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陳舜臣さんのこと

僕は小学生の頃から本の虫でしたが、大学生の頃特にハマった作家さんがいます。歴史小説の大家"司馬遼太郎"と"陳舜臣"。このうち司馬遼太郎のことは後で機会があれば書こうと思いますが、今回は陳舜臣のことに触れます。

陳舜臣さんの歴史シリーズ

司馬遼太郎の歴史物語は、主に日本史を題材にしています。「項羽と劉邦」など中国史を扱った作品も一部ありますが、大部分は日本史の物語です。
一方、陳舜臣は中国史を題材にした物語をたくさん書いています。僕が陳舜臣の作品を本格的に読んだのは、「阿片戦争」から日清戦争を題材にした「江は流れず」です。架空の人物を主人公にして、時代の流れを俯瞰的にとらえるその語り口がとても新鮮でした。

その作品群の中に、「中国の歴史」シリーズがあります。これは、物語として歴史を描くのではなく、中国の歴史を伝説時代から近代まで概説書的に語るという、とても野心的な作品でした。大学卒業以降も、中国の歴史本を読む際のインデックスとして繰り返して読んでいます。

この「中国の歴史」シリーズには「近・現代篇」もあります。これは、清朝末期の孫文による革命運動を発端にして、中国の近現代史を描くシリーズなのだろうと期待していたのですが、こちらは2冊まで出版された時点で終わってしまいました。歴史的には武昌蜂起と呼ばれる、辛亥革命の狼煙が上がった時点です。
これは、僕にとってはすこぶる納得のできない終わり方でした。「中国の歴史」が12巻に渡って中国の長い歴史を語り尽くしていたのに対し、この近現代編では辛亥革命の前夜から語り始めて、武昌蜂起で筆をおいている。何故、孫文による中華民国の建国、蒋介石による北伐、日中戦争と中華人民共和国の成立まで描かないのか。とても不自然な終わり方をしていると感じました。

馬場克樹さんの「約定之地」

日本で仕事をしていた時に出版界と関わりを持つことはなかったのですが、台湾で馬場克樹さんと話をした時に、書籍の出版の事情に関して話を聞く機会がありました。

馬場さんは台湾で多彩な活動を行っています。ミュージシャン、俳優、そして文筆家としての仕事もあります。彼がネットに寄稿した文章をまとめて台湾で本を出すことになり、そのことを話題にしたことがあります。 

元々、この本の内容は馬場さんがNippon.comというネットメディアに「台湾に根を下ろした日本人」と題して、日本語で記事を書いたものです。その文章をネット版で既に中国語訳をしていましたが、書籍にするに際して、あらためて一人の翻訳者に監訳を依頼し、文体やヴォキャブラリーを統一した上で、台湾の出版社から発行したそうです。
内容は、台湾で様々に活躍している日本人へのインタヴューで、僕の様に台湾で仕事をしている日本人にとっては、とても興味を惹かれる内容です。しかも、馬場さんはそもそもこれを日本語の文章でまとめている。それで僕は「この本を日本で出版はしないんですか?」と尋ねてみました。

馬場さんは、「実は僕はいくつもの出版社に打診しているです。けれど、どの出版社もこの本は売れないと言って取り合ってくれないんです。」と説明してくれました。
僕は、台湾で出版されているのだから、人口が台湾の5倍もある日本では、本を出せば売れるのではないかと何となく考えていましたが、日本の出版事情はそんなに甘いものではなく、売れる見込みがたたない本の出版はできないということでした。

このことはとても示唆的で、日本における出版物のハードルがとても高いことを知りました。翻って台湾におけるそれはとても低いのでしょう。これは印象ですが、台湾では編集者が面白いと考えれば、その出版数がある一定の規模に達していなくても、印刷して出版してしまう様な気がします。

僕がnoteに文章を書く理由

馬場さんが、台湾で仕事をする日本人をテーマに文章を書き、台湾での出版の実績も持ち、それでも日本での出版が思う様にできないということを知ったのは、僕にとっては驚きであると共に、ある種の覚悟を促すものでした。
僕が関心を持っていることは、普通の日本人の関心の外にあることばかりです。台湾の建築事情であるとか、明清時代の人物に関してなど、とてもニッチなテーマに興味があり、自分なりに勉強したり資料を集めたりしています。しかし、これはほぼ確実に出版物にはならないだろう。そういう覚悟ができました。

僕のnoteの文章は、想定読者を一応持っていますが、それはとてもニッチなグループです。あまりにも一般的ではなさすぎる。ですので、読者に向けて売れるとか、ビュー数を上げるとかは考えずに書いています。基本的には自分の書きたいことを書きたい様に書く。馬場さんの話を聞いて、その様な覚悟ができました。

陳舜臣さんのこと

その様に考えた時に、あらためて陳舜臣さんのことに思いが及びました。
彼が小説家、文筆家として活躍を始める時代、台湾は蒋介石から蒋経国による白色テロの時代で、中国共産党の実態はまだよく分からず、バラ色の共産世界のイメージを持たれていました。日台は国交を断絶し、中国との国交を回復。そのような、日本の環境の中で、陳舜臣さんは中華民国から中華人民共和国に国籍を変更します。そして、中国史をテーマにした作品を量産していきます。
同時にNHKのシルクロードシリーズなどでテレビ番組に解説者としても登場しています。NHKの中国寄りの姿勢は明らかなので、この様な仕事の環境の中で、陳舜臣さんは中華民国の国籍を放棄し、中華人民共和国の国民となる。その様な選択をせざるを得なかったのではないかと考えました。

「中国の歴史近・現代篇」は、本来孫文の革命が中華民国を建国し、中国の統一を果たそうとするが夢半ばにして挫折するそのような物語を書きたかったのではないか。しかし、その様な中国国民党にシンパシーを寄せる様な物語には、その時点でまだ存命の利害関係者が多すぎる。そして中国共産党に対して配慮をすると書きたいものも書けなくなってしまう。そのために、この本は2巻で筆を置かざるをえなかった。僕は勝手にそのような想像をしています。

陳舜臣の実家は、台湾の新莊で商売を営む貿易商だったのことです。彼自身は神戸で生まれ育って、中華人民共和国籍になり、その後あらためて日本国籍をとっています。しかし、自らのルーツのある台湾についての物語も書きたかったのではないかとも想像しています。

日清戦争の物語「河は流れる」に、その様な片鱗を感じさせる場面があります。
日清戦争の物語なので、主要なプレイヤーは日本と清朝です。その中で、台湾の人民はこの二つの強国に振り回される弱者でしかありません。しかし、彼の家族の視点からこの戦争の台湾への影響を描きたい、その様に考えたとしても不思議ではありません。けれども、それは叶わぬ夢である。物語の中で、台湾人が日本の統治を受け入れざるをえないという描写が一部にありました。

栖来ひかりさんによる、現在の新莊に関する記事です。

僕がnoteに文章を書く場合、出版社の意向には全く関係なく、自分が関心を持っている事をテーマにして文章を書くことができます。それが、職業人としての文筆家とは異なっている。
そして、それは物を書く際にとても自由なことなのではないかと考えています。

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