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イノベーティブでありたいなら、新たな技術革新によって起こる熱狂の渦に、自ら飛び込んで楽しめ

学校関係者は、ChatGPTが授業計画をめちゃくちゃにしかねないと頭を抱えており、このツールを使って不正を働く生徒たちを捕まえようと躍起だ(気が早い一部のメディアは「ChatGPTは宿題を滅ぼした」とさえ述べている)。

カンニング問題に加えて、AIには間違った答えや事実と食い違う答えを出してくる傾向がある。これらはいずれも、差し迫った(かつ現実的な)問題だが、それと同じくらい深刻なのが「教員の存在意義」にかかわる問題だ。

ある高校の教師が、生徒のレポートを評価するのにChatGPTを使ってみたところ、AIは自分でやるよりもずっと丁寧な添削を戻してきたという。

学校教育で「AIを解禁」すべき3つの理由

新しい技術が登場した時、それを過小評価するものや拒絶反応を示すものが必ず出てくる。

もちろん彼らの言う通りに過小なもので意識するまでもなく、社会を変えるどころか一過性のブームで消えていくものもある。しかし一方で大きなムーブメントとなり、世界を飲み込むように全てを書き換えていくような技術革新もある。

スマートフォンがまさにそれだ。スマートフォン以前以後で世界はガラリと変わった。しかしiPhoneが登場した当時、世界がこんなにも変わっていくなんて誰も予想だにしていなかった。専門家ですら「ギークのおもちゃ」と評価していた。

しかしスマートフォンは世界を変えた。もちろん最初はギークのおもちゃだっただろう。そのおもちゃを手にしたギークは更なる技術革新を起こした。ギークの熱狂がギークの熱狂を呼び大きなムーブメントとなって、世界を書き換えていったのだ。

だからこそ人々は新しい技術を怖がる。今までの価値観ややり方が破壊されるのではないかと、新しい技術に拒否反応を示すのだ。それは仕方がない反応だろう。今の世界を生きている人間にとっては今がすべてであり、不確実で不確定な未来に思いを馳せることはない。その今が壊されることに恐怖を感じるのは当たり前だ。

しかし当然のことながらイノベーションを拒絶していれば未来はない。未来はやってこない。世界を書き換えるムーブメントに飲み込まれた先に待っているのは「約束された沈没」だ。

もちろん新しい技術が一過性のムーブメントで終わるか、世界を書き換える大きな畝りとなるかは誰にも予想できない。だからこそ、すべての技術を受け入れ適応する挑戦は必ずすべきではないだろうか。

今ならChatGPTがまさにそれだ。そんなものが当たり前の世界が来るわけないと拒絶するのではなく、それによる悪影響をいかに防ぐかに苦心するのでもない。それが当たり前になる世界が来ることにワクワクし、それによって起こる可能性に思いを巡らせるのだ。

その熱狂でこそ新たな未来が切り拓かれる。その熱狂の渦に自ら飛び込むのだ。そこで楽しんでいるものだけが、その先の未来に辿り着くことができる

未来を生きる子供と向き合う教育者ならなおのことワクワクした未来を思い描くべきだ。そして、それに挑戦すべきなのだ。社会の、日本の、世界の未来を生きるのは子供たちなのだから。その子供たちにワクワクして楽しんで生きる大人の背中を見せるべきなのだ。



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