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【小説】カニ食いさんのお悩み相談 第四話

↑前回のお話です。



〈本編4,020字〉



 わたしがカニ食いさんに会った翌日どころか、次の日もその次の日も遼花ちゃんは美温ちゃんから距離を取って、去年みたいにわたしと一緒にいることが多くなった。そして、わたしがどうしても目や耳に入ってくる美温ちゃんの言動で嫌な気分になると、遼花ちゃんもそれに共感してくれるようにもなった。

 遼花ちゃんが美温ちゃんについて熱弁しなくなったのはすごくいいことなんだけど、なぜ突然こうなったのか納得できる理屈が無い。

 それは美温ちゃんの取り巻き達も同じなようで、不思議そうに遼花ちゃんを眺めていた。当の美温ちゃんはこれといった反応を見せていないが、意に介していないのか表に出さないだけなのかわからない。

「じゃあ、部活行くね。津羽紗ちゃんもガンバ」

 わたしは制服がおが屑で汚れないように更衣室でジャージに着替えた後、遼花ちゃんと別れて美術室に向かう。

 遼花ちゃんは二年生ながら先輩達の中に食い込んで、バドミントン部の団体メンバーとして県大会に出場するらしい。地区予選の団体戦ではチームの負けはあっても遼花ちゃん個人での負けは無いそうだ。それは純粋にすごいことだと思うし、わたしもコンクールで受賞してみたいという野心とも向上心ともつかないものが芽生えてくる。

 でも、同じ美術部であるあんずはよく「他者からの評価を得るためにやるのは健全な創作じゃないよ」とか言ってるから、そういう気持ちになってもあいつには言えない。だからわたしもそういったことはあまり深く考えないようにして、黙々とチェーンソーで材木から猫又を彫り出していく。

 いつも通り一時間ほど製作してから小休止に入ると、見計らったように隣の部屋での作業を中断したあんずがやってきた。

「おー、だいぶ形ができてきたじゃん。二足歩行なのにちゃんとネコに見えるフォルムだね」

 あんずはわたしの作品を歩いて一周しながら見て言った。

「ありがと。でも分かれた尻尾をどうしよっかなって思うんだよね。あと、何となくのフォルムはネコなんだけど、ガチでネコに寄せた方がいいのか、フィクションっぽいのにした方がいいのかも考え中。あんずはどう思う?」

「わからん」

「だよねぇ」

 即答だった。あんずはわたしなんかよりも遥かに芸術家気質だから、独自の美学とか創作論とかをもっている。その中の一つに『他の存在の影響を排した純粋な自己から生み出されたものが一番美しい』というものがあるのだ、と前に聞いた。だから、わたしの作品にもあまり影響アドバイスを与えたくないんだろう。

 あんずはあまり自分の作品が好きじゃないらしいので、あんずの製作については完成前はあれこれ訊かないことにしている。

 だから、わたしは先日の河川敷での出来事を話すことにした。

「そういえば、カニ食いさんに会いに行ってきたよ。あんたから話を聞いたその日に」

 するとあんずは足を止めてわたしの顔に視線を走らせ、

「マジで?マジで行ったの?」

「うん」

「実在したんだ……じゃあ、どんな人だったの?」

「えっと……生のカニを甲羅ごと食う人だった」

「そりゃあカニ食いさんだからね。他は何かないの?」

「他?うーん……全裸で川に潜ってた」

「不審者じゃん」

「あと若い女の人だった」

「なおさら不審者じゃん。そういうのって相場はおっさんなんだけど」

「いや、でも悪い人じゃなかったよ。話聞いてくれたし」

 そこまで言うとあんずは何か思い出したように表情を変えた。

「カニ食いさんに話したことって、何か好転した?」

「したけど……なんでわかるの?」

「え、だってあんたに話したときに言ったじゃん。『悩みを話すと尽く好転する』って」

 そういえばそんなことを言われた気もする。でも、これで合点がいった。カニ食いさんにそもそもそういう噂があるのなら、遼花ちゃんが態度を突然変えたのもカニ食いさんの力だということになる。でも、どうやったのかは未だにわからない。

「ねえ、気になるならあんずもカニ食いさんに会いに行ってみる?」

 そろそろ自分で定めた休憩時間が終わるので、わたしはチェーンソーを手に取りながら訊いてみた。

「いや、ウチはいい。たぶんそういうのって人から話を聞くのが一番面白いから」

 そう言ってあんずは軽く手を振って美術室を後にし、わたしも製作に戻る。

 でも、そのうちわたしは行き詰まってしまった。完全に手が止まり、チェーンソーのエンジンも切った。

 あんずに「わからん」と一蹴されてしまった、現実感のあるフォルムにするかフィクションに振り切ったフォルムにするかという問題。木彫はやり直しが利かないから刃を入れる前にデザイン画をたくさん描くのだが、わたしの作品は紙の上だとフィクションに振り切っていた。

 でも、いざ木材から彫り出していくと、立体物は写実性が無いといけない気がしてくる。そんなことを言ったら猫又自体が現実に無いものだから、そもそも木彫に合っていないのかもしれない。

 遼花ちゃんのおかげで受賞欲が出てきたのもあって、今回出品するコンクールの歴代受賞作品をチェックしたのだが、どれもその年のテーマを捻らずに構図や繊細さが抜きん出ている感じだった。以前参加した別のコンクールでは斬新な作品が賞をもらっていたから、コンクールごとに評価を受けやすい作品の傾向があるのは確かだろう。

 賞をもらうためにその都度作風を変えるなんて器用なことができる自信は無いし、あんずじゃないけどわたしもそれは違うと思う。

 無心になれるから木彫が好きなのに、あれこれ考え始めてしまうと全く楽しくないし手につかなかった。結局その日はデザイン画からやり直そうとしてもしっくりこず、下校時刻を迎えてしまった。

 家に帰って、金曜の夜はいつもだったら夜更かしするのに、今日はそういう気分でもなかった。明日は土曜日だというのに模試があるからかもしれない。

 かといって、ベッドに横になってもすぐには寝つけなかった。木彫のフォルムもそうだけど、賞を取りたいなんていう理由で製作をしていいのかが気になってしまう。そもそもなんで賞を取りたいのかも、いまひとつわからない。そして、遼花ちゃんが突然態度を変えたのが本当にカニ食いさんによるものなのかも。

 翌日、模試を適当にこなして解放されたのは15時過ぎだった。数学なんかわたしにとってはちんぷんかんぷんだったのに、「まあまあ簡単だったね」と言って美温ちゃんが笑うのが聞こえた。

 今日は遼花ちゃんが県大会でいないし、顧問の先生がいないから美術部は無い。わたしはすぐに学校を出てからスーパーに寄って大袋のお菓子をいくつか買い、あの河川敷に向かった。

 この間来たときと違ってカラッと晴れているから来るまでに汗ばんだけど、橋の真下に入るとすごく涼しくて心地よかった。あの日以降雨も降ってないから水もきれいだ。このまま川で水浴びしたら確かに気持ちいいかもだけど、流石にここで裸になる勇気も自信も無い。この間は意外と常識人だと思ったが、あくまで『意外と』であって、やっぱり彼女はぶっ飛んでる。

「カニ食いさーん!」

 あの青と白の水玉カーテンの前で呼ぶが、前回同様返事が無い。また水浴びしているのだろうかと思って川を見ても、そもそも潜っているのなら見つからないだろう。それでも帰ろうかとは思わず、浮き上がってくるのを待とうとしたとき、

「おーい!津羽紗ちゃーん!」

 少し低めの若い女性の声が聞こえて目線を横に動かすと、カニ食いさんがスラリとした手を大きく振って歩いてきていた。相変わらず裸足だが、あのピチピチのへそ出しタンクトップと穴空きホットパンツを身に着けている。もう片方の手には釣竿とバケツを持っていた。

「昨日釣竿を恵んでくれた人がいてね、試しに使ってたんだ」

 カニ食いさんの家にお邪魔すると、彼女はそう言いながらバケツの中の魚を取り出して捌き始めた。この間は見つけられなかったけど、どこかに包丁とまな板があったらしい。そして、言われてみれば当たり前なんだけど、わたし以外にもカニ食いさんを訪ねる人がいることもわかった。

「あの、お菓子買ってきたので後で食べてください」

 わたしはエコバッグからさっき買ってきたお菓子を全部出してカニ食いさんに見せると、彼女は笑顔を弾けさせた。

「ありがとう!あ、箱の中に飲み物あるから好きなの飲んで」

 言われた通りにクーラーボックスを開けると、この間のなっちゃんオレンジは無くなっていた。カルピスウォーターと天然ミネラルむぎ茶はそのままだったけど、新しく午後ティーのミルクが補充されている。お供え物なのか、カニ食いさんが買ったのか。買ったとしたら、どうやってお金を稼いでいるのだろうか。

 カニ食いさんについてはまだまだ謎だらけだけど、とりあえず一番の謎を単刀直入に尋ねることにした。

「カニ食いさん、訊きたいことがあるんですけど……」

「なーに?お菓子の分ちゃんとやらせてもらうから、何でも訊いて」

「はい。この間、遼花ちゃんについて話しましたよね?それで、その次の日から遼花ちゃんの態度がいきなり変わって、美温ちゃんから距離を取ってわたしと一緒にいるようになったんですけど……」

「え、良かったじゃん!」

 カニ食いさんは明るい声で応えながらも、釣果を次々と三枚下ろしにしていく。

「いや、良かったことは良かったんですけどあまりにも突然すぎて……それで、もしかしたらカニ食いさんが何かしてくれたんじゃないかって」

 冷静に考えるとあまりにも突拍子の無い質問なので、気後れしてやや上目遣いになってしまう。カニ食いさんはかなり気さくだから、そんなに気にしないだろうけど。

「津羽紗ちゃん」

 ところが、カニ食いさんの声はいつもより低く、明らかに重かった。魚を軽快に捌いていた手も止まっている。

「なんでそんな風に思ったの?」

 まな板から顔を上げたカニ食いさんの表情は堅く、彼女は静かに包丁を握り直した。



〈つづく〉

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