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The Last of Me Part I - 愛しいクセつよ社員(社内編前半1~6)

25年以上に渡った会社員生活が終わったのを機に、これまで出会ってきた同僚や顧客の中から記憶に残っている、良くも悪くもクセが強いヤバかった人たち(以下、アベンジャーズ)を、守秘義務をしっかり守りながらご紹介します。

私が退職するまでを時系列で振り返ってみると、アベンジャーズは全員で 12人(種類)いました。note を書いていたら長くなってしまったので、前後半に分けていきます。

アベンジャーズ顧客編も予定しています。ヤバい人の顧客編は、マジで手強い人たちだったので、彼らを乗り越えていく Tips も盛り込めたらいいなと構想中です。


1.風俗通いに染まった同期の新卒社員

もう 25年以上前(これが四半世紀! こわッ)のことになりますが、私が新卒入社したのは、機器据付と配管工事の両方を担当する現場監督の部署でした。初仕事は、香川県高松市にあった製鉄工場の建て替え工事で、そこには同い年の新卒社員が1名いて、広島出身の彼はとても素朴で優しくて、絵に描いたような好青年でした。

慣れない高松の厳しい暑さに私が参ってしまった時、ホテルまでわざわざ薬や食事を持ってきてくれるとか、とても優しく対応してくれました。

その現場は無事に数か月で終わり、一旦は彼とも別の現場になったのですが、年明け早々、今度は大阪の現場ですぐに再会することになりました。ただ、見た目は同じだけど、ちょっと怪しい雰囲気に変わってて、ダサくて似合わない大きなクルマに乗っていたし、何か変だな~と思っていました。

ある日の昼休み。弁当を食べ終わった後、現場事務所の外にある自販機でジュースを買っていると、彼がニヤニヤしながら自慢げに「昨日、ちょっといい店に行ってきたんですよ。ひるべえさんも興味ありますか?」と言ってきました。

「いい店って、大阪の美味い寿司屋とか?」と興味津々で聞き返すと、素朴だと思っていた彼から、思いがけない返答がありました。

「何、とぼけた事、言ってるんですか。風俗っすよ、風俗。それも普通じゃないですよ。住宅街にある普通の家に行って、やる事だけやってすぐに帰るシステムなんです。家に入ると部屋は狭くて薄暗くって、シャツを羽織った程度で下に何も着てないお姉さんが、やる気無さそうにソファーでふんぞり返ってて「やんならサッサとやって。5分しかないよ~」って言ってくるんです。前戯とかやってる時間ないじゃないですか。でも、しっかり5分で済ませました。あの怪しい感じが面白いんですよね~。だって普通の家なんですよ。あり得なくないですか? ひるべえさんもどうですか?」

なんと…。会ってなかった数か月の間に、彼に何が起こったのか?

それからも何回か、この話題になる度、続編を面白おかしく聞かせてもらった(時間内に収まらず失敗もあったそうです 笑)ものの、同行するのは毎回、丁重にお断りしたのは言うまでもありません。

2.片腕無くてビビった指導員

これも新卒時代の話です。工場建設の新卒研修が約2か月間あり、その時の指導員の1人の方が、明らかに左腕の二の腕から下が無かったんです。なぜか室内なのに色の薄いグラサンかけてるし、妙な迫力があって、その研修後、同期たちは冷や汗をかいた変な顔になっていました。

後日、本社近くの建設現場で工場の試運転の見学に行った際、別の指導員が、高さ 3.0m 以上ある大きな鋼材の巻き取り機械を指さして、

「片腕が無い先輩がいただろう。あの機械に腕を巻き込まれたんだよ。確か、軍手をした右手で機械にゴミが付いているのを払おうとして巻き込まれて、それを引き抜こうと焦って左手で機械に強く手を突いたら、左腕の方が持っていかれちゃってな。幸いすぐに機械が止まったから左腕は千切れてなかったけど、骨が全部バキバキになっちゃったらしくて切断したんだって。お前ら、軍手したまま回転してる機械に絶対、触んじゃねーぞ。」と教えてくれました。

四半世紀経った今も、昨日言われたかのように覚えています。おかげ様で私は五体満足で過ごせています。ありがとうございました!

3.極太眉毛や鬼や龍の紋々を背負う職人さん

数年が経った頃、工事現場に出ると、やたらと極太眉毛が凛々しい職人さんの代表者がいて、ゴルゴ13のような重々しいカッコよさがあって「すごい立派で綺麗な形をした眉毛だな。毎朝、書くのは大変そうだ。 」などと呑気に思っていました。

その日の仕事が終わり、職人さんたちがいる1階の控室に書類を持って行ったところ、みなさんが帰り支度をしていて5~6人が着替えていたのですが、作業着の下は、やたらと渋くて迫力のある鬼や龍の【長袖 Tシャツ】を着ているように見えました。

ちょっと違和感を覚えつつ書類を提出場所まで持っていて、2階に戻ろうと振り返ったら、その時にようやく、部屋に差し込む光の角度で気づいたのですが「あれ Tシャツじゃないよ…。どれも立派な紋々もんもん(入れ墨)だったのか。」と、【長袖 Tシャツ】は怖くないふりするために少し雑談して、笑顔でソーッと2階に戻りました。

後で話を聞いたら、みなさんは全員、カタギに戻っていて組とはもう関係ないとか、眉毛に入れ墨入れるのが一番痛いんだよー、とかアッサリと教えてくれました。教えてもらったのに申し訳ないですが、この知識は何の役にも立たなかったですw

4.太く短く生きた唯一の親友

会社員になってから8年以上が経っていましたが、その間、これといった友人はできませんでした。工事現場は案件が終わると、世界中に散り散りになってしまうし、この頃はもう WEB運用の世界に転職していたのですが、急に女性が多い環境になって社員の気質や価値観、ビジネス構造がかなり違うので、なんとか早く慣れなくては、と汗をかいていました。

そんな折、初めての親友と言える同僚ができました。工場勤務の経験者で親近感を感じて、そこから私と同じように WEB運用に転身してきたり、なによりギャンブルやアニメの趣味が合っていて、彼と度々、競馬場とかで遊んだのは今でも良い思い出です。

で、この親友ですが、ギャンブル全般がハンパなく強くて、パチンコや競馬、競艇で何度もおびを取る(帯=100万円以上です)とか、また仕事でも DB と懐かしの Flash を組み合わせたシステム構築ができる人材は、とても貴重だったので独力で年間2~3千万円レベルの荒稼ぎしていたようでした。

信じられない博才ばくさいと商才を合わせ持っていて、本当にすごい奴だなと思っていたら「いつかひるべえさんと一緒にギャンブル関連の会社を作りましょう! 今のうちから業界とコネを作らないといけないですねw」と言ってくれて本当に嬉しかったです。

ある日、大きなレースがあったので競馬場で待ち合わせしていたのですが、遅刻してきた上に具合が悪そうで、勝負もほぼ全敗。腹痛を訴えているので「いつもの焼肉反省会はキャンセルして、また次回がんばるか。」と駅のホームで別れたのが、彼の姿を見た最後でした。

3日後、残業していたら彼の携帯から電話がかかってきて、席を外しながら電話に出てみると知らない声で「ひるべえさんでしょうか? 警視庁の加藤と申します。ご友人の携帯から電話を差し上げて申し訳ありませんが、着信履歴を見て3日前に最後の通話履歴があったのが、ひるべえさんだったのでお電話しました。ご友人ですが、ここ数日間、会社に来ないし連絡が取れないと通報があったので大家さんに頼んで部屋の鍵を開けたところ、玄関付近で倒れたまま亡くなっているのが発見されまして…」

まさか、と思いました。足元の地面が崩れ落ちて奈落の底が広がっていくのに、体は落ちず浮いている。いや落ちていってるのもかもしれないけど、それも何も分からない。そんな暗黒の中に漂っているような、絶望という気持ちを初めて知りました。

強かったギャンブルはストレスを、荒稼ぎしていた仕事では不摂生を、それぞれ積み重ねていたようで、あの日にすべての負担が一気に彼を襲って、それに耐えきれなかったのかもしれません。死因は不明でした。悔やまれるのが、その直前まで一緒にいたのに、そんな危険な状態だったと気付かず、助けられなかった自分の無力さです。

彼は2つ年下だったのですが、もう 20歳近く離れてしまいました。あの時より、今の私は、誰かを助けられるようになっているのかな。

5.中小企業の猛烈パワハラ役員

今、覚えば、この頃からパワハラには悩まされていたのかも。

業務経験を積んできたので、とある中小企業の WEB運用チームの責任者ポジションに転職しました。これから WEBで売上を上げていこうと意欲のある会社だったので、やりがいを感じて転職したのですが。

入社してみると膨大な業務量に対して、チーム要員は少なくモチベは極めて低く、他部署へ行っても社内はものすごく非協力的で不愛想。ギスギスした社内で酷い状況だったのですが、この原因を作っていたのがカリスマ社長とパワハラ役員でした。

その業界でのカリスマ的存在だった社長は、売れそうなネタを思いつくとパワハラ役員に伝え、そのパワハラ役員は部長、課長をすっ飛ばして直接、私を含めた WEB運用メンバーに指示というか、脅し混じりの要求を毎日のように吐き出していました。社長へ猛烈アピールをしたかったようです。私も何度か社長の前まで引っ張りだされました。

「これくらいの作業は、私だったらすぐに終わらせられるから、もっと努力してください。ひるべえさんには、それくらいの実績はありますよね。元 WEB運用の専門家なんだから。」事あるごとに、カリスマ社長やみんなの前でそんな叱責を受けていました。今なら完全にパワハラでアウトですね。

チーム要員のモチベが低かったのは、その業界でのバイト相場で社員給与が決められていたため、当時の WEB業界水準と比較して安い金額だったためです。私も安めだなとは思いましたが、やりがいと実績を求めて選んだので、この点はミスってしまいました。安い給与のせいで追加や交代要員は集まらず、現場の疲弊感は増していくばかりでした。

私には引継ぎや社内研修もほぼ無く、まだ慣れていない中、日々膨大な要求に追われ、土日返上で3か月が過ぎた頃、パタリと倒れました。うつ病でした。それからしばらくの事は、今でも覚えていません。

理屈が通じないパワハラ上司の下だと、仕事に殺されかねないので、殺される前にサッサと逃げましょう。

6.無口で影が薄く、その特性を生かしてドロンした年上部下

次の転職先(つまり最近まで勤めていた会社)は、割と平穏な環境でした。時期により残業は多かったですが、徐々に人数が増えていき組織は大きくなっていきました。その中には、業務中にぬいぐるみを手放せないとか、会社にエレキギターを持ってくるとか、一風変わった人が何人かいました。

その中で、ほとんど口を開かず非常に影が薄い、私より年上の社員がいて、その彼の責任者に私がなりました。無口なだけなので、しばらくは特に問題なく時間が過ぎたのですが、ある時、彼が転職したいという話になったので、それは仕方ないなと思って退職手続きを進めていました。

有休残が少なかったため最終月は出社しないなら、支給額が少なすぎて社会保険料などの控除金額の一部を支払う必要がありそうだったので、その話を伝えたところ「それはおかしいと思います! 安い給料だったのに私は納得がいかない。絶対に支払いません!」と無口キャラの彼が急に怒り始めて、それ以降は連絡が取りにくくなりました。

納得いかないってどういうこと? 無口なので大した理由は返ってこないし、どうしようと思いつつ何回か捕まえて説明をしましたが、やはり返答がなく無口なまま。最終出社日は無事に機材返却を終わらせたと思ったら、誰にも挨拶なく、すでに姿がありませんでした。

数か月後、人事部から連絡があって、請求書類を郵送したり何度か連絡してみたが電話はつながらず、社会保険料の一部が未回収なままなので、そちらの部署からも連絡をとって欲しいというお願いがあったのですが、携帯電話はもう解約されていました。

無口な彼ができた自己主張は、踏み倒すとかの強行突破だけだったのかもしれません。その後は上司が継続対応したようですが、回収できたとの共有はなかったので、彼に踏み倒された金額は会社(=結局、残った社員たち)が負担させられたようです。


社内編アベンジャーズの前半戦は以上です。 いろんな人たちと出会えて面白かったなと今でも時々、思い出します。
懐かしいな、みなさん。今も元気に過ごしてるかな。私は元気です。

(2023/9/15 追記)
後半部分を公開しました。続きは、下のリンクからどうぞ。

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ひるべえ
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