日本人はリスペクトが下手。

 日本人はリスペクトが下手です。

昨年末、こんなツイートが話題になりました。

 日本の報道は、「Jリーグや日本サッカーで育った塩谷・カイオ選手が勝たせた」というニュアンスで報道がなされていました。
 本来なら1選手が大会の真っ最中、ましてや決勝戦を前にこんなツイートをする事は余りありませんが、間違った報道に対して塩谷選手がメッセージを発信していました。取材や報道というのは本来、信頼関係のもと成り立っているはずなのに利己主義で行動するのは辞めてほしいですね・・・

 最近ではこんなニュースもありました。

 競泳の池江選手が「白血病」を公表した際の桜田五輪相の「本当にがっかりした」というコメントに糾弾するような報道。確かにこれだけ見ると、いかに利益しか考えてないか、利己的な考えの持ち主だと読み取れます。
 じゃあこの前後で何を話しているのか。

 このようになっており、残念ながらなんと質問したかさえ分からない報道になっています。この報道の問題点はこちら。

・取材全体がカットされずに報道されていないこと
・「大臣」というトップレベルの人間が「公の場」で不用意な発言をした事
・1人の人間として大切にしろ、という大衆派の倫理観

 脳科学者の茂木健一郎氏もこんなコメントをしています。

 あくまでも報道については言及せずに、発言内容に触れています。
意図的であろうが無かろうが、切り取られてまずい発言をしていること自体が問題であるといっています。
 
 また自分と同じように、この報道の全容を確認しようと記事を調べた方もいます。これを見れば、先ほどの塩谷選手の時と同様にメディアがいかに利己的で愚かで、リスペクトを欠いているか分かると思います。

 この2つの事例はメディアを通した事例ですが、メディアに限らず日常生活にも「リスペクト」が下手な日本人は顕在化しています。
 例えば、Aが上司、Bが部下という関係性だとする。日本には”年功序列”があるためBはAを立てる。一方でBは偉そうに指示しているだけ。昨年、「忖度」という言葉が流行りましたが、尊敬しているわけではないのに慣習により立てなければいけない。 それって意味ありますか?

そもそも「リスペクト」とは何なのか。

リスペクト(respect)とは、「敬意を払う」「箇所」「尊重する」などと言う意味を持つ英単語である。

 ここで注意して欲しいのは、あくまでも「日本語訳した場合」です。
外国人がこういうイメージでRespectと使用しているわけではないです。 

テーマに戻りましょう。

なぜ「日本人はリスペクトが下手」なのか。またなぜ「リスペクトが下手なのは日本人」なのか。

 まずは「日本人はリスペクトが下手」なのか。

・年功序列という慣習
・経験>スキルという考え
・マウントを取りたがる
・下か上かどちらかの目線になりやすい
・日本人は気を遣う

 この辺が挙げられるでしょうか。
恐らく、歴史によって作り上げられた”慣習”が根強く残っているからこのようなことが当たり前になっているのだと思います。「上下関係」なんてまさにそうですね。年齢があまり変わらない、実力もそんなに変わらない、その環境に数年早くいるだけ、そんなちっぽけなことで「リスペクト」しなければいけません。あとは、『マウントを取りたがる」『下か上かどちらかの目線になりやすい』これらはNo.1を目指す日本人特有の性質だと思います。自分が相手より優れている(優れていない)、外国人にもその感情はきっとありますがどちらかというとOnly.1の意識の方が強いと思います。
 後は、『日本人は気を遣う』という点ですね。日本人にありがちなのは、相手の行動や感情を先読みする打算的な考えですね。なので、「察しろよ」なんて言葉をよく聞きますが、それは打算的な考えをすることが前提にあって常に相手に対して「気を遣う」ことが求められるのが日本です。

では「リスペクトが下手なのはなぜ日本人」なのか。

 答えはシンプルで、海外の先進国では差別的な理由(宗教や身分)が無い限りは全員、1人の人間だからです。要するに、上記のようなことが外国人には無い。日本はもともと「組織」や「集団」を大事にしてきた国で、戦時中の「崇拝主義」や「自己犠牲」の概念がまだ根強く残っている国です。

ブラジル・スペイン・フランスへ行ってきたことから。

なぜ、海外と日本を比較してこんなことが言えるのか。
それは自分が過去に3カ国へ行ってい流刑県から来ています。
(ブラジルへは大学の研修で3週間、スペイン・フランスへはサッカー合宿で合わせて3週間)
 その中で経験したのは、国の歴史が少なからずその国の人の人格に影響をもたらしていること。まさに、今の日本と同じです。
 

 ここでは主にブラジルでのことを取り上げていきます。
先に少しだけ、自分が行った概要を。ブラジルへは大学の研修で福祉や教育、現地情勢などを学びに行きました。もともと大学の学祖がブラジルに縁があり、その時期の渡伯政策にも関わっていたため、今でも毎年大学から選抜された人が無償でブラジルへ行っています。現地では、学校を見学したり、観光したり、ホームステイをしたりしました。ブラジルでは主に日系家庭でお世話になったので、”ブラジルで育った日本人”みたいで様々なことを話していただきました。
 その経験から、ブラジルではあまり「リスペクト」するという側面が見られませんでした。というよりも日常で「リスペクト」が当たり前になっていたと思います。ただ、日本と違うな、と感じるのは「相手のことを”1人の人間”として尊敬している」ことが前提でその上で、やらなければいけないことに取り組む様子が見られました。
 また研修生と研修先でお世話になった方とお酒を飲んだ時にもこういった場面が見られました。日本では、礼儀として立場が下の人が上の人に対してお酒を注ぐのが普通です。研修生も日本の礼儀に習ってお酒を注ごうとしました。しかし、断られてしまいました。その人が言ったのは「ブラジルでは相手に対して”リスペクト”していても注ぐ必要は無い」と。ブラジルではそういった慣習は無く、相手のグラスが空いているだから、コミュニケーションの1つで入れる、という感じでした。(もしかしたら「注ぐ」〈つぐ〉という言葉を使うこと自体間違いかもしれません。)

 改めてリスペクトとは。

 改めて、リスペクトとは「相手を認めること」から始まると思っています。日本はこれから先ますます実力主義の社会への進化を加速させてます。その中で、今の若い人の「実力こそが正義であり、リスペクトは好きな人にだけすれば良い」という風潮もあまり良くないと思います。(若い人全員そうだとは思っていません)人間は誰しもが個性があると同時に好き嫌いがあります。だから「リスペクト」を全員に押し付けるつもりは毛頭ありません。ですが、「相手を認める」=1人の同じ人間だと思うこと=受容することは誰にでもできると思います。

 大事なのは知ってどうするか。

 ここで終わるとまるで自己啓発ですね。
大事なのは「知ってどうするか」です。海外経験をした人が帰国して悩むのは日本と文化の差があり、受け入れてもらえないことです。ごく当たり前ですが、文化にするには同じ経験を持った人が大衆派になるか、1人がインフルエンサーになるしかありません。合理的に考えると海外の文化のほうがいいのですが、慣習には合理性がありません。今の若い人は海外の渡航経験があるため十数年後には、その文化が定着していると思います。それを知って
どう提案するか、どうやって伝えるかにかかっています。 

 知ること自体は「手段」であり、「手段」は「目的」の為に使うものです。常に自分が信じているものが本当に正しいかどうか、”本質”を常に探し続ける必要があります。

                        Mori Hiroyuki

サッカーに必要な道具の購入、 それらを活かした情報発信へと活用していきたいと思います!