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子育ては過去の自分を救うこと

入学おめでとう、我が子よ

4月の晴れた空の下、やっと長男が小学校の入学式を迎えました。
コロナウイルスの影響で、ほとんど顔合わせというか、書類配布がメインの短時間登校。

結局、直後に緊急事態宣言が発効され、次回の登校はゴールデンウィーク明けが予定されています。

1時間だけ履いた上履きがゴールデンウィーク明けにサイズアウトしていたら悔しいなと思っています。

ここまで来るのに、結構大変でした。
色々ありすぎで逆に、何も言えねえー!くらいの語彙力です。

とにかく全然寝ない子で、よく泣いていて、子育ての洗礼を受けるに十分なスペックを持つ赤ちゃんでした。

そんな長男が小学校入学、感動して泣いちゃうっ!と思っていたものの、コロナウイルスの影響でハラハラしながら当日を迎え、あっという間に初登校は解散でした。


宿題はどこ?

なので、まだ小学校のママ友はどんな方がいるかもわからず、結局連絡を取り合うのは幼稚園のママ友。

ちなみに幼稚園も小学校も私立ではなく近所の公立。そのため、幼稚園のママ友もほとんど近所の2.3箇所の小学校に分布した感じです。

公立の小学校ですが、小学校によって入学式からすでに教材が配られた所もあれば、結局なくなりましたが何回かの登校日を指定して教材配布と回収を予定していた所もありました。

長男の小学校は配布物に宿題が入っていなくて、親として何がしたいかを問うたら、早くswitchのどうぶつの森やりたいよーって言ってました。

アナログな世界にびっくり

私は幼稚園のPTA役員をしていました。
そこで驚いたのは一昨年くらいまで結構ガラケーの人がいた事。あとLINEもやってない人もいる事。

保護者会や懇親会のお知らせから出欠まで、紙を回すんです。

当時は私もそんなにデジタル人間ではなかったものの、保護者の懇親会の出欠などはオンラインの調整くん(無料でURL作成してクラウド上で出欠管理が完結するサービス)でやったら?と提案したらびっくりされました。めちゃくちゃ便利じゃん、と。

今までは割り振られた幹事さんが、一人一人に回って聞いていた所をメールで解決なわけです。

去年あたりからガラケーのサービス自体が終了する事もあり、みんなスマホになり、LINEが出来るようになったらとても便利になりました。

それでもPTA関連はLINEを回す時は送る内容を一度書面にして(!)、検印をもらい(!!)、LINEします。

話題にあがる判子至上主義です。
なんとなくオンラインのものは危険だと思われているわけです。


緊急事態宣言、発効

そんな最中のコロナウイルス騒動で、ついに人がオフラインで会う事に制限がかかり、強制的にオンラインに舵を切る必要が出てきました。

我が家は小学校1年生なので、教えるにもハードルは低いのですが、高学年や受験生となると、オンラインでどれだけ学習が可能になるのか。

結局うちの小学校もオンラインでの学習が始まりました。ダウンロードをして、自分で少し進めてねという形です。

ここでふと思うのが、例えばスマホじゃ小さすぎて学習しづらいですよね。

パソコンも本当にみんな一台ずつあるのか。
多分タブレットとかiPadがあると1番ベストだけど、うちも偶然今年の頭に購入したものの、どの家庭にもあるわけではないです。

仮にパソコンを持たない場合は家にWiFiが通ってないから、通信制限が関わってきたり。

本年度の学習指導要領にプログラミングが加わったそうです。今後の数年で改革すべき事を、コロナウイルスによって数ヶ月で環境を整えなくなってしまわないといけなくなりました。

そうなると、教育格差がますます広がる事が懸念されます。

教育格差は誰のせい?

つまるところ、教育格差は経済格差と言い換える事も可能で、じゃあオンライン学習になるからと言われて、人によってはパソコンとWiFiの設置からスタートしないといけない場合もあるわけです。
結構お金がかかるし、保護者の負担が凄いだろうなと思います。

もちろん、オンライン化を見越して準備しなかったの?という自己責任論のようなものにしてしまう人もいるかもしれないけど、前述の通り、幼稚園や学校という場ではまだまだ紙と判子の文化だったわけです。

自分の当たり前が他人の当たり前とは違くて、その差分は環境によるものが大きかったりします。

懇親会の出欠調整がスマホで簡単に可能だとか、Googleドキュメントでアンケートを作れば自動でグラフになるとか、みんな意外と知らないんです。

だから教育格差は(経済格差と同様に)、これまで自分が疑ってかからなかった、見ないようにしていた世界の残りの部分です。

restには休息、休む、という意味がありますが、残りという意味もあります。

1度止まって考えてみると、これまで見てきた世界の他の部分、残った部分を見つける事になるかもしれません。

restコロナの世界線

コロナウイルスが落ち着くにはあと2年間は断続的な自粛が必要かもしれないなんて見解もあります。

我が家は小学校1年生ですが、例えば中学校や高校は3年間しかないので、きちんと考えてオンラインに対する策を講じないと、コロナウイルスが落ち着く頃に卒業です。

また上記ではハード面の話を書きましたが、きちんと教育を受けさせて貰えない家庭もある、というソフト面での問題もあります。

いわゆる機能不全家族です。

機能不全家族とは、家庭内に対立や不法行為、性的・心理的・身体的虐待、ネグレクトなどが恒常的に存在する家族の事です。

こうなるとマクロな経済格差の話ではなく、教育格差がもっとミクロな経済格差の話になります。

ハード面での格差はパソコン環境の有無といった目に見える格差なので、不足を補いやすいのですが、ソフト面での格差は見えにくく、基本的に隠されています。

オンラインの活動、例えばクラファンなどはハード面での埋め合わせに向いています。でも実はソフト面の隙間を埋めるには、オフラインが必要です。学校は逃げ場、図書館が平和。そんな子どもがたくさんいるはず。

コロナウイルスによって流行りになったzoom飲み会も、珍しいので色んな人がやってますが、多分みんなどこかでリアル飲み会の方が楽しいなと思ってませんか?

そこに「ノイズ」がないんです。誰かが話していたら、その話題と違う事を他の数人で話して、その雑談が誰かに飛んで話題が派生するような。

ハンコはめんどくさいです。オンラインは便利です。でもAIで代替可能な事が多いです。

誰かにかける時間や手間がかかるほど、人は愛着が湧くそうです。子どもに関しての教育はオフラインで葛藤して欲しい。

教育格差がこれまで以上に拡がっても、そこを補填するのはハード面ではなくてソフト面。

差し伸べる手と、それを掴む手が温かいうちに、改めて教育のやり方を再考しないといけないと思っています。

必要な所に必要なものを充てる。そう言うと一言なのですが、自分の見ている世界はほんの一部で、残り(rest)が知ろうとしなければ触れることのない世界。


子育ては過去の自分を救う

自分の彼岸だと思っていたものが、この時期にはどんどん近づいていて、気づけば自分がいると思っていた場所が彼岸になっていたりします。

子育てや子どもと関わることは不思議なもので、子どもに優しくすることで、過去の自分___つまり、子ども時代の自分を慰めているような気持ちになったりします。

私はこの時空を超えるような感覚が、子育てをする意味だと思っています。

自分があの時___子どもだった頃に欲しかった言葉、眼差し、差し伸べて欲しかった手を思い出しながら、過去と今を塗り変えていって欲しいです。

子育ては過去の自分を救う行為だと思っています。

良くも悪くも、人は自分がされた事を他人にもしてしまいます。離婚とか虐待とか、わりと世代をまたいで繰り返したりしますよね。逆に、他人に優しくされたら同じ事をまた他人にもするんです。

そこからさらに、自分がして欲しかった事を、言ってもらいたかった事を、是非子供たちに与えてあげて欲しいと思っています。


アクセサリー 製作や諸々のクリエイター活動に還元させて頂きます。応援よろしくお願い致します。新しいこと。新しいもの、勉強していきます。