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ミャンマーの今を通じて思い描く未来

こんにちは、どぅです。国内教育業界でも全貌が見えつつあり、良い仲間にも恵まれ一歩一歩実現したい学びのミライの実現に向けてスピードが上がりつつあります。

一方、高校時代の同級生で、テレビ東京に勤める豊島さんが指摘するように、日本の教育業界でもGoogle、Microsoftの存在感が増しつつあるのは事実である一方、実は日系の教育系ソフトウエアもGAFAMと共生しうるものであることを伝えながら、各国の教育の実情に応じた課題解決に貢献していけるよう励んでいきたいと思います。

ミャンマーのクーデターの本質は、「政治家の小器」にあり

21年2月の国軍によるクーデター後、ミャンマーについて想うことをつらつらと書いてみましたら、noteを始めて、初めて記事に対するコメントをいただきました。そこでもう少し自分なりにミャンマーに関する考察を深めたいと思い改めて分析してみました。

その結果、内輪揉めで体力を削り合うミャンマーを、中国が虎視眈々と狙う様子が浮かび上がってきました。

クーデターの背景については、現在政策研究大学院大学の教授でミャンマー情勢の大家である工藤教授が指摘する通り、テインセイン元大統領及びシュエマン元下院議長といったスーチー氏とパイプのある軍人が政治の世界から退場したことで、国軍とNLDの隙間を埋める機能が働かなかったことが大きいと思われます。

もっと露骨に言うと、政治的野心を持つミンアウンフライン国防軍総司令官にとって、国民的英雄である父親の死と長期に渡る軟禁生活による威光だけで、政治的成果が殆どないスーチー氏を許せなかったのでしょう。一方スーチー氏にとっても、国軍は自信を監禁し続けた敵であり、歴史的背景もある中で双方の分断を埋め合わせる程の器を持っていなかったのも事実。どちらが国のトップに立っても、国家を率いていく程の清濁併せ飲む度量が小さく、国軍と民衆の衝突はいずれ起きる事象だった可能性が高いと考えます。

ミャンマーの混乱に乗じて漁夫の利を得る中国

むしろこのような国内対立による体力の消耗を虎視眈々と見ているのが中国です。前回もお伝えした通り、中国にとってミャンマーは国家のエネルギー政策上の要衝であり、属国ミャンマーに秋波を送ることで、大西洋・マラッカ海峡で影響を持つ欧米諸国を回避することを視野に入れています。

1月に中国の王毅外相がミンアウンフライン国防軍総司令官を訪問したことで、国軍がクーデターに向けた中国の後ろ盾を得たという推測記事が挙げられていました。中国は米国のミャンマーへの関与を批判する声明は出す一方、「国軍を支援する」という明確なメッセージまでは出していません。その背景としては、中国にとってチャオピューから安定的にエネルギー調達でき、かつ一輸出先として機能すればよい程度の話で、カウンターは国軍でもNLDでも構わない訳です。むしろ共倒れしてもらった方が、交渉カードとしてカネで釣り易くから都合が良いだけ。

そこに、南シナ海の勢力を巡って対立してきたASEAN諸国の中で、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンの外相が訪中することになりました。各国とも貿易関係で中国と強い結びつきを持つ一方、近年の新型コロナウイルスによる経済的ダメージは大きく、そこに中国は投資や貿易といった経済的恩恵とワクチンの2点を”貸し”とし、ミャンマー対応の足並みを揃えることと、南シナ海政策に向けて共同歩調を取るよう何かしらの圧力をかけたと見られます。中国にとってはミャンマー情勢を巡って一石二鳥以上のメリットが生じる事態となったのです。

ミャンマーが採るべき対応とは

ミャンマー情勢は、日々報道される武力衝突ばかりがクローズアップされますが、突き詰めるところ国軍とNLDの政治的融和、もっといえば中庸(双方の対立ではなく、一段上の高みに向けて共同歩調を取る方針を指し示すこと)の精神で言動できるリーダーが現れることが最も本質的な解決策になると思われます。

また、前回もお示しした通り、ミャンマーは重厚長大産業の誘致等が難しく、先進国が従来経済成長エンジンとしてきた製造業を中心としたモデルの実現は容易ではありません。そのため民を富ませる為には第三次産業や6次産業など内需で経済の乗数効果をもたらす為のビジョンと大胆な規制緩和、外国投資の呼び込みが必須と思慮します。当然ながら、経済閣僚により有能な人材を据える必要があることは必要条件となります。

また、最も大事なことは、色々な批判があるかもしれませんが、政治的ポストなどを国軍・NLD双方の潤滑油として活用しつつ、本質的に双方を尊重し、活かし合う人間としての関係作りを地道に行っていくことこそ、軍事衝突の解消につながり、ひいては大国間競争に利用されない本質的な独立国家として成立するものと強く信じています。

水至清即無魚、人至察則無徒

よりキレイな世の中を目指そうとすることは当然ですが、「宋名臣言行録」には、「水至って清ければ、則ち魚なし。人至って察なれば則ち徒なし(あまりきれいな水には魚が住めないし、潔白すぎて、他人をとがめだてするような人は、仲間がなくなる)」とあります。今回のミャンマークーデターは、善か悪かの二項対立ではなく、過去の歴史を受け止めながら如何に人間一人ひとりの感性で寄り添っていくかが問われている一事象のように感じます。

足下での中国の影響を述べつつここで中国の古典から考察を描く、何とも不思議なご縁です。

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