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苦手なものを受け入れる

 僕には昔から、苦手なものがあります。
 それがスケジュール通りに物事をこなすことと、タスクを処理していくことです。
 いわゆるタスク管理というのでしょうか。締めきりとか、いついつまでに仕上げるとか、1日のタスクを洗い出して、それを一つ一つ処理していくとか、そんな、いわゆる生産性にまつわることがすごく苦手なのです。
 逆に得意なことは、ぼーっとすること。散歩したり、本を読んだり、のんびり時間を過ごすのは得意です。考えてみれば幼いころからそうで、宿題のようなやるべきことはいつも期限を過ぎてから提出していた気がします。一度、先生に呼び出され、しっかり叱られたような記憶もあります。それでも、やっぱり直らなかった。直らないものはしょうがない。最近は、自分に合わないことはするべきじゃないな、という気持ちに傾きつつあります。

 20代のころは、それじゃいけないという気持ちがありました。手帳術とか、ノート術とか、そういう関係の本を読んで(まあ、今でも好きなんですけどネ、そういうの)、どうにかスケジュールをこなすことが上手くなろうとしました。でも、無理でした。どうしても続きません。むしろそういうことをこなそうとすればするほど、自分の気持ちが離れていき、ダラダラとした時間を過ごしてしまいます。最初のうちは良いのですが、「どうにでもなれ効果」というのでしょうか、途中で放棄してしまうのです。

 それから、無理は禁物だな、と考えるようになりました。未だに締めきりは苦手ですし、タスク管理も苦手ですけど、毎日の恐怖は過ぎ去っていきました。タスク管理していたときは、できない自分を責めていたし、毎日残ってしまうタスクに強迫観念を覚えていたのですけど、今は「今日は何しよう?」と考えている時間が楽しいです。つまり、先の見えない楽しみです。何をするか、何を楽しむかは、自分に委ねられています。それがすごく面白いのです。

 まあ、時々は……締めきりを忘れてしっぺ返しを受けるときもありますけどネ。

 最近だと、まず確定申告をしなければなりません。けどまだ手を付けていません。これじゃアカンなぁと思いながらも、のんびり過ごしています。どうやら僕は期限ぎりぎりにならないと尻に火が付かないタイプのようです。

 2ちゃんねるを作ったひろゆき氏が面白いことを言っていました。「夏休みの宿題をどうやるかが、結局のところその人の根本の性質だ」と。細かいところは違うかもしれませんが、たぶん、そんなニュアンスだったと思います。

 僕は夏休みの宿題はぎりぎりまで手を付けないタイプでした。とにかくたくさん遊びたくて、ゲームしたり、古本屋巡りしたり、映画を観たりして過ごし、最期にひーひー言いながら宿題するタイプです。
 これは別に、どちらが良いということもないのでしょう。もちろん、今の社会では、宿題をぎりぎりまで残すタイプは、すごく生きづらいとは思いますけど……。でもそんな自分の性質のようなものを「まあ、そうだよね」と思って受け入れられたら、少しは気持ちがラクになるというものです。

 僕はスケジュール管理やタスク処理が苦手です。それでいいな、と思っています。その代わりに僕にはのんびりする力があります。自然や時間の余りを楽しむ力があります。ときどき散歩して、今まで気づかなかった雲の形を面白いなァと思って眺める力があります。
 もしかしたら、それは、スケジュール管理やタスク処理の上手い人たちには、ない能力なのかもしれません。そう思うと、少しだけ自分を誇らしくなりませんか?

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