【小説】キヨメの慈雨OWL ―セイカの宵祭― その5
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あらすじ
御槌意澄・政本美温・速見早苗・若元小春の四人は三年前に豪雨災害が起きた天領市で暮らす高校一年生である。
意澄達は不思議な生物・コトナリの力を使って悪事を働く能力者と戦うこともあるが、本質はただの高校生。二日後に駅前商店街で開催される『土曜宵祭』に行く予定を立てた。
一方、高藤星佳はモチベーションも将来への見通しも無い中で迫る大学入試や、豪雨を機に開いてしまった幼なじみの神楽蒔土との距離に悩む高校三年生である。
両親やクラスメイト、教師、塾講師との大学受験に関する意識の差や、蒔土に関してライバル視している五島穂波が自分が思うほど悪人ではないのではないかという疑念に苦しむ星佳の前に、蒔土本人が現れるのだった。
本編(4,756文字)
八.
「ここ、座っていい?」
「うん、もちろん」
正面に座った蒔土は特に勉強道具を取り出したり食事を取ったりせず、こうなると星佳は完全に勉強することを諦めるしかなかった。
「どうしたの蒔土くん?」
「いや、何か······最近星佳と話せてないなって思って」
たったそれだけの言葉が嬉しくて、胸の高鳴りが洩れ聞こえていないか不安になった。
「星佳、元気?」
「うん。蒔土くんは······元気そうだよね。すごく充実してる感じがする」
「はは、そう見えてるなら良かった」
「······何かあった?」
「いや、別に」
周りから自分達はどう見えているのだろうか。できるだけ恋人どうしと思われたくて、星佳は会話を途切れさせないようにする。
「何か蒔土くんとこうやって話すの、すごく久しぶりな気がする。蒔土くんの周りには、いつも誰かいるから」
「そんな俺が人気者みたいに······」
「でも、本当だよ?蒔土くんの周りには、頑張ってる人達ばっかり。だからあんまり近寄れなくって」
「星佳だって頑張ってるでしょ」
その言葉に、素直に頷けなかった。こういう会話は、星佳が思っていたものとは違う。
「わたしは······まあそれなりに」
「······星佳、疲れてない?」
やはり、違う。
「············まあ、模擬店とかでちょっと忙しかっただけだよ。それでちょっと疲れちゃったのかも」
「そっか。模擬店係、五島と一緒だったよね?あの人が何かした?」
「いやいやそんな、穂波ちゃんは良くしてくれてるよ」
穂波が話題に上がって、二人の間に沈黙が落ちた。
「······蒔土くんさ、穂波ちゃんと仲いいよね」
「仲いいっていうか······よく話してたし、頑張ってるなって思うけどさ。最近はあまり話さないよ」
「『話してた』って、何かあったの?」
「······星佳、知らない?」
「うん、知らない」
ケンカでもしていてくれればいいのに。一瞬だけそう考えた自分に虫酸が走る。
それなのに。
「フラれたんだ」
「············そう、だったんだ」
あまりに普通の受け応えをしてしまった自分が嫌になる。フラれたということは、フラれたということは、フラれたということは、
「『受験に集中したいから無理』って言われてさ。何も考えてない俺が悪いんだ。それからお互い気まずくて、話してない」
蒔土が穂波に告白した。気づかなかった。気づきたくないことにまで考えが及んだ。さっきの穂波のあの敵意の無い態度は、何か得体の知れない優越感があったからなのではないか。三年間疎遠になっていた蒔土がいきなり話しかけてきたのは、星佳のことを都合のいい女だと思ったからなのではないか。そして、星佳が好きだった少年は、もう。
「そんなの······違うよ」
「違う······?」
「そんなの違うよ。何もかも違う。本来のポジションも、わたしが知ってる蒔土くんも、わたしがいるべき場所も、何もかも違う!こんなのおかしいよ!蒔土くんはおかしくなった!覇気は無いけどまっすぐで、優しくて、誰にでも分け隔て無かった蒔土くんは、こんな人じゃないよ!」
「星佳······?」
「自分の目標に向かって頑張って、他に頑張ってる人を好きになって、フラれたらこんな異常者に期待させて、そんなの蒔土くんじゃないよ!」
(ああ、わたしが好きだった蒔土くんは)
周りの目を気にせず叫びながらも、星佳の頭はやけに冷静だった。
「星佳、落ち着こう?」
(今はもうどこにもいないんだ。もしかしたら、最初からどこにもいなかったんだ)
涙なんて出なかった。むしろ清々しかった。一つ、悩みが解消した。残る悩みは進路についてだ。星佳はノートをリュックにしまうと大股で歩きだし、まだ開いていないであろう塾へ進んだ。そこで敢えて呼び止めも追いかけもしない少年は、間違いなく星佳が好きな蒔土なのに。
塾に飛び込むと、既に詩月は出勤していた。星佳は色香に満ちた彼女を目にして、自分に足りないものの一つを見つけたような気がした。
「どうしたの星佳ちゃん?そんなに急いで」
「詩月先生、学校で担任にもっと上を目指せって言われました」
「······うん」
「でも、わたし、何の目標も無いんです。何のやる気も無くて、ただみんなに合わせて勉強してるんです。そんなやつが誰かの合格枠を取るなんて駄目です」
「······ちょっと待って、大学に行かないってこと?」
「はい。今までお世話になりました。ありがとうございました」
頭を下げた星佳はそのまま外に出る。詩月は呼び止めて、追いかけてきたが、星佳が何も反応を返さないのを受けて諦めたらしい。どうせ家には詩月から電話があるだろう。寄り道もする必要が無い。最短経路で家に帰り、一つずつ問題を潰していく。
「······やりたくないことと受け入れられないことがはっきりしたね。本当にやりたいことに気づくまでもうすぐだよ、星佳」
電車の中で膝の上に現れたヴィリングが嬉しそうに言い、星佳はその背中を優しく撫でた。
(きっと、もう戻れない)
蒔土に対しても詩月に対しても、らしくないことをしていると自覚していた。みんなの雰囲気を壊さないように空気を読み、自分の本心を隠して立ち振る舞う。そんなこれまでの自分なんて、間違いなく異常者だ。だが、公衆の面前でわめき散らしたさっきの自分が正常だなんて全く思わない。
(もう、何でもいいや)
正常な高校生は、叶えたい夢があるのだろうか。正常な受験生は、とっくに志望校を決めているのだろうか。正常な女の子は、好きな男が他の女に告白したと知ったらどうするのだろうか。正常な人間は、本心をどこまで隠していいのだろうか。わからないことだらけだった。わかっているのは、自分のやりたいことすらわからないということだけだった。
最寄り駅に着いてから、ふと思い立ってホームセンターに寄り道した。所持金を全て使い、よく切れる十本セットのキャンピングナイフときれいな水色の罫線が入った便箋、そして書道用のボールペンを買った。それらで何をするかなんて考えていなかった。何でもできる気がした。
家に戻ると、両親はまだ仕事から帰っていなかった。塾から電話が掛かってきたら何と応えてやろうかと考えて、詩月なら両親が在宅の時間を見計らってくるだろうと思い直した。
「星佳」
ベッドで横になるとヴィリングが机の上から見下ろして、
「私は君の味方だよ。君のやりたいことを支えるからね」
言葉巧みに人間の心に取り入ってヌシにすることがコトナリの生存戦略だ。だが今はそれに乗っかっていたかった。勉強なんかせずに、夕方まで眠った。目を覚ますと母が電話している声がリビングから聞こえて、星佳は階段を駆け下りた。足取りを重くする必要は無い。どうせどこへ向かっても、自分の居場所ではないのだから。
九.
「いいなあ、パイナップル美味そう」
小春の弁当に入っていたデザートを見て早苗が呟いたので、意澄達が今日の部会で出す案はスティックパインになった。当然そんな理由を馬鹿正直に言う訳にはいかないので、学業優秀な美温のスーパー弁明術で取り繕った。
それなのに。
「二年生が考えたのはスティックきゅうりなんだけどさ」
「······はい」
「楽だからいいと思うんだよね」
「······はい?」
訊き返す意澄に二年生は、
「いや、良くない?楽だし、お祭り感でるし、安く済むし、楽だし。意澄ちゃん達もおんなじこと考えてスティックパインなのかと思ったらしっかり理由があってびっくりしちゃった」
「楽だってのが重複してますよ。え、ホントに串刺しにしたきゅうりを売るだけのつもりですか?」
「······浅漬けと塩漬け、どっちがいいかな?」
「あ、きゅうり確定なんだ」
「いや、もちろんそれだけじゃないよ?」
「······で、ですよね先輩!やっぱり何かありますよね!」
「一緒にパインも売る」
「それ後輩の案じゃねえか」
十.
夕食の席で何も言わない星佳に母は不安げな表情で、
「どうしたの星佳?満島先生から電話があったよ?」
「······詩月先生、何て言ってた?」
「星佳が大学行かないって。何かあったの?」
「いや、何があったって訳じゃないけど、何も無いわたしが大学なんか行っちゃ駄目だなって思ったの」
すると父が微笑んで、
「父さんだって、これっていう目標があって大学入ったんじゃないよ?不安に思うかもだけど、それは今だけだ。入っちゃえば楽しくなるよ」
「······今だけ」
口の中で呟き、星佳は箸を置く。
「不安なのは今なんだよ?将来的に不安が解決するからっていって、その今が変わることはない。わたしは今を何とかしたいの」
「······ホントにどうしたの?もしかして、通知表が思ったより良くなかった?」
母が尋ねて、星佳は決心がついた。自分が何をしたいのかなんてわからない。将来的にどうなりたいかなんて決められない。そして、自分が生きている今も、今を生きている自分も、好きになることができない。異常か、正常か。周りの人達がそう二分できるなら、自分はそのどちらも食らってやる。異常な周囲を変えるためなら、正常な自分になりたい。正常な未来を思い描けないなら、異常な今を抜け出したい。
「ヴィリング、見つかったかも」
席を立って部屋に戻り、パッケージを剥いてキャンピングナイフを取り出しすぐに引き返す。階段の根元に両親がいた。自分を追いかけないでいてくれる存在は、たった一人しかいない。そのことがわかって、星佳はまだ何もしていないのに後悔を感じた。
「星佳、何を持って」
わずかに険しい顔をした父が言い終わる前に、彼の喉へナイフを突き立てた。ストックが早くも九本になってしまった。新たに取り出した一本は大切に握り、何度も何度も父の腹へ刺し続けた。父は力無く倒れて動かなくなった。
「······星佳!何してるの!」
意外にも臆することなく怒鳴りつけてきた母の方へ目玉を動かして、父の血に濡れた貴重な一本を投げつけてみた。体の使い方なんて考えていないため、命中しても深く刺さることはなかった。
「星佳!」
愛する夫を目の前で殺した少女をまだ娘だと思っているのか、母だった女は音を立てて足元に落ちたナイフを拾わなかった。
「どうしたの!?星佳、大丈夫なの!?」
こんなことになってもまだ子どもを心配する女に踏み込み、ナイフでめった刺しにする。女は最後まで、何の抵抗もしなかった。それどころか、痛みも恐怖も感じさせない力強さで星佳を抱き寄せ、耳元でささやいた。
「ごめんね星佳。何があったかはわからないけど、わたし達のせいだよね。ごめんね······」
「······あなたは悪くないよ。あなたの旦那さんも悪くない。最近こそ嫌な感じだったけど、あなた達の娘も、あなた達の子どもとして生まれてきて良かったって思ってる」
「··················そっか」
それで安心したのか、女は力尽きて膝から崩れ落ちた。星佳は膝元の死体をどかしてその背中に馬乗りになり、徹底的に刃を突き立てていった。息が荒くなり、腕が痛み、返り血にまみれたナイフが手から滑り落ちた。気づけば顔も腕も脚も衣服も赤く染まり、星佳はしばらく放心状態だった。
(··················死のっかな)
母を殺したナイフの切っ先を自分の喉に当てようとしてから、もし何者かに一家が惨殺されたのだと他の人達に解釈されたら申し訳ないと思ってやめておいた。遺書を書こうと思った。ホームセンターを出たときに感じた全能感は、無責任感と同じだったのだと悟った。
星佳は重い足取りで階段を上り、買ってきたボールペンをきれいな便箋の上へ静かに走らせ始めた。
〈つづく〉
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