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建築と音楽 目白へ吉村順三建築ソルフェージスクールを訪ねて

目白の住宅地にソルフェージスクールといあ名前の音楽教室があるのはご存じだろうか?この度、ご縁があって、日本を代表する建築家の1人である故吉村順三のお嬢様にあたる吉村隆子理事長を訪ねた。
ソルフェージとは、吉村順三の奥様の大村多喜子が始めた音楽教育のメソッドである。幼少期から音符に親しむことで音楽を自然に演奏して楽しみ、文字通り自分の体の中の一部にすることができる。それは、生きる喜びそのものである。
ソルフェージスクールの教育の考え方は、
①子供の感性を尊重する
②怒らない
③待つ
につきる。子供達は居場所を見つけ、安心して本来の自分を創造性に結びつけることができるのだ。多くの卒業生が、学校に自分の原点を見出すこたからもそれは証明されている。それは生きる喜びそのものである。

それぞれに固有の才能と成長過程があるのだから、それを一番大事にする。当たり前のことが、今の教育にはできない。ソルフェージ大事に育てられた子供にとって、音楽は生きていくことそのものになる。自分の中にソルフェージを持てば、そこは心の安全と安心を確保し、誰に憚ることなく無限に探究を進めることができる場所になるのだ。

思い思いに音符を絵にすることから始まる


ソルフェージによって、子供は、音楽と友達になる。音楽を大切にする。音楽の夢を見る。音楽が生涯の宝になる。音楽は幸福のバイブレーションになる。それは周りに伝わる。そこから音楽による幸せの輪が広がっていく。それもまた音楽である。それはまるで 音楽の鳥が 木々にとまって 皆で歌っているようだ。その歌は、世界に響いていく。天に昇っていく。地味な建物であるが、音楽を中心としたミニマムな世界を、この瀟洒な目白の住宅街の一画、もとは華族の邸宅があったと言われる、池袋と新宿という低地に挟まれた、洪積台地で奇跡のように守ってきた。
その建物は、吉村順三の思想が細部に渡って反映されている。子供の目線と子供の身体感覚があらゆる場所に反映され、モダニズムの基本を守りながら、物理的な様々な問題をクリアしてそれはそこにあった。
吉村建築とは、人を育み、つなげる建築である。


それは、吉村順三の明晰な頭脳と子供の心が重なって時に生まれる奇跡の形である。子供の心とは、憧れであり、好奇心であり、自分をとりかこむ世界への愛なのだ。それが人間にとって最も大切だということを彼は知っていたのだろう。それは今お嬢様の吉村隆子さんに引き継がれている。
この目白の小さな城は、子供達の自由と創造を重んじる教育が信じられ、実践されてきた 東京の宝である。
それを多くの人に伝えたい。

【備考】
※吉村順三氏(1908~97年) 建築家、文化功労
※津布楽(つぶらく)杏里講師
※大村多喜子
米ジュリアード音楽院初の日本人留学生となったバイオリニスト(2012年死去)
※現在の目白に校舎を建てたのは1967年。吉村氏が妻のために設計した。2人は日米開戦の直前、米国から帰国する船内で出会い、結婚。
※鉄筋3階建て、延べ床面積は297.3平方メートル。1階に職員室、2階に四つのレッスン室、3階に約85平方メートルのホール。
※住宅街なので日照規制を理由に屋根は斜めにしてあり、天井の音響効果が良い。ホールは120人まで収容できる
※ソルフェージとは、フランスやイタリアなどで数百年行われている音楽の基礎教育。楽譜からメロディーをイメージし、聴いた音楽を楽譜にできることを指す。
※ドイツのシュツットガルト室内管弦楽団で首席ビオラ奏者だった林徹也さんや、米国を拠点に活躍するバイオリニスト亀井由紀子さんらが巣立った。

※吉村理事長は話す。「基礎があってこそ本物の音楽家が生まれ、アマチュアにとっても音楽が一生の友になる。楽譜を見て即興で世界の人と合奏できるようになれば楽しいし、音楽を通じて人生が豊かになる」生徒に年齢制限はなく、見学も歓迎しているという。

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