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あの日、ファミリーの名を冠したコンピューターがあった。ファミコン40周年。

我が家にはファミコンは無かった。

今年はファミコン登場40周年らしい。その記念すべき年にファミコンのことについて書いてみようと思う。

40年前ほど、、あの当時、小学校の同級生の半数以上はファミコンを所有していた。ファミコンという言葉には甘美な響きがあり、所有していることが普通でもあり、日常でもあった。
友人の部屋の写真を撮ったなら必ずどこかにファミコンが映っていたはず。それくらいファミコンは一家に一台レベルで浸透していた。

しかし、TVゲームに対する悪影響への懸念があったのか、我が家にはついぞ、ファミコンがやってくることはなかった。

ファミリーコンピューター

コンピューターという言葉が一般的になってきたのは80年代初頭だろうか。子供なりにも記憶に残っているのはMSDOS、フロッピーという言葉だし、アメリカの映画でもコンピューターと三目並べをする映画や、時空を超える車や、人と話す車が登場し、来るべきコンピューター社会を暗示していた。

そんなときに登場したのがファミリーコンピューター。コンピューターにファミリーを冠したのが上手な戦略だ。当時コンピューターそのものを所有することは一般的ではなかったためその言葉には自分とは関係ないという思いが強かったが、ファミリーという言葉が付くことで親しみを醸し出すことに成功していたし、さらに、それが簡易なゲームをするための機械であることも奏功していた。当時のコンピューターはドットの問題なのか、カクカクの文字、解像度も悪く、プログラムも直入力。そのことが、一般人にとって苦手意識を助長していたから。

ファミコン登場前、ゲーム機と言えば、ゲームウォッチというやつで、ドンキーコングなどにハマっていた。あのゲームの画面をTVに置き換えたものとしてはカセットビジョンなどがあったが、如何せん、当時の技術力では表現力に大きな課題があった。ゲームセンターのインベーダーゲームのようなものを想像いただくとよいだろう。

さて、そんなときに、それなりの画面ビジュアルで、ゲーム機自体のデザインもそれなりに親しみやすいファミリーコンピューターが登場した。

そして瞬く間に日常生活の一部になっていった。

ファミコン難民

あるものが日常生活になるということは、それが無い状態は非日常となるわけで、毎日の新しいニュースが話題になって、知っている人がすごいということになる小学生にしてみれば、それは流行から遅れることを意味していた。これは、今思えば大したことでは無いのだが、小学にしてみれば大きな出来事。

となると、ファミコンを持っている友人の家に行き、ファミコンで遊ぶことが日常になっていく。流行に後れてはならないという涙ぐましい理由が潜在意識にあったのだろう。

友人宅に行く、とりあえずファミコンに電源をいれる。当時はシューティングゲームが流行っており、やるならシューティングゲームだった。

ゼビウスに始まり、スターフォース、スターソルジャーと続いたそれは、途中でセーブできないこともあり、ゲームオーバーまで延々と続いた。

あとはマリオブラザーズ。初期は面白みがなかったが、スーパーマリオブラザーズになってから動きが横スクロールになったこともあり、俄然と面白みが増し、これもまた延々と続くのだった。

その他、ロードランナーというのもあった。プロフェッショナルロードランナーは難しすぎたが(これはPCゲームだったか?)。スパルタンXというわかりやすいものもあったし、魔界村というのもあった。これらを友人や親せきの家を訪れるたびにやっていた。

そんな日常生活。非日常を日常にする努力。

しかし、この努力に、合わないゲームのジャンルもあった。それはRPG。ドラゴンクエスト、ポートピア連続殺人事件などは短時間ではクリアできないため、まったく触れる機会が無かった。

余談だが、ドラゴンクエストをきちんとやったのは任天度DSにて。ついこの間の話なのだ。しかもドラクエ6,4,9という順番。平成も後半になって、友人との会話でラスボス・デスピサロを話題にしていたのだから面白いものだ。

ファミコンが無くてもよかった

という日常を非日常にする活動は、1年もたたず終わっていく。想像するに、ファミコンゲームには恐ろしいくらいの中毒性があるが、中途半端に遊んでいるだけでは、そこまでに至らなかったのだ。中毒にならず、ファミコンからはあっさりと離れていった記憶がある。

その代わり、漫画にのめりこんでいった。TV画面を終始見つめるよりは、紙の書籍の方が目に優しいし、漫画は言葉を覚えることにも貢献していた。美味しんぼやミスター味っ子からは素材の奥深さを、スポーツをしたことが無くてもスラムダンク、ドカベン、キャプテン翼でルールを覚え、そのスポーツ自体に関心を持っていった。これがきっかけで、スポーツ少年団や中学校の部活を選んだ人も多いのではないだろうか。

そして世の中の不条理や、世の中の出来事についても漫画を通して学んでいくことになる。

ジョジョからは産業革命時の英国風景を、こち亀からは日本の下町風情を知っていく。

可処分時間で考えるならば、TV画面に向かっていた時間は、おそらく何も生み出さなかった。ゼビウスから人生を学ぶことは無いように思える。でもTVゲームが無いことで可処分時間が圧倒的に増え、漫画に時間を費やすことで多くを学ぶことたできたように思う。

このことから、ファミコンが無くて逆によかったと思えるのだ。

ファミコン狂騒曲の終焉

ファミコンブームは数年続いたが、後続機種の登場によって、ブームはそっちに移っていく。

一つはゲームボーイ。寝ながら、車に乗りながら、外でも遊べるのが利点だった。このゲーム機はTVから子供を解放したのだと言える。しかし、それは以前存在していたゲームウォッチと同じことだったが、それに気が付くのはもっと後のことだった。

もう一つはPC。PCが家庭に入りこんでいきつつあったのも80年代。あの当時はかなり珍しいものだったのだろう。我が家にも親の影響でPCが進出、中学の頃からフロッピーディスクのゲームをたまにやっていた記憶がある。めぞん一刻、イース、ゴルフの遥かなるオーガスタ、ダンジョンマスター、蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン、三国志、信長の野望、シムシティ、A列車で行こう、プリンスオブペルシャ、探偵もののJBハロルドシリーズ「マンハッタン・レクイエム」などなど。

PCのすごさといえば、圧倒的なグラフィック力。あの解像度は、当時のファミコンはかなうべくもなかった。無論ゲームボーイもかなわない。そして、このPCゲームの特色は学びがあった点だろう。単純なシューティングゲームやマリオブラザーズのようなゲームは無く、いわゆるシミュレーションゲームが多くを占めていた。

シムシティ、A列車で行こうからは都市開発における計画の重要性を学び、信長の野望、三国志からはかの国の歴史を学んだのだ。

こうして中学からの可処分時間は漫画からPCゲームに移っていくのだった。(中学になる頃には、主だった漫画は終焉を迎えているか、話がつまらなくなっていったりして漫画離れが起きていたことも背景にある。)。

そして、スーパーファミコンという真打が登場するに至り、旧ファミコンは完全に過去の遺物となってしまった。やがてプレイステーションなど他のメーカーも勢いをぶり返していく。

PCゲームはその流れからは若干外れていたため、個人的にはそういったゲームメーカー戦争の中に入りこむことは無かった。そのPCゲーム自体も高校生になる頃には思春期特有の恋心や音楽に関心が向き、次第に日常生活から離れていく。

あの時代

あの時代、ビックリマンシール、キン肉マン消しゴムに匹敵するブームをファミコンは生み出した。多くの子供が可処分時間をTV画面と向き合うことに費やした。

これは今の若者たちがスマホとぼんやり向き合うことに似ている気がする。そんな気がする。

■ ゲームセンター嵐


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