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人材の覚醒を促す3つの環境整備と経営のパラダイムシフト 〜人材は開発するものではなく、覚醒を待つもの

その人がその仕事・職場に「慣れてきたな」と思うタイミングで、どんどんと異動させていく
マネジャーや職場にとっては、「この人が抜けて困った」状況に陥る。でも実際には、別の人が成長するきっかけになる
これが、カオスによって活性化する個人と職場だそうだ。

配属ガチャでも社員満足度が高い企業があった

人的資本経営、リスキリングと、人材周りでのバズワードが飛び交っている。

結局のところ「経営は人なり。人こそすべて」なのだ。人口が減少し、マーケットがシュリンクしていく中で、限られた人材をいかに有効に最適に活用するかが経営の腕の見せ所となる。

優秀な人材をどうやって採用するか。優秀な人材をどうリテンションするか。今いるメンバーをどうやって成長させるか。その3つに人事の仕事は焦点が明確に絞られていく。

他人の手によって人材育成は成せない

「人材開発」というが、果たして人は他人の手によって開発できるのだろうか。答えは「否」だ

研修をいくら用意しようが、OJTでいくら仕事を教えようが、本人がその気になって真剣に取り組まなければ成長など望むべくもない。まずはその大前提に立つことは必要不可欠だ。

本人がありたい姿を明確に定義し、そこと現在のギャップに真摯に向き合い、それを埋めるために何をすべきなのかに気付き、努力を積み重ねる。人材はそれでしか成長し得ない。

だから人材は開発するものではなく、覚醒を待つものなのだ。そしてそのために経営ができることは、覚醒できる環境を用意することだ。

①ありたい姿を明確にする

目標なきものに成長なし。まずは明確に目標を設定することから始めなければならない。

しかし何もない人にいきなり目標を考えろと言ったところで、目標を設定することなど難しい。にも関わらず、夢や目標を持っていないことがまるで欠陥があるかのような昨今の風潮はいかがなものかと思う。

夢や目標などなくたっていい。でもいつか描かなければならない。だからまずは行動から始めるのだ。ありたい姿を明確にするためには、多様な経験を積む必要がある。好きで得意なことに出会えるまでは、幅広い経験が必要。

これを個人が主体性を持って取り組むとしたら転職を繰り返す他ない。社内でその環境を用意するのなら「異動・配属ガチャ」を回すことだろう。

自らの視野にない予期せぬ市場や仕事に触れることで、自らの価値観を壊していく。当たり前と思っていることが当たり前でないことに気付き、その中で自分が何ができるかを探っていく。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」というが、それの1つの理由がまさにこれだ。できないことに果敢にチャレンジしてみなければわからないことがある。できないと思い込んでいたところに、実は好きで得意なことが隠されているかもしれないから。

②ありたい姿と現在のギャップに向き合う

様々なことに取り組んで、ぼんやりと自分のありたい姿が見えてきたら、自分の現在の立ち位置を理解する必要がある。

自分を客観視してみて、何ができて、何ができないか。何が好きで、何が嫌いかを明確にしていく。何ができるか、何が好きかは主観によってバイアスがかかって評価してしまうかもしれないから、何ができないか、何が嫌いかの方から自身の輪郭を認識し、定義する方が良い。

とはいえ自分を客観視するのは難しい。その時こそ上司や先輩の出番だ。業務ができない、成果ができないことを叱ることが上司や先輩の仕事ではない。現在の立ち位置を明確にさせることは、上司や先輩の最も重要な仕事だ。

③何をすべきなのかに気づく

ありたい姿が明確になり、現在の立ち位置が見えたら、そこにあるギャップを知ることができる。それをどう埋めるかを考えるのが、成長に繋がっていく

結局のところただ研修を受けさせれば、ただOJTをすれば人は成長するわけではない。目指すべき未来が提示されて初めて、すべき努力が明確になるのだ。

単に業務上の目標を設定するだけのMBOとかOKRでは成長は促せない。それはあくまで単に会社を成長させるための歯車であることを強要しているに過ぎないのだから。

もちろんその側面は必要だ。しかし一方で個人の成長と向き合うのであれば、一旦その「歯車の強要」からは離れて、個々人の価値観に基づいて目標を設定しなければならない目指したい未来を定義しなければならない

それと向き合う時間を作ることも覚醒の環境整備には不可欠だ。

高度経済成長の幻想を捨てよ

高度経済成長の頃は「我が社で出世する」ことが全員の共通目標だった。また市場が成長していたので、頑張れが頑張るだけ成果が出ていた。だから個人個人が目標を明確にせずとも、一歩ずつ歩めば事業も人も成長した。

失われた30年を経てその幻想は見事に打ち砕かれた。昭和の人材開発は、人材を開発していなかったことが暴かれたのだ。その事実にはきちんと向き合わなければならない。

本来人間は皆違う生き物だ。みんな違って、みんないい。その多様性無くして、変化する未来に適応などできないし、未来を創造することなどできない。高度経済成長の幻想がそれを忘れさせてしまっている。それが失われた30年に至った原因の一つだ。

まずは経営が変わらなければならない。経営が変わらなければ「人的資本経営」など夢のまた夢だ。これは人事の仕事ではないのだ。まさに経営の仕事の一丁目一番地だ。

ある意味で、青天の霹靂となる「異動・配属ガチャ」が頻発しているリクルート。
それでも安心感があるのは3つの理由がありそうだ。
第一に、手挙げ制による自己決定の異動ルートも用意されていること。
第二に、上司との日ごろからコミュニケーションをし、信頼関係を構築していること。
最後に、異動先のマネジャー(上司)の熱意。

「プランド・ハップンスタンス理論」なるものがある。「個人のキャリアの8割は、予期しない偶然の出来事によって形成される」というもの。
そして、「本人の主体性次第で、偶発的な出来事(つまりガチャ)を最大限に活用できる」というものだ。
不確実性が高い今でこそ、いわゆる偶然の機会を生かす「セレンディピティ」が問われる。



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