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「慈善事業」としての創作活動

また物議を醸しそうなタイトルで、創作論とまではいきませんが小説そのものに関係ありそうなことを書き連ねる記事です。「なんだ喧嘩か? 買ってやるよ」と思った方はここでブラウザバック推奨。

そもそも創作活動、とりわけ小説を書き連ねるにあたって、一定の思想を持っているわけですが、それについては方々で公開しています。
例えば親族の死から一か月経って、心境を整理するために書いたエッセイ。
「メンタルが思ったよりじわじわ死んでいる、という話。」

https://ncode.syosetu.com/n1168ie/

そして(ほぼ)ノンフィクションの私小説として作り上げた作品。
「追体験」

それほど奇をてらった思想ではないと思い込んでいるのですが、一方で「書籍化目指してます!」と宣言する物書きたちを見て、「なんか意見合わないな」と思うのも事実。そもそも物書きにまともな人間はそうそういないので、そりが合うと思う方がおかしいのかもしれませんが。(主語がでかい)

創作を通して、どこの誰でもない人生を再現できる。何人分もの人生を、作品を書き読むだけで追体験できる。自分と読者にその体験を提供するために、お金が発生しなくても小説を書いている。
「追体験」で、そんなことを私は書いています。もちろんお金がもらえた方が嬉しいのに違いはない、という注釈付きで。ただ、書籍化したいという欲がほとんどないのもまた間違いありません。それは売上がどうとか編集者がいい人間ばかりであるとは限らないとか、物書きがまともじゃないんだから編集者もまともなわけがないだろとか、純粋に創作に向き合えなくなりそうな不安要素がたくさんあるし、そういうのをSNSなどを通じて嫌というほど見てきたからです。あとは、書きたいものがうまく書けなくなるのではという危惧も。

そもそも締め切りを設定されると逆に書けなくなる厄介な性質があるので、致命的にプロの作家には向いてないんですよね。おまけに日常生活において辛うじて生きていられるレベルの不器用さも持ち合わせているので、普段の生活や別の趣味にいい感じにうつつを抜かしておいて、気が向いた時に創作に向き合うくらいがちょうどいいのではと思っています。作品を提供してお金をもらう関係が成立した時、「面白い/お金を出す価値のある作品を書く」保証はできないし、そんな責任を負うのはごめんだからですね。自分ですら「これは当たりの作品」「これは正直そこまででもない」と判断できてしまうので。

とまあいい感じの言い訳をしてきましたが、ここからタイトル回収。
私は作品を書き連ねるスタンスとして、「慈善事業」と捉えているのではないか、という説。
そもそも作者と読者との間に金銭の授受がないのであれば、作者がどのように振る舞おうが作者の自由です。もちろん作品中で特定個人を誹謗中傷するとか、法に触れることは当然ご法度ですが、世間では良しとされているものを批判することも誰かに非難されるべきではありません。その人が何を考えるか、何を信じるかは自由です。「明日人類は滅ぶというのにお前たちはなんでのうのうと生きているんだ、恥を知れ」と言ったって、「何言ってんだこいつ」と呆れられるかもしれませんが、法に触れるわけでも人道に反することをしているわけでもありません。
この「作者の自由」というのは、もっと高次元な作品の方針についても同じであるはずです。感想欄で読者にどうなじられようが、どんな指示をされようが、それに従う義理はありません。お金を払って「こういう展開にしてください」と依頼されたのであれば別ですが、たかだか読者の発言に拘束力らしい拘束力はありません。確かBLEACHの作者・久保帯人氏が

”読者にあるのは作品の話を変える権利じゃない。その作品を読むか読まないかを選択する権利だ。気に食わなければ読むのをやめればいい”

とTwitter上で発言していたことがあったと思いますが、まさにこれは正しいと思います。無料で作品を享受しようとする読者に対しては特に。
「人が手間暇かけて作り上げた作品をタダで享受できると思うな」と言いたいのではありません。まあ……タダで読んでおいて、いわれのない文句を言ってくる人間のことを下に見ているのは割と事実ですが。よっぽど暇なんだろうな、現実生活でよっぽどうまくいっていないんだろうな、と哀れみの情が湧きます(湧かない)。
小説家になろうをはじめとするネット上の小説投稿サイトは、無料で読み漁れるからこそここまで発展してきた、というのは疑いようのない事実です。例えば月々数百円の課金制だったとしたら、作者も読者も今ほどの数はいないはずです。私も、(「基本無料」のコンテンツがこれだけたくさんある世の中で生きてきたから、というのもあるでしょうが)有料の小説家になろうは利用しなかったと思います。ですので、タダであることそのものに異を唱えるつもりはありません。タダで享受してるくせに、一丁前に偉そうに文句言ってくるのは話が違うでしょ、ということです。

そして創作物を作り上げる時に、神経質になりすぎて推敲を繰り返すとか、こんなのウケるのかなとか、小さいことで悩んでいても仕方ない、とりあえず出してみるということもポリシーとして抱えていきたいと思っています。読者の求めるものは何か、流行りは何かを常に意識して書く。それが楽しい人もいるでしょうし、否定はしませんが、創作をするうえで一定の芯がない人とはそりが合わない気がします。私の芯は、「傍若無人と思えるほどに好き勝手に書く」こと。食指が伸びたものから手をつける。もちろん流行りものに食指が伸びれば、それを書くことも厭いません。

と、言いつつ。傍若無人になるにしても程度はあるので、あくまで人様に迷惑をかけない程度に。「こいつとはそりが合わんな」と思ったらそっと離れるのはいいですが、あまり批判しすぎないようにというのは、心に留めておかねばと思います。

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