「分人」を意識したバーティカルな価値が、顧客に深く刺さる
現代において百貨店は成立しない。
スマートフォンによって過度にパーソナライズドされた経験をした顧客にとって、「みんなにとって良いものは、みんなにとってどうでも良いもの」になっているからだ。
この時代の大きな変化の波は、不可逆的だ。もう2度と戻ることはない。このトレンドはしっかりと深く理解する必要がある。
人は一つの人格ではなく、複数の「分人」が併立した存在であることが、スマートフォンによって明確化された。
それはもちろん古来から本来はそうであった。家族といる自分、友人といる自分、仕事をしている自分、趣味と向き合っている自分・・・。コミュニティやシチュエーションによって、自分の人格はそれぞれ少しずつ異なるはずだ。
しかし外部との接点がリアルに限られていた時代は、それが統合された一つの人格しかないかのようにみんなが誤解していた。外部接点が限られているがゆえにそれで問題なかった。
スマートフォンが普及し、SNSが普及し、一人が複数のアカウントを使い分ける時代になり、分人が文人として存在することができるようになった。人々は常にアカウントを切り替えるように(と同時に)、複数の人格を切り替えながら生きる時代になったのだ。
だからこそ「みんなにとって良いものは、みんなにとってどうでも良いもの」が不可逆的なトレンドとなったのだ。
そう、百貨店はビジネスとしての成立性は、今後どんどん弱まっていく。
必要なことは、自分達のブランドが「誰にどんな価値を提供しているのか」を明確にすること。そしてそれをなるべくシャープに尖らせていく。それが尖れば尖るほど、大多数の人には刺さらないが少数の人にとてつもなく深く刺さるブランドができあがる。
もちろんあまりにも尖らせすぎれば母集団の少ないマーケットを定義することに繋がるので、ビジネスとして成立しなくなる。その良い塩梅を探ることが今後のマーケティング活動そのものといっても良いだろう。
百貨店は、百貨ある店としての存在から、尖った十貨の集合体としての百貨店という形に、今後は変化が迫られている可能性は大いにあり得る。
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