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インプリケートオーダーとしての仏教

日本の仏教は、インド的な原始仏教やシルクロード仏教や中国仏教など様々な【抜き型】で編集された。6世紀の半ば、仏教は欽明天皇の時に朝鮮半島からやってきた。蘇我馬子や一部の豪族は聖徳太子的なニヒルな信仰論と大仏開眼や南都六宗鎮護国家型の仏教に分裂して、北魏、新羅、隋、唐のフィルターがかかる。
聖武天皇は鑑真を招聘して「仏門プロ」をつくった。その後、最澄・空海による戒律と即身成仏思想と密教による革新がおこり、顕教と密教のダブルスタンダードが作動し、鎌倉新仏教が興る。

原勝郎は親鸞をルターのプロテスタンティズムに比肩した。鈴木大拙はそこに「日本的霊性が発揚された」とした。大拙は、それまでの日本人の宗教観がアニミスティックから、超越性や超越者という視野を獲得したと捉えた。 

量子力学のデヴィッドが『全体性と内蔵秩序』で明在系(エクスプリケート・オーダー)だけでは物理の真理は語れない、暗在系(インプリケート・オーダー)の語りこそがカギを握っているという議論をしたことは、まさに顕と冥との関係である。日本は、顕と冥のせめぎ合いの中で独特な抜き型をつくっていった。

人間の現象として現れているこの世界「顕」の裏側には、「冥」(みょう)と呼ばれる世界があり、「冥」の世界に死者や神仏がいる。この感覚は、中世には広く共有され、神道が形成されていく中でも重要な意味をもつようになる。この世の秩序の外にある暗闇の世界が、この世の秩序と密接に関わっている。

私もまた私にとって他者であり、私の外である。


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