見出し画像

#22 郷原信郎弁護士との邂逅

夜の名古屋地検。

あれから7年を過ぎた現在でも、理不尽な事件と戦い続けてくださっている郷原弁護士。
「藤井さん、どこで郷原弁護士と知り合ったのですか?」
「逮捕される前から、知り合いだったんですか?」

そんなことを時々聞かれますが、郷原弁護士との出会いは偶然のご縁でした。

>>>>>>>>>>

取調べが再開して間も無くして、K検事は、再び不満そうな顔で
「弁護士接見です。中断します」
そう告げました。

渡辺弁護士から、今日は誰も会いに来ないと聞いていたので、
(何かあったのかな)
と少し不安な気持ちで、面会室へと向かいました。

これがその後、今も続く不当な裁判と戦ってくれる郷原弁護士との邂逅かいこうになるとは、思いもしませんでした。

アクリル板の向こうには、面識のない2人が座っていました。
「弁護士の、郷原です」

私は、市議会議員の時に参加した勉強会で一度だけ郷原弁護士の講演を聞いたことがありました。
そんな話も、挨拶や自己紹介もする間も無く、早速、逮捕容疑の収賄について聞かれました。
私は、刑事や検事に聞かれた時と同じように
「私は絶対に現金など受け取っていません」
そう、はっきりと答えました。
それから、いくつか具体的なことを聞かれました。
中森氏との面識や、現金授受があったとされる現場、浄水プラントのこと。
聞かれたことを全て話しました。

郷原弁護士との出会いは偶然の産物でした。

私は龍馬プロジェクトというものに所属していました。
そこでご縁を頂いた公認会計士の大久保和孝さんが、私の逮捕のニュースを見て連絡をしてくれたそうです。
この日、郷原弁護士はたまたま名古屋に出張に来ており、その帰りに名古屋地検に立ち寄ってくださったようでした。

接見の終わりがけ、郷原弁護士が検察出身であることを思い出し、
検察からの取調べの恫喝にどのように対応すればいいか、聞いてみました。

すると驚いた様子で、
「今どき、そんな取り調べをしているんですか?それは酷いなぁ」
警察や検察にとっては、当たり前の手法だと思っていた私にとって意外な反応が返ってきました。

なかなか外部と話す機会が少ない取調べ生活。さらにもう一つ、長時間の取調べに参っていた私は、気になっていた"黙秘権"についても質問をしました。

「裁判になることを想定して、黙秘することも手段としては考えられます。しかし、藤井さんが、どのような態度で取調べを受けているのか、マスコミにも伝わることになるでしょう。美濃加茂市長として堂々と、話せることは全て話す、捜査には全面的に協力するという態度で臨んでも良いでしょう。ただ、精神的に辛いかもしれないから、その辺りは自分次第です」

そう言われた私は、自分に少しだけ自信を取り戻せたような気がして
「話せることは全て話してきます。市長として堂々と対応したい」
そう答えました。

最後に郷原弁護士からは、
「ただ、事実ではないことを話したり、記憶が定かではないことを認めたりしないように。特に、検事や刑事に一方的に作られた調書に簡単に署名してはいけません。調書は裁判に大きく影響するので慎重に対応しましょう」
そう言われました。

この日は、今後の弁護についての話は、具体的にありませんでした。ただ、初めて会う弁護士の先生が、私の話を真剣に、頷きながら聞いてもらえたことが心から嬉しかったことを今でも覚えています。
その隣では新倉弁護士が、優しい雰囲気で私の話を聞きながらも、素早く一言一句を記録しているのが印象的でした。

郷原弁護士が、私の弁護活動について著書を出されているので、ご一読いただけたらと思います。
青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開

接見が終わり、再び始まった検事の部屋での取り調べが終わったのは21時30分。セレナに乗せられ、春日井署へ戻っていきました。

ただの車の移動。何気ない外の景色が見えるだけ。
鉄格子の部屋での生活は、そんな当たり前のものすらずっと続いてほしいと願うほど苦痛に満ちたものでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?