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【子育て・教育】学校はなんのための場所か。祈りと願い、そして未来の学び方とは

夜でもヒルタです。私は、「しあわせな+1時間を 岡崎市」を目指して活動しています。自分の使いたいように、自由に使える時間があることが「しあわせ」につながると信じています、家族との時間・学び直し・まちづくり活動・趣味や休息等。そうした時間を住民が毎日「+1時間」得られるまちをつくる。政治により生活を効率的に、豊かに楽しくすることで毎日1時間の余裕を生み出すことを目指しています。

私、晝田 浩一郎(ひるた こういちろう)は、子育て環境のために教育環境が重要だと信じています。「偏差値の高い大学に行かせる教育」というわけではなく「学び」や「学び方」を得ていくことが重要だと感じています。学校での学びや学習指導での学びとは何かを考えているなかで、学校はなんのためなのか、現在の私の考えをセーブポイントとして書いていきます。


学校と学習塾って

このnote記事にも紹介されていますが、Twitterでもあるように「学校教育は何の役に立つ?」についてネットでは盛り上がっていました。

校長先生の切り返しがステキな記事!


『進化思考』の「系統」で考える

私は『進化思考』の捉え方がとても好きなので、よく活用しています。

そもそもの「祈りと願い」は何かを突き詰めて考える。そもそもなんのために創出されたかの原点を考えていくことが「系統」です。

学校の始まりと目的とは

旧閑谷学校の場合

岡山県備前市にある「旧 閑谷学校」が、現存する世界最古のための「庶民のための公立学校」です。私も何度か訪問したことがありますが、とてもステキな場所です。

閑谷学校は江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって創建された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。初めて閑谷の地に来観した池田光政は、「山水清閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めたのです。

特別史跡旧閑谷学校ウェブ

なぜ庶民のための学校を造ったのか。
もともと岡山藩では庶民が行ける手習所が藩内に123カ所あり、庶民への教育の重要性を認識していた藩でした。「国づくりは人づくりから」という理念のもと、「質の高い教育を、武士・庶民に関わらず与えたい」という考えが光政にはあったようです。そこで、「地域のリーダー」となりうる人材を育てる場に、と閑谷学校が造られました。

おかやまWebタウン情報岡山

リーダーシップを育成していくため、として儒教や集団生活を通して学びを深めていたわけです。社会にとって役に立つ人材を育成する「国づくりは人づくりから」というように、そこに通う子どもたちに向けてというよりも、社会を良くするためとして「社会」に対して矢印が向いている印象があります。

学校は、個々の人間が持つ可能性を引き出し、社会の一員として共に生きるための価値観やルールを教える場所だとも言えます。

「寺子屋」「筆学所」「幼童筆学所」の場合

室町時代まで遡ると、いわゆる「寺子屋」がありました。寺子屋の詳細は下記のリンクをみていただきたいですが、どちらかというと実用的なことを学ぶ印象です。

寺子屋があったおかげで日本の識字率は諸外国に比べても異常に高かったとも言われています。そんな寺子屋ですが、実用的な学びでその個人を伸ばす、将来の仕事に役立てる…個人に矢印が向いている印象があります。

個人の能力が上がることで、結果として社会が良くなる。個人や社会のどちらに矢印が向いていたとしても、結果として、社会は良くなっていく。

「研修」といった系統で考えると「生きぬいてほしい!!」

以前、「5年目までの職員研修」の系統をつくった時のものがこちら! 研修も学校も類似なところで、本質的な祈りと願いはつながっていくのかもしれない。学校教育のもっと手前まで遡って、紀元前や集落で例えば「狩りの仕方」や「お作法」を教えていた時や「食べられるものかどうか」や「どうやって食べるか」を教えていた時まで遡って考えてみる。

「系統」で考えてみる

そうすると、もっとも原点となる「祈りと願い」は、教える側は「生き抜いてほしい!!」であり、教わる側は「生きたい!!」だと私は捉えました。

原点の祈りと願いから捉える学校の役割は…

かわいい我が子や仲間たちに「生きぬいてほしい」から、生き抜くすべを学べる場。生きるチカラ、生き抜くチカラを学ぶことができる場。

現代社会と学校の役割

時代は変わり、現代の社会では学校と家庭、そして学習塾の間の境界があいまいになってきています。一方で、保護者は子供が良い成績を取ることや、良い大学に進学することを望んでいます。これは時代の変化や社会の競争の影響を受けていると思われます。「生きぬいてほしい」の方法が、狩猟や食料のとりかたから進学する、就職することに変化していっているから。

「アクティブラーニング」や「総合的な学習(探究)の時間」が大事だと認識され、単なる偏差値向上学習だけではなくなってきている。偏差値向上だけだったら塾だけでも良いかも知れない。

学校、生徒、地域コミュニティの連携

現在の学校だけでこの役割を全うするのは難しいかもしれません。そこで必要になるのが、学校、生徒、そして地域コミュニティの連携です。地域全体が学びの場となり、生徒は学校だけでなく地域社会を通じて多様な経験と学びを得ることが可能となります。

奈良県三宅町の「ユースセンタープロジェクト」は、まさにこうした生徒と地域をつなげていくきっかけのひとつになる好事例。場所だけつくっても意味がないことは当然だけど、こういう取り組みがいろんなまちで活発にさせていきたい。

生徒たちの安全と保護

地域とつながる、地域のために活動する時に地域側も生徒たちをただの「安い労働力」として利用しないことが何よりも重要。いわゆる「やりがい搾取」になってしない。生徒たちは未来の社会を担う大切な存在です。彼らが地域活動に参加するとき、それは彼らの成長や学びのための機会でもあるべき。バイト代を払えとかそういう単純な話ではない。彼らがお金以外の価値を得られるような仕組みや報酬が必要です。「こういうことやりたい!」といった時に協力してくれる大人の存在や関係かもしれないし、「たすけてください!」といったときに助けてくれる大人の存在も大きな価値のひとつです。

学校の未来とギガスクール構想

これからの学校のあり方について考えてみましょう。「ギガスクール構想」のような新しい教育の形が現れ、先生の役割も「教える」から「サポートする」へと変わっていくでしょう。これにより、生徒たちは自分で考え、自分で学ぶ力をより一層育てることができます。

『GIGAスクール構想の実現について』の説明は文科省のウェブサイトにて!


デジタル庁大臣の河野太郎さんが語っていたように「ティーチングからコーチング」に変化していくのかもしれない。先生の役割も変化する。

教師の役割が「ティーチングからコーチングへ」と変化するとは、教師が一方的に知識を生徒に伝える「教える」役割から、生徒が自分で学び、自分で考える力を育む「コーチ」の役割に移行することを意味します。

ここでいうコーチング的な役割には以下のような特徴があります

自主性の育成
教師が答えを提示するのではなく、生徒自身に問いを投げかけ、自分で答えを見つける過程をサポートします。これにより生徒の自主性や自己学習能力が育ちます。

個々のニーズに対応
コーチングは個々の生徒の学習進度や理解度に合わせてフィードバックを提供するため、よりパーソナライズされた学習が可能になります。

問題解決能力の育成
生徒自身に考えさせ、問題解決のプロセスを導くことで、クリティカルシンキングや問題解決能力が養われます。

このような教育方法は21世紀の社会で必要とされるスキル、例えば自己学習能力や問題解決能力、創造力などを育てる上で非常に有効です。ただし、教師がコーチング的な役割を果たすためには、新たな教育スキルや理解が必要となるため、教師の研修や教育も重要になります。

教師自身も学び直しとして、リカレントやリスキリングが必須な時代になってきています。「教えて育てる・教育」だけではなく「共に育つ・共育」が先生にもますます重要になってきます。


学校がどうあるべきか、これからどうなっていくべきか、これは考え続ける必要がある問いです。100点満点の正解があるわけではなく、地域や時代に合わせて変化・変異していくものだからです。学校が本来目指すべき、自分で考える力を育てるという目標につながりもします。私たちの力で、学校と社会をより良いものにしましょう!

さぁ共創だ!

サポートありがとうございます! プレッシャーいただけたと感じてがんばっていきます!!