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たとえばチョモランマの山頂で

あけましておめでとうございます。
風邪がなおった娘とふたりで、露天風呂があるとうわさの銭湯に行った帰り、きれいな満月を見ました。2023年最初の満月の晩ですね。
とても美しくハッとさせられ、やっと平穏を迎えた…とホッとしました。

我が家のお正月は、暮れに息子が発熱し、実家帰省するもとんぼ帰り。その後もれなく娘も熱を出して、そんなこんなで家にこもって過ごしていました。

(といいながら、同郷に帰省中だったええこと大晦日に再会! ほんの1時間足らずだったけど、母校ある町で久々に逢えたことはすっごくよかった! ありがとー!)


あれはもう3年前デスカ? コロナ騒ぎが世を埋めつくしはじめたころ、外出ひとつ行動にまよい、遊び盛りの子どもふたりの健やかさが愛しくてかけがえがなくて悲しくて…、心のバランスをうしなったことがありました。家にこもらざるを得ない状況が続くと、あの頃の不安とつい繋がってしまうというのは、きっと多くの方にもあることではないでしょうか。

楽しみにしていた正月のあれこれをできなかった落胆や、看病疲れ、熱はあっても元気な子どものニーズにこたえるわたしはマラソンランナー……ざっとまあそんなあたりのしんどさに、それでもずいぶんとうまいこと、自分の波乗り自体はできていたとは思うのですが……

うちの夫婦はお互い自営業で、特に夫は、帰省してはじめて休むような人。家事もしてくれるスーパーできた人ですが、当然ちがう部分があって、ちがう反応があって、優しさからの「どうしたの」の声掛けが「え? どうしたの、じゃないでしょう。この状況!」みたいなやりとりがあったりなかったりするじゃないですか。彼にはできてもわたしにはできないことがあるし、今この瞬間を体験しているわたしの時間は、やっぱり彼は別の体験をしているから、ほんとうには一致してない。だからこそシェアしあえたりフォローしあえたりするわけだけど、火種にもなる。

ぱっとそういう瞬間が今回もれなくあったとき、火種は種のままにして、なるほどなあと内観することができて、そこでの気づきを、これってほんとに微妙なニュアンスのはなしを、あとでできたってことがありました。これってけっこう良い収穫です。かに座の満月っぽかったのでシェア。


とまぁ、そういうことがありながらも、先に発熱した息子から続いて娘もやっと快復。われわれ夫婦も健康維持。月も満ちたし空気が変わったそんな今朝のこと。洗濯物を干しながら思ったこっからが本題です。

こういう(自分や家族などの病の)ときに何を想うか。想ったか。それ以上にどう在れたか。どう在るか。そこに真価を問おうぞというのは多分まちがいない。

そこを真価というならばわたしはほんとうにまだまだ弱い。やみくもに不安にもなれるし、ふさぎこむことも選びやすい。繊細に意識をはらわなければ、実にたやすく転べてしまう。そっちのほうが馴染みがあって、機嫌を悪くする自分をいくらでも正当化できそうで、もっといえば、そういうときにぶれない夫を、わたしはどういうわけか責めることさえできた(過去形で!)。

思えば昨年~一昨年、仕事を通しても(当然、コロナ禍という暮らしも)、命のことを考えさせられる出逢いが多かった。つまりは今、生きているということとや、この命をいかすということを、私自身、意識させられました。

病気をされてほとんど外出できない方も、家族を病で失った方も、小さなお子さんを亡くされた方もいて、出逢えた期間は短くも逝った彼女はわたしの心友でした。大病から無事に復活され、再開されたお店で嬉しく再会できた方もいました。

いい日もあればわるい日もある。
うごける日もあればうごきがたい日もある。
自分は元気でも、思うような行動がとれないのは子育て時代きっとそれは通常モード。
家族や身近な人に起きた出来事は、本人の体験である以上に、心をいたずらにゆさぶられてしまうこともあるでしょう、よくも、わるくも。
晴れもあれば雨も雪もあって、朝はいつも夜からうまれる。嵐も凪も宇宙の静寂の下で起きてる。失うことがあれば与えられることがある。常に生と死をはらみ巡るのが命。

けっきょくラッキーとかアンラッキーとかいうことは、うつろう状態の一面でしかなくて変化のただなかで、もちろんその瞬間瞬間の恩恵をそれぞれにうけて、わたしたちはいつも学べる。学びをさせてもらって生きています。

それがたとえばチョモランマの山頂でも。
それがたとえ自室のベッドのなかであっても。

このこころが、このいのちが、何をおもうか。何をいのるか。何につながるか。そういうことなんだと、家族4人分の洗濯物を干しながら(最近いつも夫が干してくれてたなぁ)(七草粥今年はすっかり忘れてたなぁ)(自分らしさってどっち側にもあるなぁ)とか思いながら、考えたのです。

まだまだお正月の香りのする土曜の朝のこと。


そんなこんなで、絵本を読んでなかった正月でした。
年末さいごの文庫の会で借りてきた絵本を娘とやっと読んだら、あまりにも、今にぴったりの啓示のような絵本でした。
満ちてるなあ。叶わんなあ! 最高だなあ!

『ぼくとくまさん』 ユリ・シュルヴィッツ作


冬至の晩に見た夢はチョモランマの夢でした。

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