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「生きてるだけでえらい」って言われても

自己肯定感がなかなか得られない世の中、みんながみんなを励まし合っているのを見かける。

生きてるだけでえらい!

この言葉もそんな状況下で生まれたものに違いない。自己肯定感を高めなければ、心は容易く死んでしまう。なんとか生かそうと皆この言葉を口にするようになった。

色々と疲れた立場だからこそ、はっきり言う。私はこの言葉に苛立ちを覚えている。励ましよりも侮蔑すら感じる。

我ながら、面倒な性格だと思う。だからお前は孤独なんだと、自分が自分に言っている。

しかし、この言葉を初めて見かけた時は特になんとも思わなかった。前述した感情を持ったのはその後、心が死にかけた時だ。以下、この言葉に対して叫びたいことがある。

・偉い、偉くないとかそういう世界に行き詰まっているのにその言葉を使わないでくれ。

この世界というのはある意味で、頭のいいやつ、結果を残したやつ、お金を持ってるやつが正しく、そして偉い。それを満たさない人間は異端であり、偉くないし、自分が変わらない限りは決して偉くはなれない。

そういう不文律に殺されそうになってる時に偉い!なんて言われても嬉しくはない。せめて疲れている時はそんな言葉のない空間で生きていたい。

・生きてるだけ?そうかい、そうかい、私はそれ以外は何もできないからねえ!

悩んで病んでの迷路の果て、卑屈になっている。

人の悪意や皮肉に敏感になっている。悪意のもとに晒されることが多かったから、励ましの言葉すら嫌味と捉えてしまう。認知の歪みの結果、しなくていい解釈までしているのだ。そうやって半ば自暴自棄になりつつ、周りに当たり散らしたくなるのだ。ただ、それを性格の問題と言われればおしまいだけど。

・そもそも他人を偉いとかジャッジメントしてるお前、何様だよ?

競争社会において、とにかくジャッジメントされることに恐怖だったりトラウマを抱えている。前述の通り、偉い偉くないの世界にいたくないわけだし、そうやって評価する人もちかくにはいて欲しくない。

生きてるだけでえらい、とは励ましの言葉なのだろう。それはわかっている。とはいえ、疲れてる人々の中には私のような取り扱いづらい人間もいるかもしれない。

「そういうやつは誰からも励まされないよ」

隣で誰か言う。でも誰もいなかった。


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