【小説】キヨメの慈雨OWL ―セイカの宵祭― その4
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あらすじ
御槌意澄・政本美温・速見早苗・若元小春の四人は三年前に豪雨災害が起きた天領市で暮らす高校一年生である。
意澄達は不思議な生物・コトナリの力を使って悪事を働く能力者と戦うこともあるが、本質はただの高校生。七月二十二日に駅前商店街で開催される『土曜宵祭』に行く予定を立てた。
一方、高藤星佳はモチベーションも将来への見通しも無い中で迫る大学入試や、豪雨を機に開いてしまった幼なじみの神楽蒔土との距離に悩む高校三年生である。
現状に焦りを抱き漠然と力を求める星佳はヴィリングと名乗るコトナリに出会い、「力を貸すためにはやりたいことを決めろ」と告げられたのだった。
本編
七.(4,972文字)
あまりにも甘美な幸福感に、星佳の頭はおかしくなりそうだった。激しい快感が下腹部から脳に突き抜ける度に、控えめな双丘が揺れて抑えきれない喘声が飛び出る。
「蒔土くん······好きぃ············!」
わずかに残った知性で言葉を紡いだ星佳は、熱っぽい眼差しを蒔土の全身に這わせた。出会った頃は頼りなかった彼の身体はいつの間にか筋肉質になっていて、硬い腕が開いた星佳の両脚を押さえている。
「俺も星佳が好きだよ」
腰を動かしながら応える蒔土に向けて細い両腕を伸ばし、星佳は物欲しげな表情を浮かべた。蒔土の存在を身体の内側だけでなく、肌でも感じたかった。
「来て············」
喘声の合間にどうにか振り絞ったささやきを、蒔土は聞き逃さないでいてくれた。滑らかな脚から離した手を彼女の両肩を挟むようにベッドに着き、その引き締まった身体で星佳の痩せた裸身と一つに重なる。蒔土の体温とわずかに滲んだ汗が、星佳のものと混じり合う。それを受けて星佳の内側はますます疼いた。細い腕をがっしりした背中に、滑らかな脚を上下に往復し続ける腰にそれぞれ回して、蒔土を決して放さない。
「好き······大好きだよ、蒔土くん」
「俺も大好き。でも、そろそろ······!」
「いいよ!蒔土くんなら、わたしいいから!」
「············星佳ッ!」
呼ばれた瞬間、放たれた蒔土の熱が星佳の内側を満たしていった。受け止めていた数秒の間は、言葉にならない恍惚が声になって止まらなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ······」
跳ね回る心臓にも弾ける汗にも構わず、体内の熱と脳に刻まれた快楽に酔いしれる。だが、放心状態で知性など消え去ってしまった星佳でも、蒔土が自分の中からゆっくりと抜けていったことは感じ取れた。
「いかないで······」
起き上がろうとした蒔土に巻きついた腕へ反射的に力を入れると、蒔土は星佳の隣へ横たわって彼女の長い黒髪を愛おしそうに手ですいた。
「どこにもいかないよ。星佳の傍にいるから」
「うん······」
上目遣いに蒔土と視線を交わした星佳は、荒くなった呼吸を整えることすらせずに彼と唇を合わせた。舌を絡み合わせ、唾液を蕩け合わせ、ただ一心に愛を貪る。そうしているうちに段々意識が遠のいてきた。星佳は蒔土の腕の中にいることに心から悦びを感じながら、疲れ果てて眠りに落ちた。
(··················え?)
カーテンの隙間から射し込んだ朝陽で目を覚ました星佳は、ベッドの上で身動きが取れなかった。隣には誰もいないし、自分はちゃんとパジャマを着ている。つまり、さっきまで星佳が感じていた快感も幸福感も、全て夢。
(わたし、そういう夢見てたの?蒔土くんとそういうことする夢を?しかもわたしめちゃくちゃ積極的だったし······!)
実際に経験したことなど無いのに鮮明に感覚が残っており、星佳の体は一気に火照った。いてもたってもいられずブランケットを跳ねのけるが、すぐにリビングに下りて両親と顔を合わせられるような精神状態ではない。思わず下半身に手を当てて確かめてしまった自分が恥ずかしかった。
「なかなか刺激的な夢だったね、星佳」
「うわあ!?」
机の上から昨日のウサギが話しかけてきて、星佳は腰を抜かしベッドに座り込む。
「ヴィ、ヴィリング?なんでいるの······?」
「言ったでしょ、仮押さえだって。星佳が自分のやりたいことを見つける瞬間を逃したくはないからね。しばらく君をつけさせてもらうよ」
「夜中、ずっといたの······?」
「うん。だから安心してよ」
「何を?」
するとヴィリングはいたずらっぽく笑い、
「寝言には出てないから」
「なら良かったぁ······って良くない良くない!わたし、何て夢を見ちゃったんだ······!」
「夢なんて不可抗力だよ。まあ、多少は本人の願望も絡んでるとは思うけど。星佳の願望はそういう方向性でいい?」
「違うよ!?そんなことしちゃったら全部めちゃくちゃだし!ただでさえ現状苦しいのに!」
「現状苦しい、ね。君、こういうときは大人しくないんだ。まああんまりからかっても仕方ないし、私は近くにいるから気にしないで?」
そう言い残してヴィリングはぼんやりと姿を消し、星佳は深呼吸して気持ちを鎮める。部屋から出て階段を下りると、既に母と父は食卓についていた。
「おはよう星佳、なんか顔赤くないか?夏風邪?」
「大丈夫、平気だから」
食パンにマーガリンを塗りたくっている父には、動転している心を悟られていないようだ。
「今日は終業式と学祭関係の何かだけなんでしょ?午前中で終わるとはいえ、体調悪かったら保健室行きなさいね」
母も上手くやり過ごせたようで、星佳は内心胸を撫で下ろした。
そう思ったのも束の間。
「星佳、今日通知表くるんでしょ?」
何気無いふりをしながら母が尋ね、父は本人には気づかれないように星佳を見やる。小学校の頃から、長期休業の直前には毎回このやり取りがあった。それでもこんな風にぎこちなくなることはなかった。自分は受験生。そのことが家族の関係を壊してしまっているような気がして、星佳は胸が塞がる思いがした。
「う、うん。くると思うよ」
「あんたの成績は心配してないけど、そろそろやりたいこととか行きたい大学とか、はっきりさせときなさいね」
母が言うと父も、
「今はそんなのが無くても、何が役に立つかわからないんだからとりあえず勉強しておこうな」
コーヒーをすすりながら付け足した。
三年生になってから、両親がこうやって日常的に進路の話をするようになった。それが普通科高校の三年生がいる家庭の当たり前なのかもしれないが、星佳はそれがたまらなく嫌だった。自分の家が自分の居場所ではないような気がした。やりたいことが見つからなくて、行きたい大学を決めあぐねている自分の存在は、ここでは許されていないような気がした。
そしてそれは、学校に行っても同じだった。
朝の教室に入れば、当然のように星佳より早く登校して勉強に励むクラスメイトが何人もいた。それは星佳にとって、圧倒的な『意識』の差だった。それを見せつけられるのがどうしようもなく怖いのに、そのことを分かち合える友人は一人もいなかった。律子はむしろ論外だった。彼女には教育関係の仕事に就きたいという目標があって、そのために教育学部へ進むと決めていて、それに備えて入学時からコツコツと準備してきたのだから。
「おはよう星佳、体調悪いの?」
席に着くなり隣から律子が尋ねてくるが、今は彼女と話せる気分ではなかった。それでも人当たりの良さそうな笑顔で応じて、
「それさっき親にも言われた」
悩みの種の親の話題を出してしまう。高藤星佳は、そういう人間だった。
「でも本当に体調は問題無いから。ホントに平気」
「そう······じゃあメンタルの問題?怖い夢でも見た?」
「······なんでわかるの?リッコもコトナリ?」
「コトナリ?何それ。それより、どんな夢?」
「············言いたくない」
「え~何で?隠さなくったっていいじゃん」
「······言いたくない」
「他人の夢の話を聞いてもつまらないって思ってる?でも隠されると俄然興味出るんだけど」
「言いたくない」
「受験落ちたとかそんな感じ?あ、不謹慎でごめんなんだけどご両親が亡くなるとか、もしかしたら私が死ぬとか」
「蒔土くんとえっちする夢」
「何だよ星佳さんそんなぐらいで顔色悪くするなんてかわいいとこ今なんつった?は?あんたが神楽と?」
「············」
「マジかよ星佳!それ、あんたの願望がモロに出てるって!そんなことになるぐらいなら早く告れよ!」
「························」
「······ごめんって、軽薄すぎたよ謝るよ。だからそんな涙目で見ないで?」
「······泣いてないもん」
「それ泣いてるやつのセリフなんだけど」
律子が肩を優しく叩いてくるが、星佳は本当に泣き出してしまいたかった。先ほど律子は、悪夢の例で確かに『受験に落ちること』を挙げた。蒔土との情夢のこともそうだが、冗談の一環にすら受験が入り込んできてしまっていることもまた、星佳の心に重たくのしかかる。
(······わたしが異常者なのかな)
続々と集まり始めるクラスメイト達は、単語帳を開いていたり教科書の解き直しをしていたりと、各々の方法で勉強している。普段は浮わついていて全く好感がもてない五島穂波に至っては、学校で買わされるものではなく自主的に購入したらしい問題集に取り組んでいた。穂波は西日本で最も高偏差値の国立大の法学部に入り、検察官になることを目指しているらしい。高い目標をもってひた向きに努力しているのだ。
(······そういう人を好きになれないのは、やっぱりわたしがおかしいのかな。みんなやりたいことがあって、頑張ろうって思えて、実際に行動できて、そっちの方がおかしいのかな)
クラスの端から端まで目をやって、最後に蒔土のところに行き着く。蒔土もやはり勉強していた。そういう人を好きになれない。その可能性には目を瞑っていたかった。
終業式が済んだ後、学祭のブロック集会が行われた。天領第一高校の学祭では八クラスで構成される各学年から一クラスずつが集まったブロックが計八つあり、文化の部と体育の部の合計得点で優勝を争う。ブロック集会は三年生が下級生を学祭ムードにもっていくために設けられているものなのだ。
「星佳ちゃん」
ブロック集会の会場から教室へ戻る途中に呼び止めたのは、穂波だった。
「どうしたの?」
「いや、その······」
穂波は小走りで星佳の横に並び、
「これから忙しくなるけどさ、一緒に頑張ろうね!」
疑いようがないほどまっすぐに眼を輝かせて、何の屈託も無い笑顔を向けた。
「うん、頑張ろう」
星佳はそう返すのが精一杯だった。
一学期最後のSHRが終わって通知表を手渡されるとき、担任の岩美という壮年の教師が『帰るときに職員室へ寄ってほしい』と言ってきた。すぐに彼を訪ねると、岩美のデスクには星佳が前回の校内実力考査で提出した志望校調査用紙があった。
「高藤さんは、真金大の経済学部志望よな?」
「······はい」
「その、言いにくい話かもしれんけど······君は真金大に拘りはある?」
「拘り、ですか」
「いや、無いなら無いでええんよ。正直な気持ちを教えてほしいんじゃけど」
眼鏡の奥で星佳の本心を窺うような岩美の視線から、これから何か良くないことを言われるのだと星佳は理解した。
「特には無いんですけど······」
「なるほど。実はな、この間真金大の今年度の入試要項が発表されたんじゃけど、経済学部は大幅に募集人員が減っとんよ。それで、毎年うちの高校で真金の経済志望の子は多くて、今年も例に漏れずなんじゃけど、ちょっと今年はまじいんじゃ」
「······はい」
「それでな、高藤さんは真金大の合格ラインやこう正直ぶっちぎっとる。それじゃったら、もうちょっと上を目指してみん?」
要は、星佳は既に一枠合格を確保しているようなものなのだから、さらに高偏差値の大学を受験して第一高校の他の生徒が真金大学に受かる可能性を上げろということだ。
「······考えてさせてください」
「それはもちろん。まだ時間はあるけえ」
塾に行って詩月に相談してみよう。星佳はいったん思考を先送りにして、駅前の商業施設へと向かった。塾が開くまでフードコートで時間を潰すのだ。
そこにもやはり多くの高校生がいて、勉強をしていた。星佳も焦りを感じてノートを開くが、夢の中からここまでに起きた様々なことやよぎった思いが頭を駆け巡ってあまり手につかなかった。シャーペンを回そうとして、またしても上手くいかなかった。
「······星佳」
少年の声で呼ばれて、少女は顔を上げる。彼女をそんな風に呼ぶ少年は、一人しかいなかった。
「蒔土くん」
毎日同じ空間にいるのに、もう届かなくなってしまった少年が。いつの間にか離れた距離が縮まることを、夢にまで見た想い人が。
神楽蒔土が、星佳の目の前にいた。
〈つづく〉
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