)
だから普通に「この人はグズだな」という認識をされ、信頼されなくなる。
「別に信頼されなくても自分は平気」
というのならいいが。
他人へのそういった一般的な配慮もできずに、自分を肯定したり信頼することができるのだろうか。
少なくとも私には無理そうである。
だから誰かが痴漢しようが、強盗しようが、芸能人が不倫しようが、炎上しようが、
それで自分が勝手に人間として上等になれるかといえば、まーーーーーったくそんなことはないのだ。
痴漢とか強盗してるやつを見て「他人のフリ見て我がふり直せ。自分はやらないでおこう」ではない。
自分の悪き習慣を改善することが大事なのだ。
「遅刻癖」があるならそれを改善したほうがいいし、「提出物をギリギリで出したり遅れたりする」ならそれを改善したほうがいい。「メールなどの返事がルーズ」ならそれを改善したほうがいい。
これがまだ自分だけ損するならまだいい。だが自分だけでなく、むしろ相手のほうが迷惑するのは良くない。
「遅刻しようが、提出物が遅れようが、返事がルーズであろうが、何が悪い。俺はそういう人間なんだよ」
と心から思え、穏やかに過ごせるならそれはそれで正解かもしれないが。
少なくとも自分はそうではない。
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