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先延ばししても物事は前に進んでる

生活の指針になっている考えはいくつかある。その一つが「構造化された先延ばし」だ。スタンフォード大学の哲学者ジョン・ペリーがエッセイで提唱した概念である。たいそうな名称だけれど、別に論文かなにかで発表されたわけでもない。要するに「人は先延ばししている間も何かしている」という考え方を指している。

たとえば、掃除。よく物事を先延ばしにしている例として、試験勉強が近づくと、むしょうに掃除をしたくなる現象が挙げられる。これは試験勉強を先延ばしにするために、別の些末なこと、つまり掃除をしてしまう、という例だ。でもジョン・ペリー氏はこれを肯定する。ざっくり言うと、「先延ばししているといっても、掃除はしてるんだから良くない?」と話しているわけである。

別にこの概念は論文で発表されたわけでもなんでもない。単なるエッセイで、話のネタとして挙げられただけだ。でも、ジョン・ペリー氏は自らもよく先延ばしをする人間だと告白していて、それに悩んだりもするけど、「まあ、いいんじゃない?」と優しく肩を叩いてくれる。僕も先延ばしに全面的に賛成ってわけじゃないけど、こういうエッセイを読むと、物事は何でも考え方しだいだな、と気づかされる。

視点であり、発想の転換。先延ばしている自分を、ダメなやつだ、とばかり思い込むと、へこんでしまう。だけど、「先延ばしているあいだも、些末であったとしても、何か物事は前に進んでいる」と思うと、少しは気が楽になる。試験勉強が近づいてきて、つい掃除をしてしまうにしても、一生掃除し続けるわけではあるまいし、第一、きれいな部屋で勉強できたら嬉しいじゃないか。だから、物事は前に進んでいるとも考えられる。

つい漫画を読んでしまったり、ドラマを見てしまっても、見ていないよりかはインプットかできているわけだし、話題も豊富になる。と思ったら、少しは自分を許せる。僕はこういう、自分を許すメソッドをいくつか保有していて、時と場合に応じて、便利なツールとして使っている。サガンの話す「人は本来の自分ではないものを目指そうとしたとき、不幸を感じる(超意訳)」という言葉も、無理をしないでいるための、自分を許すメソッドだ。

こういう理屈を並べ立てるから、僕は常にへりくつ野郎だと思う。でも、心を楽にするための方法を持っておくのは大事だ。でないと、疲弊してしまうから。この情報に溢れる現代社会で、何が一番大切かって、やっぱり心の自衛じゃないだろうか。そんなわけで、僕も今日はへりくつを並べ立てて、ダメな自分を許している。

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