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いろ衣都つむぎ ~失われる時間~


時間とはいのちなのです。
と、ミヒャエル・エンデは「モモ」のなかでいいました。
そうです。だから、わたしのいのちはあと30年ほどしか残っていないのです。
しかし、そのことはわたしにとって、どうでもいいことです。
わたしにはやりたいことがたくさんあります。
このあいだ出した絵本の仕事。絵を描くこと。詩を書くこと。物語を書くこと。編み物。園芸。
こうしたクリエイティヴなことは、それをやっていると、時間を忘れるし、なのに、後には自分の内面が広がるような充実感をもったものを感じます。
時間を無駄にしたとは、思いません。時間を忘れているのに、です。
わたしはあまり、遊ぶことが得意ではなくて、あらゆるゲームが大きらいなのですが、娯楽というものには楽しみしかないような気がします。
楽しみはまた、こんな楽しみがほしいという欲望をもってくるように思えるのですが、ちがうでしょうか。
欲望はきりがないのです。どこまでも満たされずに湧いてくるのが欲望だと思います。
欲望とつきあうのって、疲れませんか。
わたしは、多くの人が娯楽に興じているのを見ると、実は、違和感を覚えています。
もちろん、これは、個人の価値観です。
わたしには、娯楽は時間の浪費に思えるのです。
わたしも沖縄旅行に行ったりもしましたが、あれは、自分との対話の時間でした。遊びとは少しちがうのです。
そして、わたしは退屈するということがあまりありません。
退屈、しますか?
日々のできごとを丁寧にやっていれば、退屈はありません。
同じ日は二度とないのです。
どうか、時間をとりこぼすような、日々の過ごし方をしないでほしい。
だらだら生きれば、だらだらした自分になります。
時間――歳月は正直です。
わたしたちは、生きたように、時間の使い方次第な老いかたをしていくのです。


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