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満月の日の物語②「6月6日」

「満月の日の物語」は、
毎月、満月の日に投稿します。
1話読み切り、若しくは2〜3話読み切りの
満月に纏わるショートストーリーです。

※今回のおはなしは、1話の続きです↓


満月の日の物語②

「6月6日」


「………ふぅ〜…」

ガラガラガラ

「こんばんは〜」

この間の約束から、もう1ヶ月が経ってしまった。
思い返すと、あの晩は夢の中の出来事だったような、なんだかふわふわと実感が持てないまま今日を迎えた。
本当に夢だったらどうしよう…

「あ、こんばんは、いらっしゃいませ」

ドキドキしながら靴工房の戸を開けると、中からあの人が出てきた。

「あの…この間は助けてくださって、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ、工房にも寄ってもらえて、靴のオーダーまで…本当にありがとうございました」

中へ入って椅子に腰かけると、段々と実感してきた。
やっぱり夢じゃなかった。
今日もあの笑顔で、迎えてくれた。

「あの、お兄さんってうさぎみたいですよね」

「えっ、うさぎ?」

「昔、読んだ絵本に出てきたんです。月にはうさぎがいて、おもちをついてるって。そのうさぎに、お兄さんが似てるなぁって」

「月のうさぎ、かぁ。そんなことはじめて言われたよ。でも、なんかいいね、うれしい」

そしてまた、ふわっと笑った。

「この間オーダーしてもらった靴、実はまだ完成してなくてね、実際に履いてもらって最終調整しようと思ってたんだ」

靴棚からそっと持ってきたその靴は、先が丸くシンプルな形で、先月の希望でお願いした通りの薄茶色のかわいらしいパンプスに仕上がっている。

「わぁ…!すごい、とってもかわいいです!
あの時のオーダー内容だけで、こんなに素敵な靴になるなんて…」

「まだ底ができてなかったり、完成途中なんだけどね…そう言ってもらえて、ちょっと安心しました」

「はじめてのオーダーで、この1ヶ月ずっとそわそわしてたんです。私のための靴、私だけの特別な1足…どんなものになるんだろうって。そしたら想像以上に素敵な靴が現れて、もう、なんて言ったらいいか……本当に本当にうれしいです!」

「よかった…この1ヶ月、僕もすごく悩みながら、考えながら、何度も何度もやり直して、やっと形にできたから…ありがとう」

そっと足を入れると、ふわっと軽く、でもしっかりと守られているようなフィット感もある。
このままどこまでも跳んでいってしまえそうだ。

「サイズ、ぴったりです!
このまま月まで跳んでけそうなくらい、抜群な履き心地ですね」

私はにこっと笑って、そのままくるくると回って跳ねた。

「はは…!君のほうこそ、うさぎみたいだ」

「ふふふ…2人とも、前世はうさぎだったりして」


お兄さんがコーヒーを淹れてくれるというので、私たちは裏庭のテーブルへ移動した。
最近は暑い日が続いており、まだ6月になったばかりなのにもう夜風は夏の匂いがする。
ちょっと湿度のあるような、でも吹く風は涼しい、春と夏の間の夜。

「おまたせしました、どうぞ」

そっと置かれたカップから、コーヒーのいい香りがふわっと漂う。

「いい香り…ありがとうございます」

「もうすっかり夏の気配だね」

「本当、先月はまだ少し肌寒かったのに…
そういえば、お師匠さんってお兄さんの……?」

「そう、師匠は僕の祖父。今はこの隣で2人で住んでるんだ」

「やっぱり、おじいさんだったんですね」

「じいちゃんの工房には昔からよく遊びに行ってて、そこでよくお客さんとも喋ったりしてたんだ。みんな靴を持って帰るときは、すごく嬉しそうな幸せそうな満ち足りた顔をして帰ってく。そんな人たちを見てたら、僕もじいちゃんのような靴職人になって、僕の靴で誰かを幸せにしたいって自然と思うようになった。
工房で弟子入りしてからは、"師匠と呼べ"って、いきなり厳しくなったけど、やっぱりじいちゃんはすごい人で、すごく優しくて、あったかい、僕がいちばん尊敬してる人だよ」

「靴棚に並んであったきれいな靴を見て、きっとまっすぐで、優しくてあったかい方なんだろうなぁって思いました」

コーヒーをそっと口に運ぶと、お兄さんは優しい表情でこちらを見て

「このコーヒーも、じいちゃんが豆の焙煎してるんだ。靴もそれ以外も、その人らしさって物が変わっても同じように感じられるんだよね」

お兄さんはコーヒーをゆっくりと飲みながら、夜空を見上げた。

「私も、わかる気がします。あの靴も、このコーヒーも、おじいさんのお人柄がじんわり伝わってくるような、あったかい気持ちになれますね」

コーヒーは、とてもおいしかった。

「でも、おじいさんだけではなくて、淹れてくれたお兄さんの優しい丁寧な心も、このコーヒーに入ってるって思いました。お兄さんの淹れてくれたコーヒー、とてもおいしいです」

お兄さんは照れ臭そうに笑って言った。

「……ありがとう」

空を見上げると、上の方にぼやっと明るく光っている月があった。
今日は曇ってて形は見えないけど、雲で光が分散されて空全体が光っているようだった。

「あの日の晩、君と初めて会った時、僕はすごく胸がざわざわして、今まで感じたことのない気持ちになったんだ」

ぼんやりとした月明かりに照らされて、暗い闇の中、お兄さんの顔はいつも以上に白く光っている。

「君は階段の下で小さくうずくまってて、みんな君の姿は見えてないみたいに通り過ぎて、世界から取り残されてしまったみたいで、まるで僕自身を見てるみたいだって…僕が声を掛けなかったらそのまま消えてなくなってしまいそうな予感がしたんだ」

「……私も………」

あの日の私と同じことを思っていたなんて。
毎日のデスクワーク。
淡々とすぎる日々。
周りから嫌われないように話を合わせて
上辺ではうまく接してるふり。
本心で話せばいつも関係が悪くなって
段々と自分をさらけ出せなくなった。
だから本当の私を好いてくれる人はいなくて
いつも孤独だった。
連絡すれば話せる人はいる。
声をかければ普通に会話もできる。
ただ、本心をさらけ出す勇気がずっと持てなくて
いつも本当の自分じゃなかった。
こんな自分じゃきっといつまでも
本当の友達はできない。
私が上辺で接していることを
きっとみんなもわかってる。
壁を作っている相手に心を開こうとは思わない。

そんな時、駅に貼られているポスターのキャッチコピーが目に留まった。

"素敵な靴は、素敵な場所へ連れて行ってくれる"

変わりたい。

そのポスターの靴屋さんに駆け込んで、自分が一番ときめいた靴を買った。
まだ間に合うなら、この靴を履いて進みたい。
新しい自分の足で歩きたい。

と、思っていたのに、あの晩
一瞬で壊れてしまった。

1日運が悪かっただけ、そう前向きになろうとしてみても、なんだか、私には無理だって、そう簡単には変われないって言われてしまったみたいで、どうしようもないくらい切なくなって、もうこのまま消えてなくなってしまいたいって思った。

その時、声を掛けてくれたのが、お兄さんだった。

「……私もあの日、同じこと思ってたんです。ずっとずっと人と関わるのが下手で、もうこんな自分嫌だって、あの新しい靴を履いて、自分を変えたいって思ってたのにあっけなく壊れてしまって、その気持ちすら否定されたみたいに思って…もう消えちゃいたいって…

そしたらお兄さんが声を掛けてくれて…もう誰の目にも私は映ってないのかなんて、本気で思ってたのですごくびっくりして……でも、見つけてくれて、あの時…すごくすごく救われたんです…!」

言ってしまった。
他の人にはなかなか言えない自分の気持ちを、まだ2度しか会ってないこの人にぶつけてしまった。またいつもみたいに上手くいかなくなるかもしれない。離れていってしまうかもしれない。でも、でも、この人はちゃんと私と向き合ってくれる気がした。この人の前でなら、勇気を出して自分をさらけ出せるって思った。

涙がどんどん溢れて止まらない。視界がぼやけて、ぜんぶが淡く白く光ってる。

お兄さんは細い目を一瞬大きく見開いて、それから泣き出しそうな切ない顔をして、私をそっと抱きしめてくれた。

「僕が君を見つけた」

「……ふ…ぇ……うぅ…ぅ……」

「君はひとりじゃない。変わりたいって思った君は、もう今までの君とは違う」

「それに…あの日救われたのは、君だけじゃなかった」

あの日、君に出逢わなかったら、僕はまた前みたいに工房から一歩も出ず、ただ闇雲に靴を作って、本当に大切なものが何なのかわからないまま悩んで悩んで煮詰まって、自分はどうしたって師匠みたいにはなれないって勝手に自分を追い詰めていた。

「君があの日、僕の顔を見上げた瞬間に…
僕は君に救われたんだ」 

「……ぅ…わ…わたしが……」

「君が僕を見て、助けてほしいって言ってくれた。誰かに必要とされたいって、本当はずっと思ってたのかもしれない…とりあえずテーピングをしたけど、もう少し君と話していたいと思った。だから、工房に来てくれてすごく嬉しかった。靴のオーダーまでしてくれるとは思ってなかったから驚いたけど、君のための靴ならいい靴がつくれる、そう確信したんだ」

今までずっとわからなかった。わかってるつもりでいた。たった1人を大切にしたいと思える気持ち。この人のために何か力になりたい、この人の笑顔が見たい、この人のために、僕は靴をつくりたい。
じいちゃんがいつも、"いい靴"をつくろうとするだけじゃ本当に"いい靴"にはならない。いちばん大切なものを、お前はまだわかってないって言っていた。
今までの僕に足りなかったのは、誰かを大切に想う気持ちだったんだ。

「…お兄さん…ありがとう…」

お兄さんの腕は、やっぱり白くて細かったけど、あったかくて、そーっと抱きしめてくれた力はとても優しくて、それから少しコーヒーの香りがして、余計に涙が止まらなかった。



「さっきは取り乱してしまって、すみませんでした」

月がだんだん真上へ昇ってきたころ、私は落ち着いてきたのと同時にとても恥ずかしくなってしまった。こんな姿、誰にも見せたことなかったのに。

「ううん、もう大丈夫…?」

「はい…あの、急にこんなこと、びっくりしましたよね」

「びっくりしたけど、同じようなことを思ってたって知れて、すごく嬉しかったよ」

「私、お兄さんの前でなら、嘘の自分じゃなくて、本当の自分を出せるみたいです」

「きっともう、君はどんどん変わっていってるんだよ。どんな君も君自身だから、どうかそんなに自分を責めないであげてね」

「はい…!あの…またここへ来てもいいですか?」

「もちろん、いつでもきていいよ。今日履いてもらった靴も明日から仕上げに入るから、もう少し待っててね」

「私だけの1足、とてもとても楽しみにしてます」

くしゃくしゃの泣き顔から、いつのまにか笑顔になっていた。
この子を見てると、どうしてこんなに胸が締め付けられるんだろう。
いや、きっともう理由はわかってる。


「今度、僕とデートしませんか?」


笑った顔が、満月みたいに綺麗だった。




fin.


初回は2話読み切りのおはなしでした。
最後までご覧頂きありがとうございました。
次回、7月5日の満月の夜にまた。

Instagram @shirokumaza_hi






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